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菅官房長官の総裁選出馬会見で思うこと。

 菅官房長官の総裁選出馬会見において、久しぶりに東京新聞の望月衣塑子記者の質問が許された。

 LITERAから引用する。
LITERAの該当記事

 ようやく菅官房長官と対峙することができた望月記者は、こう口を開いた。
「きょう、長官の会見の状況を見て、これまでとかなり違って、いろんな記者さんを指されているなと感じました」
 この一言には菅官房長官も笑みを浮かべたが、しかし、望月記者の追及はここからはじまった。
「私自身が3年間、長官会見を見続けているなかで非常に心残りなのが、やはり都合の悪い、不都合な真実にかんしての追及が続くと、その記者に対する質問妨害や制限というのが長期間にわたって続きました。これから総裁になったときに各若手の番記者さんが朝も夕方もがんばると思います。その都度、きょうのこの会見のようにきちんと番記者の厳しい追及を含めてそれに応じるつもりはあるのか。また、首相会見、安倍さんの会見ですね、台本通りではないかと劇団みたいなお芝居じゃないかという批判もたくさん出ておりました。今後首相会見でもですね、たんに官僚がつくったかもしれないような……」
 望月記者の質問はまだ途中だったが、ここで“事件”が起こる。なんと、司会者が「すみません、時間の関係で簡潔にお願いします」と遮ったのである。
 じつは、望月記者が安倍首相の会見の茶番について言及したあたりで、菅官房長官は目線をチラチラと横のほうに向けていた。これは官房長官会見とまったく同じで、ようするに菅官房長官は視線を向けることで司会者に「割って入れ」と指示を出したのだろう。
 官房長官会見における質問妨害について質問している最中に、よりにもよって同じように質問妨害をおこなう──。菅官房長官は、首相を目指そうというその出馬会見で、まさしく記者の質問を公然と斥けてみせたのだ。
 しかも、絶句したのは、質問への菅官房長官の応答だ。望月記者は質問を遮られたあと、「答弁書を読み上げるだけでなく、長官自身の言葉、生の言葉で、事前の質問取りもないものも含めて、しっかりと会見時間をとって答えいただけるのか、その点をお願いいたします」とつづけたのだが、この質問への菅官房長官の答えは、こういうものだった。
「限られた時間のなかでルールに基づいて記者会見というのはおこなっております。ですから早く結論を質問すれば、それだけ時間が浮くわけであります」
 菅官房長官の回答は、たったのこれだけ。ようするに、菅官房長官は“総理になっても記者会見での姿勢は変えない”と宣戦布告をしたのである。

 安倍政権発足時、唯一政権の暴走を食い止める役割を期待したのが、集団就職して苦労してきた秋田の農家の長男坊であるこの人だった。

 しかし、権力の座に長くいると、こうなるのだなぁ、としみじみ思う。

 
 官房長官会見での、「菅(官邸)vs望月」(?)について、振り返りたい。

 拙ブログで、映画「i -新聞記者ドキュメントー」や『同調圧力』について書いた記事で紹介したが、望月記者の質問には、官邸から妨害が繰り返された。
2019年12月9日のブログ
2019年12月12日のブログ
2019年12月15日のブログ
2019年12月16日のブログ

 一昨年12月、官房長官記者会見で、望月記者が行った辺野古問題に関する質問に「事実誤認」と官邸が東京新聞に抗議をした。
 2月20日に社説を含めて東京新聞は検証記事を掲載した。

 2月26日の官房長官会見で、望月記者は、あらためて官房長官記者会見で質問した。

 その際の記録。(会見内容は、官邸サイトに動画が残っている)
首相官邸サイトの該当ページ

東京新聞記者「官邸の東京新聞への抗議文の関係です。長官、午前(の記者会見で)『抗議は事実と違う発言をした社のみ』とのことでしたけども、この抗議文には、主観にもとづく客観性、中立性を欠く個人的見解など、質問や表現の自由におよぶものが多数ありました。我が社以外のメディアにもこのような要請をしたことがあるのか? また、今後もこのような抗議文を出し続けるおつもりなのか? お聞かせください」
菅官房長官「まずですね、この場所は記者会見の質問を受ける場であり、意見を申し入れる場所ではありません。ここは明確に行っておきます。『会見の場で長官に意見を申し入れるのは当社の方針でない』。東京新聞から、そのような回答があります」
東京新聞記者「今の関連ですけども、抗議文のなかには森友疑惑での省庁間の協議録に関し、『メモあるかどうか確認して頂きたい』と述べたことに、『会見は長官に要望できる場か』と抗議が寄せられましたが、会見は政府のためでも、メディアのためでもなく、やはり国民の知る権利に答えるためにあるものと思いますが、長官はですね、今のご発言をふまえても、この会見は一体何のための場だと思ってらっしゃるんでしょうか?」
菅官房長官「あなたに答える必要はありません」


