人気ブログランキング | 話題のタグを見る

志ん朝と夏、で思い出すことなどー美濃部美津子著『三人噺』より。

 居残り会リーダーの佐平次さんから、現在東京新聞連載中の五街道雲助「私の東京物語」の内容をLINEで送っていただいており、大いに楽しんでいる。

 東京新聞さん、購読してないのに、申し訳ありません^^

 その分(?)、貴紙社会部による本をご紹介したりしていますので、許してね。

 第三回で、雲助が子供の頃、親に連れて行ってもらったSKDのレビューの幕間で、朝太時代の志ん朝が、『あくび指南』を演じたと書いており、少し驚いた。

 レビューの幕間ということも意外だが、この噺、志ん朝がそれほど多く演じたネタではないからだ。

志ん朝と夏、で思い出すことなどー美濃部美津子著『三人噺』より。_e0337777_11081817.jpg

『よってたかって古今亭志ん朝』(志ん朝一門、文春文庫)

 これまで何度か紹介しているが、『よってたかって古今亭志ん朝』(志ん朝一門、文春文庫)の巻末には、「古今亭志ん朝 主要演目一覧」が記載されている。

 主要ホール落語会や“志ん朝の会”、先代柳朝との“二朝会”、そして大須での独演会を含め、次のような落語会における全演目が記されている。

・東横落語会  72回
・紀伊国屋寄席  68回
・東京落語会    71回
・落語研究会   101回
・二朝会     28回
・志ん朝の会   19回
・志ん朝七夜    7回
・大須独演会   30回

 さて、この合計396回の落語会におけるネタの中で、回数が多い順に並べるとこうなる。

12回( 1) 愛宕山
11回( 2) 黄金餅・夢金
10回( 4) 付き馬・火焔太鼓・品川心中・化け物使い
9回( 9) 船徳・搗屋幸兵衛・富久・酢豆腐・
   抜け雀・大工調べ・三枚起請・
   明烏・唐茄子屋政談
8回( 4) 井戸の茶碗・居残り佐平次・鰻の幇間・
   三年目
7回( 4) 大山詣り・厩火事・柳田格之進・
   お若伊之助
6回( 7) お化け長屋・文違い・干物箱・
   五人廻し・二番煎じ・宿屋の富・芝浜
5回(14) 巌流島・お直し・今戸の狐・火事息子・
   子別れ・甲府い・締め込み・茶金・
   お見立て・寝床・碁泥・刀屋・
   首提灯・四段目
4回(11) 粗忽の使者・猫の皿・小言幸兵衛・
   稽古屋・三方一両損・幾代餅・宗珉の滝・
   佃祭り・もう半分・百年目・坊主の遊び
3回(12) 花見の仇討ち・そば清・高田馬場・
   試し酒・妾馬・駒長・口入屋(引越しの夢)・
   崇徳院・三軒長屋・蒟蒻問答・文七元結・
   水屋の富
2回(20) 王子の狐・風呂敷・錦の袈裟・替り目・
   らくだ・花色木綿・中村仲蔵・おかめ団子・
   お茶汲み・雛鍔・ぞろぞろ・紙入れ・
   たがや・御慶・へっつい幽霊・豊志賀の死・
   百川・真田小僧・蔵前駕籠・浜野矩随
1回(38) 天災・元犬・粗忽の釘・ずっこけ・のめる・
   二人かしまし・和歌三神・近日息子・蛙茶番・
   麻のれん・三助の遊び・たぬき・つるつる・
   疝気の虫・因果塚の由来・宮戸川・夏の医者・
   三人無筆・しびん・禁酒番屋・紺屋高尾・
   長屋の花見・ちきり伊勢屋・素人鰻・首ったけ・
   佐々木政談・反魂香・近江八景・代脈・堀の内・
   羽織の遊び・幇間腹・千両みかん・野ざらし・
   あくび指南・強情灸・藁人形・時そば

 ということで、あくび指南は、平成六(1994)年十一月十三日、大須三日目の一席のみ。

 独演会などでは演じただろうけど、志ん朝にとっては、珍しいネタの中に入る。

 もちろん、二ツ目時代には、いろんな噺を稽古して、その中から、十八番の噺が次第に絞られてきたのだろうから、SKDレビューの幕間で演じられても、不思議はないけどね。

 大須の『あくび指南』を、昨日帰宅途中に携帯音楽プレーヤーで聴いた。
 その後に『文七元結』が控えていることもあり、短縮版なのだが、五十六歳の志ん朝のこの噺、いいのだ。


