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「ぜいたく」って、何だ?

 前の記事で、小島貞二さんの『禁演落語』から、紀元二千六百年の奉祝会の直後から、お祝いムードが、戦時下モードに切り替わったことを紹介した。ちなみに、紀元二千六百年とは、昭和十五(1940)年が、神武天皇即位から、二千六百年目に当たるということ。

 小島さんの本によれば、昭和十五年十一月十日、十一日の両日、宮城外苑で奉祝会が行われ、式場では野戦料理が供され、天皇もそれを食べたというので参列者の感激は大きかったとのこと。
 そして、当日は「祝え元気に明らかに」の立て札があったのに、終った途端「祝い終った さあ働こう!」のポスターに切り替わり、やけに目についてきたのが、「ぜいたくは敵だ!」の大立て看板だったらしい。

 Wikipediaの「国民精神総動員」から、その看板写真を拝借した。
Wikipedia「国民精神総動員」

「ぜいたく」って、何だ?_e0337777_10515406.jpg


 素朴な疑問、「ぜいたく」って何だ?

 私が持っている「新明解国語辞典 第四版」には、こうなっている。

 ぜいたく【贅沢】普通の人にはそうすることが許されないほど、ゆとりが有ったり束縛無しに事が行われたりする様子。「-〔=わがまま勝手〕を言う・-な建物:-品〔=高級品〕」⇔質素

 ここからは、価値観の問題になるなぁ。

 まず、「普通」の基準が、人によって違うから、ある人の「普通」が、他人からは「ぜいたく」と思われることがある。
 次に、広辞苑は持っていないので、ネットの広辞苑検索サイトで確認。
広辞苑検索サイトの該当ページ

ぜい‐たく【贅沢】
①必要以上に金をかけること。分に過ぎたおごり。「―な暮し」
②ものごとが必要な限度を越えていること。
⇒ぜいたく‐ざんまい【贅沢三昧】
⇒ぜいたく‐ひん【贅沢品】

 ここでも、「必要」という価値観によって、違ってくる。

 ある人にとっては「必要」と思う物も、他人からは「ぜいたく」と思われることは、大いにあり得る。

 
 では、「普通」や「必要」の基準って何なのか?

 その基準が人それぞれ違うことは、決して悪いことなのではなかろう。

 一律に「これは贅沢です」と上から押し付けられることは、「普通」ではない。

「ぜいたく」って、何だ?_e0337777_11101685.jpg

井伏鱒二『黒い雨』(新潮文庫)

 以前に、井伏鱒二の『黒い雨』について書いた時、こんな文章を紹介した。
2013年6月4日のブログ

さて、主食の米麦の配給について申しますと、初めのころは一人あたり一日量三合一勺ぐらいだったと記憶いたします。間もなく米麦の代りに大豆が相当多く配給されるようになりまして、次いで外米や因果な大豆のしぼり滓が配給されるようになり、次第に減量されて大豆のしぼり滓が一日量二合七八勺になっておりました。最初の頃の配給米は玄米でございまして、瓶に入れて米搗棒で搗いて白米にしないと食べにくいので、ぶつぶつ不平を言いながら夜鍋仕事で瓶搗きしておりました。それで搗減りがして、三合一勺ぐらいの頃でも一人一日量が二合五勺強ぐらいになりました。
たぶんその頃だっとと思います。隣組の宮地さんの奥さんがその筋に呼出されてお叱りを受けたことがございました。宮地さんの奥さんは農家へ食糧を買出しに行くとき、可部行の電車のなかで隣の席の人に「このごろ配給米が三合になったので、うちの子供の教科書のなかにある言葉が改悪されました」と申されたそうでした。それは子供さんの教科書のなかにあった詩の文句が「一日ニ玄米四合ト・・・・・・」となっていたのを、米の配給量と睨み合わして「一日ニ玄米三合ト・・・・・・」と改訂されてあったから、そう申されたのだそうでした。後で奥さんから聞いた話ですと、その詩は宮沢賢治という詩人の代表的な作品で、農民の耐乏生活をよく理解した修道的な美しさの光っている絶唱であったということです。「一日に四合というのを、三合と書きかえるのは、曲学阿世の徒のすることです。子供がこの事実を知ったら、どういうことになりますか。おそらく、学校で教わる日本歴史も信じなくなるでしょう。もし、宮沢賢治が生きかえって、自分で書きなおしたとすれば話はまた別ですが」と奥さんは仰有っていました。しかし、かりそめにも国家の大方針のもとに編纂された国定教科書に関する問題でございます。

 宮沢賢治の名作『雨ニモマケズ』の冒頭は、こうなっている。太字が問題の部分。

 雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ
 慾ハナク
 決シテ瞋ラズ
 イツモシヅカニワラッテヰル
 一日ニ玄米四合ト
 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
   ・
   ・
   ・

 この「四合」を、「三合」に改竄することで、「三合が普通で、それ以上は、贅沢!」と、国が押し付けたかったのだろう。
 
 戦時下の「ぜいたくは敵だ!」という標語は、「普通」や「必要」の基準そのものを押し付けた歴史を忘れないためにも、覚えておこう。


 では、今の時代の「贅沢」って何か。

 それは、「普通」や「必要」の基準が人によって違うから、十人十色であって良いのだと思う。
 

 私は、この時期に、「Go To トラベル」で旅行するのは、とても「普通」とは思えない「贅沢」。

 無症状でも不安なので、PCR検査を自己負担で受けるのは・・・必ずしも「贅沢」ではなく「必要」なことかもしれない。
 
 とにかく、価値観によって違う。

 また、時代によっても、国民の平均的な財布具合によっても、違ってくるだろう。

 昭和の半ば、カー、カラーテレビ、クーラーが、概ね「贅沢」から「普通」あるいは「必要」というステージに替わったから、一気に普及し、「3C」の時代になった。

 携帯電話だって、贅沢な「スマホ」が、私でも持つような「普通」になってきた。

 「ぜいたく」の定義は、なかなか難しいのである。

 ちなみに、昨日、あの炎天下でテニスをした後に飲んだ生ビールは、間違いなく私にとっては「ぜいたく」な喜びの瞬間だった^^

 「贅沢」よりも「贅沢な気持ち」になれることが大事なのだと思う。


 とはいえ、今、外でマスクを外して、思いっきり空気を吸えることが、「贅沢」になりつつある。
 
 来年の今頃、それが、「普通」になっていることを祈りたい。
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by kogotokoubei | 2020-08-17 12:54 | 幸兵衛の独り言 | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛
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