 落語の科白なら「血も涙もない丸太ん棒」といったところか。

 
 昨日の会見では、菅官房長官の答えそのものも問題だが、それへの他の記者たちの反応に驚く。
 LITERAから。
 もはや、この出馬会見によって、「悪夢の安倍政権」が今後もつづくこと、いや、さらに強権性をむき出しにした恐怖の政権がはじまることがはっきりしただろう。
 その上、うんざりさせられるのは、安倍首相の辞意表明会見と同じで、本日の会見でも厳しい質問を投げかけた記者がごく一部だったこと。しかも信じられなかったのは、望月記者の質問に対し、菅官房長官が「早く結論を質問すれば、それだけ時間が浮く」と言い放ったあと、会場では笑いが起こったことだ。
 暴言を放った「次期総理」に対し、記者が声をあげて反論するでもなく、会場が笑いに包まれる……。最悪の総理が誕生しても記者がこの体たらくでは、安倍政権と同じことが繰り返されることになるのは目に見えているだろう。

 記者クラブの弊害も極まれり。

 なぜ、あの場面で笑えるのか・・・・・・。

 安倍政治の継承だから、自助>共助>公助の順で、コロナだろうが、台風災害だろうが、まずは、自己責任、という考えなのだろう。
 
 そういった無責任な姿勢に疑問をぶつけることもなく、同じ記者仲間の質問を冒涜するような応答に笑ってしまう記者たちは、いったい誰のために存在しているのか。


 以前紹介した内容と重複するが、あるジャーナリストの言葉を紹介したい。

菅官房長官の総裁選出馬会見で思うこと。_e0337777_14390988.jpg


 『ペンの自由を支えるために』は、実は、私が新聞記者を目指していた頃の座右の書だった。

 その後、新聞記者にならずに別の業界に進んだのだが、この本はまだ本棚のいつもの場所に置いてある。

 著者須田禎一さんは、明治四十二(1909)年に茨城県で生まれ、東大文学部を卒業し朝日新聞に入社。戦時中は上海などに赴任。戦後朝日を退社し、一時教職に就いたが、その後、北海道新聞の論説委員となった。60年安保で北海道新聞の鋭い政府批判を書いたり、後年は道新のコラム「卓上四季」を担当された。須田さんはフリーとなってから本書を含む著作を発表されている。

 『ペンの自由を支えるために』から引用する。

 燕が一羽とんできただけでは春とは言えない、といわれる。しかし、桐の一葉が池に落ちるのを見て“天下の秋”を予知する能力を、ジャーナリストは必要とする。最も重要なことは、その予知力を“先物買い”や“バス先乗り”に用いるのではなく、大衆のための耳目として活用することである。つまり、来るべき“秋”を“凋落の秋”ではなく“結実の秋”とするような方向へ持ってゆくことである。そのためには、いわゆるマスコミが“社是”として掲げる「公正」「不偏不党」を偽善として冷笑するのではなく、自らの位相に立って活用することである。

 果たして、今の新聞人には、桐の一葉が池に落ちるのを見て“天下の秋”を予知する能力はあるのか・・・・・・。
 もしその能力があっても、大衆のための耳目として活用する料簡はあるのか・・・・・・。

 須田さんは、紹介した文章の後で、著書『独絃のペン・交響のペン』から、1968年3月の成田空港反対闘争において、TBSのマイクロバスが反対同盟のプラカードを載せたことが“報道の中立性を侵す行為”として大量処分となったことに強く抗議している内容を紹介しているが、その中に次のようにある。

 報道の中正、主張の公正、ということは、右と左との算術的中間、ああでもないこうでもないの曖昧性を意味するものであってはならない。また惰性的な生活意識に基づく“社会通念”の上に寝そべるものであってはならない。侵略者の暴力と被侵略者の暴力とが対峙するとき、被侵略者の側に立って報道することこそが、中正で公正なのだ。

 中立、公正というのは、相対する両論を並べればいいというわけではない。

 新聞やテレビのニュース番組には、本来、そのメディアの明白な主張があるべきで、それは、国民の側、弱者の側に足場を置くものであるはずだ。

 しかし、許認可権を盾に、メディアへの脅迫まがいの妨害を続けてきた安倍政権により、志あるジャーナリストは、ほとんど舞台から姿を消されてしまった。

 一部の新聞社やテレビ局の経営者は、アベランチやアベディナーに誘われるアベトモと化し、「忖度」の達人となった。


 それでも、まだ、屈しないジャーナリストはいる。

 度重なる妨害に屈すことなく、モリカケ問題、辺野古問題などで官邸に疑問を投げかけてきた望月記者やフリーの記者たちは、間違いなく非侵略者の側だろう。

 報道の自由、表現の自由を侵略しているのは、誰なのか。

 中立どころか、侵略者側に立つメディア人が、この国を危うくさせている。


 スガトモとならず、安倍的政治に警鐘を鳴らす人々を、応援したい。

 沈黙する善人には、なりたくない。

Commented by 寿限無 at 2020-09-04 09:57
日本にはジャーナリズムが育っていないということでしょうか?
Commented by kogotokoubei at 2020-09-04 10:04
>寿限無さんへ

かつて存在していたものの、長年の政権からの破壊工作(?)により、ほとんど壊されてしまった、ということでしょうか。
今は、一部のメディアやフリーランスの数人が、権力や権威に立ち向かっている状況かと思います。
それは、立法、司法、行政という三権分立が、「かつては存在した「」、ということと同様に由々しき問題だと思います。
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by kogotokoubei | 2020-09-03 12:47 | 幸兵衛の独り言 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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