佐木隆三著『身分帳』より(2)
2020年 08月 19日

佐木隆三著『身分帳』
佐木隆三の『身分帳』から、二回目。
主人公である山川一(はじめ)が、なぜ旭川刑務所に収監されていたのか。
直接の原因と、その後について。
四十八年四月、東京の葛飾区でキャバレーの店長をしていたとき、喧嘩で人を死なせて亀有警察署に逮捕された。東京地検から傷害致死で起訴され、公判中に殺人罪に訴因変更された。その年十二月、東京地裁判決は求刑どおりの懲役十年で、控訴・上告したが棄却されて、四十九年十月に刑が確定したのである。
四十九年十一月、確定移監で宮城刑務所へ送られ、満期日は五十八年四月十六日だった。しかし、工場で同囚と喧嘩した傷害罪で、仙台地裁で懲役三月を追加された。
五十二年九月、旭川刑務所へ不良移送されて、更に二回の追加刑があった。同囚への暴行で懲役十月。看守と衝突した暴行・傷害・公務執行妨害で、懲役一年二月。
こうして満期日が、延びてしまった。刑期は単純な足し算ではないから、未だ山川も計算の仕方がわからない。
結果として、昭和六十一年二月まで、ほぼ十三年間、塀の内側にいたことになる。
彼が事件を起こした昭和四十八年を少し振り返る。
主な出来事が、江崎玲於奈のノーベル物理学賞受賞、金大中事件、ツチノコ騒動、ヒット商品ごきぶりホイホイ、プロ野球は巨人の9連覇(あの頃は、まだ巨人が好きだった^^)、芸能界は、吉永小百合結婚、アイドル新御三家(西城秀樹・野口五郎・郷ひろみ)誕生、ヒット曲は「神田川」「五番街のマリーへ」「てんとう虫のサンバ」、流行語は、ボンカレーの「三分間待つんだぞ、ずっと我慢の子であった」、などなど。
この年から、十三年の間、山川一は、世間から遠ざかってきた。
では、昭和六十一年とは、どんな年だったのか。
ミニスカートの流行、チャールズ皇太子とダイアナ妃来日、NTT株フィーバーなどマネーゲーム、ヒット曲は「CHA-CHA-CHA」「DESIRE」「My Revolution」、流行語は「究極」「ファミコン」などなど。
要するに、バブル絶頂期。
このギャップは、相当大きい。
ちなみに、西川美和監督による映画「すばらしき世界」では、出所時期を現代に替えている。
それはそれで、どうなるか楽しみである。
映画.comの該当ページ
さて、出所日のこと。
午前十時ごろ、パジャマから囚衣に着替えていると、保安課から二人で迎えに来た。
「満期風を吹かさず、素直にするんだぞ」
「はい、はい」
四十四歳は「分別ざかり・・・・・・と自分に言い聞かせて房を出た。病舎に三人収容されていたが、残るのは山川より年上の二人だ。
「体の調子はどうだ?」
レントゲン室と薬局が向かい合う医務所の廊下を左へ折れるとき、年配の係官が問うた。
「大丈夫です」
「もともと丈夫なんだ」
若い係官が言ったが、聞こえないふりをした。受刑者には作業の義務があり、①生産②自営③職業訓練に分けられる。①は木工・印刷・紙細工などで全受刑者の四分の三が従事して、②は監獄の運営に必要な運搬・炊事・理髪夫などであり、③でボイラー・溶接などの訓練を受けられる者は限られている。山川としては病舎にくすぶっているより出役したかったが、騒ぎを起こすという理由で隔離されたのだ。
本書は、十三年の獄中生活から解放され、ふたたび一庶民として生きていく一人の男とその周囲の人々をめぐる物語もさることながら、日常では知り得ない刑務所内での生活や規則、看守と囚人との関係性などを知ることのできる魅力がある。
今後は、生活保護とはどんなものか、なども本書から紹介するつもり。
