青山透子著『日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす』より(9)
2020年 08月 12日
新聞のテレビ欄を見ても、あの事故に関する特別番組が、ほとんど、ない。
ニュースでは取り上げる。
毎年この日に登っていた御巣鷹山に、高齢で登れなくなった遺族のことなど。
しかし、圧力隔壁修理ミスという事故調査委員会によって結論づけられた墜落原因に疑問を投げかけ、その真相を究明する、などというテーマの番組は、ない。

青山透子著『日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす』
元日航のCAで、先輩CAも犠牲になった日航123便墜落事故の真相を、地道な調査で検証してきた青山透子さんの最新刊『日航123便墜落ー圧力隔壁説をくつがえす』から、九回目。
「第三章 沈黙と非開示ー罪を重ねる人々」より。
前回約束(?)していた、元米軍兵士で、今はベテランズ・フォー・ピース(VFP)という平和を求める元軍人の会に所属して、世界各地で講演をしている、マイク・ヘインズさんの日本講演の内容から紹介したい。
日本での講演は、日本弁護士連合会・関東弁護士連合会の共催で群馬弁護士会が行った。以前から手弁当で日航123便事件に関わってくださっている、私がよく知る弁護士の方々の主催である。
その講演は、オバマ大統領広島訪問後の2016年11月23日に行われた。マイク・ヘインズ氏が、まず最初に次のように語っている。
「これから戦争の現実をお話しする前に、私の国の大統領のオバマ氏ができなかったことを私はしたいと思います。それははっきりと謝罪することです。平和を愛するアメリカの一般市民と平和を求める元軍人会(VFP)を代表して、広島と長崎に投下した原爆についてこころからおわび申し上げます。そして沖縄に駐留した経験から、あの小さな島に、日本にある米軍基地の74%もがあるという現実、沖縄の方は米軍基地の存在を恐れながら生活することではなく、平和を享受する権利を有しています。その沖縄の皆さんに米軍がいまでも居座っていることに対して、心からおわび申し上げます」
この冒頭に飛び出た謝罪の言葉に対して、会場にいた一般市民の皆さんがとても感動したという感想を寄せていた。
8月6日、そして9日。
日本の首相は、同じような内容の原稿の焼き直しで、まったく誠意のかけらも感じないスピーチをした。
記者会見も、あらかじめ内容が決まっている質疑しか受け付けず、被爆者の皆さんの思いを引き裂くような対応に終始した。
元特殊部隊で、イラク戦争に従事し、沖縄やアフリカでの駐留経験もあるマイク・ヘインズさんの、上記のスピーチとは、あまりにもかけ離れている。
謝罪ー。彼はここから人間関係の修復が始まると語る。その謝罪は、米国文化にまで浸透した戦争と子供時代からの情報操作で無意識に刷り込まれた「強い米国、アメリカ帝国主義」が世界中に理不尽な戦争をもたらし、それによって、どれぐらいの人々が傷ついているかを実体験した経験に裏打ちされている。
マイク・ヘインズさんは、イラク戦争に従軍し、テロ行為をしているのは、イラクではなく、米国の我々ではないか、と思い悩むようになった。
彼は言う。
戦争という現場で目の当たりにしたことは、誤射で仲間が死ぬことであったり、誤った情報で一般人を殺したことであり、敵味方の境界線は全くわからない状況だった。
戦争の現場が、まったく混沌としていて、敵味方の区別もつかなくなるという状況は、私は映画でしか知らないが、イメージはできる。
日本の自衛隊は、後方支援という詭弁により、その現場に派遣される時代になった。
そのようなところに自衛隊を派遣し、憲法まで改正して軍隊にして、三菱重工やNEC、川崎重工といった軍事産業世界のトップ100に入る企業の社長が株主総会で、「日本製武器は性能がいいよ、自衛隊の皆さん、どんどん使って戦争に出向いてください」と語る日が来る。その結果、「自分のようにPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみながら帰国する兵士を多数生み、社会がそれを褒め称えるような国になりたいのですか」と元米兵は強調する。