 猛暑。

 夏と志ん朝、ということで、思い浮かべるのは、まず、住吉踊りか。
 今日八月二十日は、寄席八月中席の千秋楽。

 浅草演芸ホール、志ん朝が中心となって始めた住吉踊りも、今日が楽日。

 十九年前、志ん朝は、楽日まで浅草の住吉踊りをつとめたが、後半は病院から通っていた。

 2001年10月2日のスポーツニッポンから。
 関係者によると、今年7月下旬の北海道巡業でかぜをひき、8月13日に都内の病院に入院。精密検査で、末期の肝臓がんと分かったが、同20日まで浅草演芸ホールでの高座があり、病院から通った。高座で顔色は悪く、本人も「声が出なくなってきたので、迷惑がかかるだろうか」と気にしたが、休まなかった。
 高座を終えた同23日、都内のがん研究会付属病院に転院する際、聖子夫人ががんであることを告げた。末期までとは言わなかったが「あっ、そうか」と淡々と受け止めたという。この時、弟子たちだけに事実が伝えられたが、周囲は持病の糖尿病の悪化かと思っていた。
 9月23日に、病院から帰宅を勧められ、自宅に戻った。点滴も外し体力は日に日に弱くなったが、大好きな日本酒は楽しんだ。この日午前8時に容体が悪化、最後は眠るようだった。

 大須の音源も、後半、マクラで体調のことが語られることが増えていたなぁ。

 住吉踊りについての思い出を、ごく近くにいた方の本からご紹介。

志ん朝と夏、で思い出すことなどー美濃部美津子著『三人噺』より。_e0337777_17041298.jpg

美濃部美津子著『三人噺』
 美濃部家の長女、美津子さんによる『三人噺ー志ん生・馬生・志ん朝』は、単行本が、志ん朝が亡くなった翌年の発行。
 私は、その三年後の文庫で読んだ。

 美津子さんの「あとがき」から。

 こないだ『住吉踊り』を見に行ってきたんですよ。志ん朝にとって最後の舞台となった『住吉踊り』をもう一度、この目で見ておきたくってね。
 開演前だというのに、お客さんが長蛇の列をなしていてね、ものすごく盛況でした。
 志ん朝が最後まで力を入れていた『住吉踊り』ですもの、お客さんたちも志ん朝の追悼の思いを持って来てくだすったのかなぁって、しみじみ感じましたよ。
 舞台が始まって、ずっと楽しく見てたんですけど、演目が一つ終わるたんびに、志ん朝が「いつ出るか」「いつ出るか」って思っちゃってね。
 あの子はもういないんだ、二度と舞台に現れることもないんだって、頭ではわかってんですよ。だけど、どうしても「次こそ出てくるんじゃないか」つうんで、つい舞台袖を見ちゃう。あたしん中では、まだどっかで志ん朝が死んだってことが信じられないでいるのかもしれません。

 美津子さんは、大正十三(1924)年のお生まれ。北海道で健在の私の父より二つ下だが、今年、九十六歳。
 この猛暑の中、お元気でお過ごしだろうか。


 私は、志ん朝の生の高座も住吉踊りも、経験していない。
 なぜなら、中学の受験勉強の頃に聞いたラジオの落語にはまり、高校時代は興津要さんの「古典落語」を愛読し、予餞会などで落語を演じていたものの、大学、社会人と落語から離れていて、あらためて落語マイブーム(?)が訪れたのは、志ん朝の訃報に接してからだったから。

 十九年前、追悼番組などを見て、「あぁー、なんて大事なものを忘れていたんだろう」という後悔と、喪失感。

 五十歳に近づき、そろそろ、若い時のように飲んで騒ぐことも減り、また、時間と若干の財布の余裕もできた。
 関東圏に住んでいることから出来ることだが、寄席や落語会に行きだした。
 あらためて、落語の良さをしみじみと感じる、この十年余。得難い落語愛好家の皆さんとのご縁もできた。
 そして、居残り会では、生の志ん朝を知る皆さんのお話に歓喜するのであった。