さて、山川が待機する部屋に、保安課長がやって来た。
「御苦労さん。山川君の場合は、いろんなことがあったからね」
「お世話になりました」
「社会に出たら、二度とこういうところに来ないように頑張ってもらいたい」
「はい」
決まり文句を聞きながら、素直に頷いた。自分でも来たくて来た訳ではない。
「自身はあるかね?」
「はい」
「こう言っては何だが、君は頭のよい人だから、プラス面に生かしてほしい」
保安課長が、表紙に『山川一 身分帳』とある綴りをめくった。
「ここへ移監されたのは、昭和五十二年九月だね」
「よく覚えています」
九月二十一日午後七時に特急「みちのく」で仙台を発ち、連絡船で渡って函館から「北海」に乗り継ぎ旭川到着が二十日日午前十一時四十分だった。
「月日の流れは早い。今から思えば、長いようで短い受刑生活だろう」
「そうですね」
相槌を打ちながら、移監直後のことを思った。
日本赤軍がダッカで日航機をハイジャックしたのは、五十二年九月二十八日だった。乗客と乗員五十六人を人質に身代金六百万ドルを要求して、獄中の九人の釈放を求めた。その釈放要求リストに、旭川で受刑中の無期懲役囚が含まれていた。無期刑で千葉刑務所に服役していたが、医療面の改善を要求して看守を刃物で人質に取る事件を起こして、処遇困難者として移監された囚人である。
仙台から移されたばかりの山川は、新入者として独房に入れられ、分類調査を受けていた。ラジオニュースが全面的にストップして歌番組になったから、「何か起こった」と受刑者が色めき立った。ニュースが停止され新聞の閲読が中止されても、百三十人居る看守の誰かが漏らせば、所内を自由に往来する雑役によって情報は拡がる。
ダッカ事件は、日本赤軍の五人が実行したという。山川が東京拘置所で、待遇改善の要求で一緒に行動した男も加わっていた。拘置所で、「連合赤軍に入れと誘われたが、「俺は右寄りだから」と断った。五十年初月のクアラルンプール事件で、“奪還”された彼はリビアでへ行ったというが、二年後にダッカ事件を起こしたのだ。
旭川に居た強盗殺人罪の懲役囚は、超法規的解釈で出て行った。「東拘で誘いに応じていたら自分も・・・・・・」と山川は後悔したが、今や満期釈放の身である。
この、超法規的解釈とやらで釈放された人物は、巻末の秋山駿の解説の中で、泉水(せんすい)博と明かされている。
山川とほぼ同じ年齢の泉水は、赤軍ではなかった。
本書でも書かれているように、千葉刑務所で同囚が病で苦しんでいるのを見かね、看守を人質にとって、その囚人を医者に診せろと要求したことが赤軍に評価され、仲間入りをさせるために釈放リストに名前が載ったのである。
なお、あさま山荘事件が起こったのは、山川の殺人事件の前年、昭和四十七年二月。
よど号ハイジャック事件は、その二年前昭和四十五年。
安保闘争や山岳ベース事件、あさま山荘事件など、その主役(?)たちの多くは、団塊の世代で、大学まで進学した者が多い。
その山川は、拘置所で彼らに赤軍に誘われた時、いったどんな思いだったのだろう。
年齢の違いよりも、その境遇の違いについて、距離感を抱いたのではなかろうか。
山川一には、しばらく戸籍がなかった。
昭和十六年生まれではあるが、正確な生年月日は不明だ。
広い意味で、戦争の犠牲者の一人と言えるだろう。
そのことは、今後このシリーズで明かされる。
山川が獄中にいる間に、安保闘争や赤軍の事件は忘れ去られ、世の中はバブルにまみれていく。
大きく様変わりした娑婆に出た彼に、どんな残りの人生が待っていたのか。
次回は、舞台が旭川から東京に移る。
