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佐木隆三著『身分帳』より(9)


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佐木隆三著『身分帳』

 佐木隆三の『身分帳』から、九回目。

 山川一は、自分のルーツを探るため、かつては竜華孤児院だった、県立の精神薄弱児施設を訪ねた。

 そこで、最古参の職員と出会う。

「どちらから見えたですか?」
 応接室に通して冷えた麦茶を出しながら、改めて職員が聞いた。
「東京から来たです」
「それはそれは・・・・・・。早くに福岡を離れられた?」
「五つ半の頃に、竜華孤児院から米軍キャンプの里親に引き取られ、その二年後に神戸へ行きました」
「というと、ここに何年まで?」
「昭和二十一年十二月と思います」
「ちょうど四十年前ですなぁ。当時は子どもの出入りが多うして、トラックで送り込まれては逃げる繰り返しやったもんねぇ」
「しかし自分は、一年間は居りました」
「ああ、そげん子も居たでしょう。中国や朝鮮から次々に引揚船が博多港に入り、一家離散した孤児も多うしてですなぁ。施設の給食ではひもじゅうして飛び出し、ヤミ市でかっぱらいを働いて店の者に捕まり、皆の見る前で引っぱたかれよった。可哀相に思いながら、こっちも南方ボケの復員兵ですけん、どげんしてやることも出来んやった」
 椅子に腰掛けて腕組みして、天井を見上げるようにして黙りこんでしまった。どんな経歴の持ち主かはわからないは、山川も同じように天井を見上げた。

 きっと、古参職員の脳裏には、いろんな光景が浮かんだいたのだろう。

 その職員が、ちょっと待ってくれと言って奥に下がった。
 
 記録を捜しに行ってくれるものと思った、山川は、期待して待った。

 職員が戻って来た。

「実は田村さん・・・・・・」
 向かい合って坐ると、気の毒そうな顔をした。
「さっき断ったごと、当園には孤児院当時の記録は県に引き継いで、何も残しておりまっせん。今しがた私が担当部署に電話してみたところ、萬行寺から引き継いだ記録が、あることはあったそうです」
「あったですか?」
「バッテン、十年ほど前に焼却処分したちゅうです。役所の書類には、保存期間がありますけんねぇ」
「焼いた・・・・・・」
「惜しかったですなぁ。十年前に来んしゃったら、手掛かりが残っておったかも知れん」
 しかし十年前は、宮城刑務所の洋裁工場でミシンを操作していた。その翌年に旭川へ送られて出自が気になり始めたが、来たくても来れないから福岡市長宛の照会手続きを取ったりしたのである。
「まぁ、会社三十年ちゅう言葉もあるです。三十年経てば会社組織といえども、多くは消滅しますけんねぇ。記録類が消滅して不思議はなかバッテン、惜しいことをしたですねぁ」
 すっかり同情した口振りなので、むしろ救われる思いがした。裁判の記録にしたところで、判決が確定すると公訴提起した検察庁に保管されるが、一定期間が過ぎると処分する。どんな有名な大事件の記録でも、公に三十年間も保管されることはない。むしろ残されるのは、個人の記録としての『身分帳』なのだろう。
 山川は、せっかく来たのだからと、萬行寺にも立ち寄ったが、やはり、記録は残っていなかった。
 
 寺の七十前後と思われる職員との会話。

「お母さんの記憶は?」
「名前は田村千代で、博多芸者をしておりました」
「お父さんは?」
「山川という名の海軍大佐と聞きました」
「誰から?」
「確か住職から・・・・・・」
「大佐ちゅうたら大したもんで、次は少将やけんねぇ」
「偉い人と芸者の間の子だから、認知されなかったと聞かされました」
「そりゃそうでしょや」
 職員は首を振って、何も言わなかった。

 山川一の、自らのルーツを捜す旅は、残念ながら不調に終わった。

 間違いなく、山川一も、戦争の犠牲者の一人と言えるだろう。

 彼のその後の“第二の人生”は、博多から東京、そして、また博多という道筋を辿ることになる。

 その内容については、ぜひ本書でご確認いただきたい。

 ちなみに、本書の本編の後には、「行路病死人ー小説『身分帳』補遺」という、ノンフィクションも収められている。

 行路病死人とは、行き倒れのことだ。

 『身分帳』の主人公山川一のモデルが平成二年十一月一日に福岡市南区のアパートで亡くなり、佐木隆三が、彼の葬式を出す顛末や、通夜、告別式に訪れた人々との交流の様子などが記されている。
 
 本編の後、この後日談を読むことで、主人公の人間像が、より明確に浮かび上がってくる。

 秋山駿さんの解説を、少し引用。

 人間的なこと。
 主人公は「筋目を通す」性格である。いわゆる真っさらな人間には、その他に生の方法がないのであろう。現実や世の中や生活での「あいまいさ」を学ぶ場面を欠くからであろう。筋目を通すことによって犯罪への走り、また刑務所で反抗し、筋目を通すことによって日常のあちこちで衝突し、日常世界の中に分け入りにくい。この光景は、人間と社会についてのいろんな問題を考えさせる。
 日常のこと。
 ここに描かれた日常の中に、主人公に意地悪な人間は見当たらない。善意の人が多い。しかし、にもかかわらず、この日常は余所者(よそもの)を排除する分厚い容器のようであって、主人公はなかなか内部に入って行けない。それがわれわれの持っている日常の恐ろしさである。

 この指摘は、山川一という前科のある人間に限ったことではないと思う。
 
 「あいまいさ」を身に付け、自分の考えに執着せず、「和を以て貴しとなす」とする人々が多い世の中で、生きにくさを感じる人は少なくないはずだ。

 頭では、多様性を大事に、とは思っていても、いざ、現実では・・・・・・。

 この問題は深いので、別の機会に何か書こう。
 
 本書では、解説の後にも楽しみがある。
 このシリーズの一回目で少し紹介したが、巻末に西川美和監督の「復刊にあたって」と題した文章がある。
 古川薫さんが、佐木隆三が亡くなった際に新聞に寄稿した文に、『復讐するは我にあり』より『身分帳』が真骨頂、とあったことから、西川監督は、この本をネットで古書を取り寄せて読んだ。そして、他人の作品を映画化したことのなかったにも関わらず、この本を土台に映画化を目指す。
 山川一のモデルとなった人物と交流のあった人々、旭川刑務所などの取材のことなども書かれている。
 どうしてもこの『身分帳』を映画化したい、という強い思いが伝わる。

 ぜひ、併せてお読みのほどを。


 本日9月10日から、「トロント国際映画祭」が始まる。

 「ライフトロント」というサイト(日本語)で、映画祭が紹介されている。
「ライフトロント」サイトの該当ページ
 アカデミー賞の前哨戦の一つとされる映画祭。

 日本からは、「すばらしき世界」と、河瀬直美監督の「朝が来る」と二本が上映される。

 先の話だが、アカデミー賞戦線も含め、楽しみにしている。

 このシリーズは、これにてお開き。

 長らくのお付き合い、誠にありがとうございます。

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by kogotokoubei | 2020-09-10 21:18 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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