 美津子さんの本から、もう一つ、志ん朝と夏にちなむお話。

  うなぎ断ち

 志ん朝が亡くなってしばらくして、あたしの友達があたしを力づけようっていうんで、有名なうなぎ屋さんに連れてってくれたことがありました。そんときにね、うま重とお猪口を一つ多く頼んだの。
「お三人さんなのに、四ついるんですか?」って、お店にお人に言われたんで、
「ちょっと、陰膳をしたいから」
 志ん朝に、と思ったんですよ。あの子にどうしても、うなぎを食べさせてあげたかったの。
 あたしはずっと、志ん朝はうなぎが嫌いなんだとばっかり思ってたんです。ウチは皆うなぎが好きだったんだけど、ただ一人、志ん朝だけは食べなかったから。
 それがそうじゃないってわかったのは、志ん朝が出演したテレビ番組を見てたときのことなんです。司会の人に「最後の晩餐には、何を食べたいですか?」って聞かれたあの子が、「うなぎを食べたい」と答えたの。あたし、ビックリしたんです。嫌いだったんじゃなかったの? だったら何で食べなかったの? って。
 実は志ん朝の守り本尊が虚空蔵(こくぞう)様でね。谷中に虚空蔵様を奉った小さなお寺があって、お正月やことあるごとに「芸が上達するように」というんで熱心にお参りしてたの。その虚空蔵様のお使いがうなぎだったんですよ。それでお母さんに、
「あんたのご本尊のお使いなんだから、うなぎを食べないほうがいいよ」
 って言われたらしいの。それが志ん朝が噺家になった頃だから、十九のときね。以来、四十四年間、好きなうなぎをずーっと食べなかったっていうんです。それだけあの子は芸に身を捧げてたんでしょうね。
 だから亡くなったときに、今なら心おきなく食べられるだろうと思ったの。
 志ん朝の分のうな重を前に置いてね。お猪口にお酒をついで、
「強次、食べな。大好きなうなぎだよ。本当は好きだったのに食べないで、一生懸命頑張ったんだね」
 亡くなってようやく食べることができたと思うと、あたしは胸が一杯になった。あの子は「おいしい」って、思ってくれたでしょうかねえ。

 あらためて読んでみても、ジーンと、なんとも言えない思いになる。

 なお、谷中の虚空蔵様とは、松栄山福相寺のこと。

 虚空蔵菩薩や、うなぎとの関係について興味のある方は、二年前の朝日新聞神奈川版の記事に詳しいので、ご覧のほどを。
朝日新聞の該当記事

 美津子さんは、こう振り返る。

 志ん朝だけはねぇ。お父さんや馬生のように、末期のお酒を飲むこともなく逝っちゃって・・・・・・。あたしは両親や馬生が死んだときのこと言われても、何ともないんですよ。それだけ尽くしたって自負がありますから。けど、あの子の場合、患ってた時期が短くて、あっという間だったでしょ。その分、どうしても思いが残ってしまうんです。

 この文章を読んで、つい、昨年師走に、あっと言う間に旅立った、三番目のシーズーのミミーを思い出した。

 2007年に、二番目に我が家に来たシーズー、ペコが十六歳で旅立ち、翌年、一番目のカールが十九歳で逝った。
 どちらも、ある程度覚悟もでき、連れ合いと看取ることができた。

 しかし、ミミーは、肺炎で体調が急変し、十歳で、酸素室で回復を待つはずの動物病院で亡くなった。

 思いが残る、という美津子さんの気持ち、よく分かる。

 志ん朝には申し訳ないが、我が家の犬も大事な家族なので、ご容赦のほどを。

 さて、寄席には行きたいが、コロナも怖い。

 せいぜい、うなぎでも食べて、元気を出そうか。

 私の守り本尊は・・・知らないなぁ。
 
Commented by saheizi-inokori at 2020-08-20 13:27
粗忽長屋はやってないんですね。けさ志ん輔のブログで彼がこの噺で苦労していることを読んだものだから。
Commented by kogotokoubei at 2020-08-20 13:33
>佐平次さんへ

東宝の音源が出ているようですが、ホール落語ではかけていないですね。
下記、ご参照のほどを。
https://www.110107.com/s/oto/diary/detail/1685?ima=0000&oto=ROBO004&cd=rensai
Commented by YOO at 2020-08-20 15:25
ご無沙汰しております。
コロナで寄席や落語会がなくなってしまい、気持ちが落語から離れかけていました。
実は私も幸兵衛さんと同年輩の頃、落語から遠ざかっており、志ん朝さんが亡くなったのがきっかけで、再び聴き始めました。
いつでも見られると思っていた噺家さんを聞かずじまいにして、
あとで後悔しないようにしないといけませんね。
Commented by kogotokoubei at 2020-08-20 15:36
>YOOさんへ

お久しぶりです。
そうなんですよ、ここ数年、聴いたことのない方や、一度しか聴いたことのない方などの訃報が続いており、後悔ばかり。
もちろん、芸達者の中堅どころの高座にも、遠ざかっています。
寄席ロスが、結構、ぎりぎりまで高まっている今日この頃です。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2020-08-20 12:57 | 落語家 | Trackback | Comments(4)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31