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佐木隆三著『身分帳』より(5)

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佐木隆三著『身分帳』

 佐木隆三の『身分帳』から、五回目。

 十三年間の塀の内での生活の後、身元引受人の弁護士の待つ上野駅にやって来た、山川一。

 自分は浦島太郎だ、と言う山川を、弁護士はまず最初に新橋の事務所に連れて行く。
 山手線の中。

 窓から見える東京の空は、晴れわたって抜けるように青い。冬もめったに雪が降らず交通機関も発達して、こんな便利な都会はない。それでいて生活に馴染めず、良い思い出も残っていないのは、東京の人間は冷たいからだ。
「福岡へ帰って、ルーツを捜すんじゃ」
 口の中で呟いて、車内を見回した。前に坐った乗客が、スポーツ新聞を拡げて大見出しが躍っている。イラン旅客機がイラク戦闘機に撃墜され、国会議員など四十名が死亡。“ロス疑惑”公判でポルノ女優が、三浦和義の妻を殴打した凶器はアメリカで拾ったものと証言。新幹線静岡駅で飛び込み自殺をした女子高校生の父親は、大洋ホエールズのチームドクター。
 つい覗き込んだのは、「山口組と一和会が手打ち? 警察に情報」という記事だったが、肩を叩かれた。
「降りるよ」
 気づいたら新橋駅だから、慌てて降りて弁護士の前に立ったが、少し立ちくらみを覚えた。

 昭和61年当時の世相、国際情勢が思い起こされる。

 弁護士の事務所は、商店街の古い町並みを抜けた、タバコを売る酒屋の二階だった。
 古いモルタル壁の三階建てで、不動産屋や名刺印刷の看板も出ている建物。

「気をつけなさいいよ」
 注意されながら、薄暗い階段を登った。二階の廊下の突き当たりにドアがあり、タバコ屋の真上が事務所だった。
 ストーブ暖房が効いた部屋に入ると、五十半ばの和服の女性が笑顔で迎えた。
「どうぞ、どうぞ、お疲れでしょう」
「ずっと食事をしていないどうだ。・・・・・・山川君、家内だから遠慮することはない」
 そう言われて、いっそう緊張した。手紙に「出所後はわが家に居住することにして」とあったが、刑余者が転がり込むのだから歓迎されるはずもない。
 
「山川一と申します。この度はいといろ配慮いただき、誠に有り難うございます。未熟者ですが、なにとぞ宜しくお願い致します」
「はい、はい。堅苦しい挨拶はそれぐらいにして、こちらにお掛けなさい」
「失礼します」
 丁寧にお辞儀して、ソファーに腰を下ろした。角部屋の東側に机や書類棚、北側の窓に面して応接セットが置かれている。
「山川君、食べなきゃダメだよ」
「いいえ、食べられないです」
「僕はお雑煮を食べる。君も付き合いなさい」
 ストーブの上に、鍋が乗っている。さきほどからの懐かしい匂いは雑煮だった。
「じゃあ、汁だけいただきます。お餅は喉につかえそうなので遠慮致します」
 ソファーに畏まっている間に、「すぐ山川さんと分かったんですか?」「以前に刑務所から写真が届いた」「刑務所ってそんなことまでするのねぇ」「違うよ、本人が撮影を依頼するんだ」と夫婦の会話があった。そういえば昭和五十三年の正月、旭川へ移監されて元気でいる証拠に、撮影代四百五十円のカラー写真を郵送した。
「どうぞ、召し上がれ」
 夫人に出された朱塗りの椀に、野菜と椎茸と蒲鉾が入っていた。一口すすって美味しさに胸は熱くなった

 この時、山川の胸中は、察するにあまりある。
 その味に込められた優しさ、温かさ・・・いろんなことが脳裏をかすめたに違いない。

 引用を続ける。

「そうだ、思い出しました」
 ショルダーバッグから缶ビールを取り出し、テーブルに置いた。
「車中で飲もうとして、とうとう飲めなかったんです」
「そりゃ山川君、飲める訳はなだろう」
 弁護士が声をたてて笑った。
「未決期間を入れ十三年間の拘禁生活だ。いきなりアルコールは無茶だよ」
「暴飲暴食をすると、必ずパンクすると医務官から言われました」
「高血圧にはタバコもよくない」
「それとセックスですね。この三つをコントロールしないと、パンクは避けられないと言われました」
「わかっていながら、なぜビールを買った」
「やっぱり、見栄でしょうね」
 若い警備隊員が駅の売店で、「ウイスキーのポケット瓶はどうか」と言い、ためらったら「ビール程度から」と畳み込まれ、つい買ってしまったのだ。
「せっかくの土産だから、冷蔵庫に入れておくよ」
「どうぞ先生、飲んでください」
「おいおい、世間の人が働き始める時間だ」
「ついでに先生、これも置いて行きます」
 オツマミに「かんかい」という魚の干物を買ったが、一口も齧らなかった。

 「かんかい」は、氷下魚(こまい)、とも言うが、私が冬場の酒の肴で大好きなものの一つ。
 北海道出身なので、馴染み深い食べ物。

 こちらでは、一夜干しの軟らかい氷下魚を出す居酒屋が多いが、カチンカチンの固いやつが、美味いのだ。
 丸ごと一本のスケトウダラの干物を、金槌で叩いてほぐし、少し炙ってから食べるのが最良の食べ方だと、個人的には思っている。

 とはいえ、地元でもなければ、なかなか丸ごと一本は売っていないし、あったとしても、小さすぎる。

 温暖化でタラもとれなくなり、氷下魚も高級品になってきたかな。

 話が飛んでしまった^^

 さて、これからバイトに出かけなきゃ。

 どこで昼食をとろうかな。

 しかし、山川一が感動した雑煮ほどに美味いものは、期待できないだろう。

 このシリーズ、結構長くなりそうだ。

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by kogotokoubei | 2020-08-26 11:18 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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