ピーター・ノーマンのことー北海道新聞「卓上四季」などより。
2020年 09月 16日
個々の人物のことについて、何か小言を書きだしたらきりがなくなるなぁ。
総理大臣就任後の記者会見での、どこか頼りなげな表情は、とても国の将来を託せるとは思えない。
今日は気分を変えたくて(?)、新聞のコラムをざっと眺めてみた。
北海道新聞の「卓上四季」が、光った。
引用する。
北海道新聞の該当コラム
魂の色
09/16 05:00
人種差別に対する抗議の表明が行われた1968年メキシコ五輪の男子陸上200メートル表彰式。米国の黒人選手トミー・スミスとジョン・カルロスが黒い手袋を着けた握り拳を突き上げた側(そば)で、賛意を示すバッジを胸に着けた白人選手がいた。2位のピーター・ノーマンだ▼男子短距離でオーストラリアに初のメダルをもたらした。にもかかわらず、白人優遇の白豪主義を掲げた母国では、裏切り者扱いされた。72年ミュンヘン五輪では、参加標準記録を13回も超えながら代表からは漏れた▼まるでノーマンの姿を見ているような錯覚を起こした。テニスの全米オープン女子シングルスで2年ぶりの優勝を果たした大坂なおみさんに対する日本国内の特異な反応のことだ▼黒人被害者の名前が書かれたマスクを着用、人種差別撤廃のメッセージを発信した大坂さんに対し、ネットなどで「スポーツに政治を持ち込むな」などと中傷が噴出。スポンサー企業の不買運動の呼び掛けまで起こった。これでは日本が人種差別を肯定しているとみられても仕方ない▼ノーマンは高校教師など職を転々とし、2006年に亡くなった。シドニー五輪に招待されることもなかったが、葬儀にはスミスとカルロスがかけつけ、ひつぎを担いだ▼「肌の色は関係ない。みんな平等なんだ」。父のいいつけを守ったノーマンの魂は、きっときれいな無色をしていたのだろう。2020・9・16
トミー・スミスとジョン・カルロスの名はともかく、二人が黒い手袋を突き上げたことは有名だと思うが、ピーター・ノーマンのことを、私は知らなかった。
Wikipedia「ピーター・ノーマン」からも写真と文を引用。
Wikipedia「ピーター・ノーマン」

彼は白人ながらも二人の行動を支持し、同じ表彰台で「人権を求めるオリンピック・プロジェクト」(Olympic Project for Human Rights 略称:OPHR)のバッジを着けた。当初、スミスのみ両手にする計画だったブラックパワー・サリュートにおける黒グローブをスミスとカーロスとそれぞれ分かち合うよう勧めた人物でもあった。
この事件は、彼の選手生命を絶たせてしまうことになる。白豪主義思想が色濃く残るオーストラリアに於いて、これらの行為は同僚およびメディアに公然と非難され、二度とオリンピック代表に選ばれる事はなかった。
その後、メルボルン市内に在住し、オーストラリア政府の公務員としてスポーツやレクリエーションに携わる部門に勤めた。しかしメダリストとして大々的に取り上げられることはなかったので、それだけでは生計を立てられない程度の収入しか得られず、精肉店のアルバイトもすることで凌いでいた。晩年は鬱やアルコール依存症およびアキレス腱の怪我に悩まされ、2006年10月3日に死去。葬儀にはスミスとカーロスが参列し、棺側付添人を務めた。
2008年に彼をドキュメンタリー映画にした『サリュート(英語版)』が公開された。
オーストラリアオリンピック委員会(AOC)がノーマンのオリンピック代表選考において不当な扱いを行った事を公式に謝罪するまで、死後6年を待たなければならなかった。
大坂なおみの行動によって、ピーター・ノーマンという人物が振り返られることは、良いことだと思う。
優れたコラムとするためには、いろんな要素が必要だと思うが、その一つは、旬の出来事からの連想で、埋もれた歴史が掘り起こされることではなかろうか。
学ぶことができ、かつ、その内容が悪しき現代の風潮への警鐘になっているのであれば、なおさら意義がある。
検索をし続けて、共同通信の47NEWSで、昨年、ピーター・ノーマンと映画のことを記事にしていたことが分かった。
オーストラリア・オリンピック委員会(AOC)によって、50年後にようやく名誉回復したことや、映画は甥御さんが制作したことなどが紹介されている。
一部引用。
47NEWSの該当記事
ピーターのおいで映画監督のマット・ノーマン(46)は伯父が国内で知られていないことに驚き、記録に残すことを思い立つ。02年に製作を開始、ピーターや米国とオーストラリアの関係者に取材し、08年にドキュメンタリー映画「SALUTE」(サリュート=敬礼)を完成させた。「上映前にピーターが亡くなったのは想定外。彼が評価される姿を見たかったのに」と残念がる。映画のDVDは教材として各地の中高等学校に置かれている。
米国で黒人の人種差別反対運動が燃え盛っていた68年4月、公民権運動の父、キング牧師が暗殺された。スポーツ界における人種差別に反対するOPHRを主導したハリー・エドワーズは「メキシコ五輪ボイコット」を黒人選手に呼び掛けた。しかし、選手たちは五輪で黒人の実力を示す道を選んだ。
10月16日の200メートル決勝。トミー・スミスが世界新記録で優勝、ジョン・カルロスが3位に入った。両選手の行動は国際オリンピック委員会(IOC)会長ブランデージを激怒させる。2人は選手村から追放されたが、表彰台の映像は世界に流れ、ボイコット以上の効果を上げた。
68年4月にキング牧師が暗殺された直後の、メキシコ五輪だった。
ベトナム戦争反対運動が激しくなり、全米各地で警官と市民の対立があった時期には、人種差別による痛ましい事件もあったようだ。
キング牧師の死は、多くのアメリカ国民にとって深い悲しみを与え、差別反対の運動が、さらに盛り上がる契機になったと思う。
今年6月の集会で、16歳のテニス選手、コリ・ガウフさんが、キング牧師の次の言葉を引用したことは、すでに紹介した。
「最大の悲劇は善人による沈黙だ」
ピーター・ノーマンも、きっとそういう思いが強かったに違いない。
そういえば、2019年1月、全豪オープンで大坂なおみが優勝した際、当時の官房長官は記者会見で、「まさに快挙で誇りに思う。心から敬意を表すと同時に、お祝いを申し上げたい」と珍しく笑顔のコメントをしたが、今回は、“沈黙”しているなぁ。