本書では、2016年3月29日に、平和安全法制整備法および国際平和支援法という、その名称そのものが詭弁とも言える法律が施行され、自衛隊の派遣拡大、武器使用拡大、米軍への弾薬や補給支援の拡大、自衛隊員の罰則の海外適用が決まったことなどを紹介している。
そして、防衛費のこと。
特に安倍政権から防衛予算はうなぎ上りで、2020年度防衛予算は前年度当初比1.1%増、5兆3133億円と六年連続過去最高更新中である。
(中 略)
ものづくりの平和産業から軍需産業へ転換することが国家戦略として推進されていることを一般人はどこまで知っているのだろうか。さらなる防衛費を伸ばすため、安倍首相は何度も地球を俯瞰する外交と称し、政府専用機も新品の飛行機に替えて飛び回っていたが、その中身は、あれだけの原発事故を体験している国にもかかわらず、原発輸出、日本製の武器輸出のセールスマンになっていたことは、周知の通りである。
私はここに、日航123便事件との共通の「匂い」を感じる。
1985年当時、中曽根首相の肝いりで日本企業も負けてはならないと、ミサイル開発に着手し、その真っ只中で日航123便墜落事件が発生した。この時、軍需産業開発で電子関連のシステムを担っていた日本の企業も勝負をかけていた。自衛隊の装備も充実させていこうと躍起になっていた時に、事件は発生した。その際、人命救助よりも優先したのは、軍需産業推進というお金であり、自分たちの失態の隠蔽だった。墜落現場で、ガソリンとタールの臭いが充満するほどの火炎放射器という武器によって、自衛隊員が一晩中隠蔽工作のために現場一帯を焼き尽くしていたことが、日航123便の機体残骸である遺物の成分調査をした結果からわかった(『日航123便墜落 遺物は真相を語る』参照)。科学は真実を語ったのである。だからこそ、異常外力着力点の存在そのものを隠したがったのだろう。
青山さんの、中曽根時代と安倍時代に共通する「匂い」への嗅覚は、実に重要だ。
今、どれほど、その危険な匂いを感じられる人がいるだろうか。
青山さんのサイトは、最新刊の著作の名前をタイトルにしているので、今は、『日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす』公式ブログ、となっている。
青山透子さんのサイト
昨日付けで、次の内容が案内されている。
日航123便墜落の真相を明らかにする会発足のお知らせ
青山 透子
2020年8月11日
1985年8月12日(月)の墜落から35年を経て、ようやく墜落原因を追究する「日航123便墜落の真相を明らかにする会」が出来ましたことを愛読者の皆様にお伝え致します。既に上毛新聞(7月28日付社会面)に掲載されましたのでご覧ください。
ということで、リンクされた上毛新聞の記事をご紹介。
上毛新聞の該当記事
日航機墜落事故の情報公開を 一部遺族と弁護士らが新団体設立
[2020/07/28 06:00]
8月12日で35年となる日航ジャンボ機墜落事故を巡り、遺族や関係者らが国や日航に情報開示などを求めるために任意団体を立ち上げた。事故調査委員会(当時)がマイクロフィルムで保存した事故調査資料や墜落機のボイスレコーダー(音声記録装置)、フライトレコーダー(飛行記録装置)の生データの遺族への開示を要求するほか、相模湾に沈んだままになっている機体の一部残骸の引き揚げと再調査を訴える。
◎国や日航は当時応じず 時間経過し公開訴える
団体は「日航123便墜落の真相を明らかにする会」。事故で夫を亡くした吉備素子さん(77)=大阪府=が会長を務め、同じく犠牲となった客室乗務員の遺族、情報公開制度に詳しい弁護士、大学教授らが賛同する。事故についての著書がある作家の青山透子さんが事務を担当する。
同会が目指す調査資料開示を巡っては、国や日航が遺族による情報公開請求に応じず、一部遺族の不信感につながっている。世界の航空・船舶事故では数十年たってから新事実が判明する例もあるとされ、吉備会長は「35年たった今だからこそ、事故直後には難しかった情報の開示や(相模湾からの)残骸引き揚げを実現して、真相を明らかにしてほしい」と話した。
遺族代理人で、内閣府公文書管理委員や総務省「情報公開法の制度運営に関する検討会」委員を務めた三宅弘弁護士は、上毛新聞の取材に「30年もたてば全てをオープンにするというのが歴史公文書の利用についての基本原則。理由を付けて開示しないのはおかしい」と指摘する。制度本来の趣旨に基づいた適切な運用を国や日航に求めていくという。
同会の活動には、群馬弁護士会所属の赤石あゆ子弁護士らも参加する。
全国紙に、このニュースは掲載されていない。
「クライマーズ・ハイ」の作者横山秀夫が、墜落事件当時在籍していた上毛新聞のみの掲載、かな。
青山透子さんのサイトでは、この上毛新聞の記事を紹介した後、次のように続く。
この会の発足目的、メンバー、主な活動内容と共に、会の代表者の吉備素子氏からのメッセージを送らせて頂きますので、ご一読の程、よろしくお願い申し上げます。
なお、昨年7月に開催した早稲田大学法学部主催のシンポジウムから1年間、内閣府公文書管理委員等を歴任された三宅弘弁護士と共に、運輸安全委員会や日本航空株式会社に対して情報公開を求めてまいりました。そのいきさつと結果については、拙著「日航123便墜落―圧力隔壁説をくつがえす(河出書房新社、2020年7月)」において全てを明らかにした通り、墜落から2日後の日米親書において、外務省公文書には明確に「日航123便墜落事件」と記されておりました。
つまり、35年間も私たちは「事件」を「事故」と思い込まされてきたことになります。さらに、事故調査報告書別冊においては、「異常外力着力点」が計算の諸元とされており、フライトレコーダーとボイスレコーダーの解析を時系列に分析すると、「異常な外力」が「着力」した瞬間と同時刻に爆発音、異常数値の開始、さらに機長、副操縦士、航空機関士の緊張度が異常に高まり、緊急避難と異常発生を航空管制官等に伝えています。これらを客観的に分析せず、35年間も事故調査委員会(当時)が出した推定のままの結論を鵜呑みにして放置し、520名というとてつもない死亡者数に対する責任を誰も取らずに不起訴となった事実は、誰もが重く受け止めなければなりません。
青山さんや、遺族の皆さんの戦いは、まだ続くのである。
しかし、このシリーズについては、事件から35年目のこの記事で、いったんお開きとします。
まだまだ、紹介しきれない部分は多く、ぜひ、本書を実際にお読みください。
長々のお付き合い、誠にありがとうございます。
事後承諾ですみません。
1985.18.24頃に起きた悲劇の始まりは‥‥
同日時間帯に相模湾で公試中の海自・護衛艦から試射された艦対空ミサイル(標的飛翔体と模擬弾ミサイル)の巡航速度を少なく見積もってマッハ1.5とすると、日航123便ジャンボ機が離陸上昇中の速度約マッハ0.5であった事実から、前記ミサイルが日航ジャンボ機の垂直尾翼に激突した際に与えた撃力は、少なく見積もって約2トンにおよび、
垂直尾翼主体はあっけなく取り付け部から吹っ飛び、海上に向けて落下したと推定される。123便ジャンボ機の総質量から2トンの撃力にはびくともしないが、客室内での衝撃音およびコックピットにいた惣重クルー3名の方々がで体感した証言にあるように、異常を察知されている。
翌日、前記護衛艦が相模湾海面で「偶然」ジャンボ機垂直尾翼の一部を発見し、海面から艦上に引き上げた場面が、あたかも海自の手柄話のごとく写真とともに公表された。が、しかし、既に当該海自護衛艦が回収したのは、垂直尾翼一部ではなく、誤射によって衝突して吹き飛ばした垂直尾翼全体であり、報道陣に艦上で開示したのはそのごく一部に過ぎない。
事件発生当時から、破損した機体一部・垂直尾翼は既に相模湾海底には残存しておらず、海自が密かに持ち帰って秘密裏に処分している…と推定する。
一部のネット上でオレンジ色の衝突跡も鮮明な垂直尾翼(のような物体)モザイク写真が残されていた。自衛隊屋内施設で撮影されたような画像である。
一連の自衛隊による隠蔽工作が早く公になるよう、亡くなった乗員乗客520名に謹んでご報告し、追悼のよすがとしたい。
コメント、ありがとうございます。
青山透子さんが、ご指摘いただいた事故原因に、さまざまな困難を乗り越え到達したことは、もっと、知られてよいように思います。
胎児を含め521名の犠牲者の方のためにも、この事件の真相が解明されなければなりません。
