青山透子著『日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす』より(8)
2020年 08月 11日

青山透子著『日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす』
元日航のCAで、先輩CAも犠牲になった日航123便墜落事故の真相を、地道な調査で検証してきた青山透子さんの最新刊『日航123便墜落ー圧力隔壁説をくつがえす』から、八回目。
前回、「第三章 沈黙と非開示ー罪を重ねる人々」から、青山さんや遺族の方が、日航123便墜落の真相に迫るため、公文書の開示請求をしたことを紹介した。
しかし、国土交通省は、まったく関係のない英文書類、それもすでにネットで入手可能な資料のみを開示しただけで、肝腎のフライトレコーダーやボイスレコーダの全容、事故調査委員会の議事録などが非開示となった。
青山さん達は、制度で認められているように、不服申し立てをし第三者による審査委員の審査を請求したものの、その審査結果も、非開示は妥当、ということが、無駄に長い答申書で伝えられた。
決して、青山さんたちの開示請求に不備があったわけではない。
青山さん達の一連の活動には、弁護士の支援もあった。
今回、日航123便の公文書開示請求をボランティアで行ってくださっている三宅弘弁護士は、
「(国際民間航空)条約が有るから全部非公開でいい。三十年以上経ってもまだ調査中だから、国立公文書館に移管もしないという大変荒い議論だ」と憤慨する。
なお三宅弁護士は、2001年から総務省の行政機関個人情報関連の法律に携わり、情報公開法の制度運営に関する検討委員会、内閣府公文書管理委員会委員等を務め、法制度を熟知し、第二東京弁護士会会長や日本弁護士連合会副会長、関東弁護士会連合会理事長なども歴任された方である。
ご多忙な三宅弁護士の仕事の合間を縫って、私はご遺族とともに何度も事務所に伺った。
三宅弘弁護士は、安倍内閣の公文書管理の状況を批判し、共謀罪にも反対してきた方だ。
あの、桜を見る会について、バックアップデータは行政文書ではないとしていた政府に、鋭い批判をしていたことは、次の朝日新聞の記事でも紹介されている。
朝日新聞の該当記事
その三宅弁護士を、青山さんや遺族の方が頼ったのは、自然のことだったかもしれない。
お会いした当初は、世界最大単独機事故を起こした原因を記した公文書は、当然のことながら生のデータもすべて国立公文書館に移管させて、ボイスレコーダーもフライトレコーダーも国民が誰でもアクセスできるようにするのが、本来の公文書館の役目であると語られ、それを一緒に成し遂げましょうという方針を立てられた。そうなれば一番良いと同意して、これまでに調査した様々な資料を持参した。しかしその後、森友問題や加計問題が起こり、公文書管理法で定める際に想定していない“まさか”の事態が次々と明るみに出てきたのである。改定公文書ガイドラインに関わった当事者である三宅弁護士にとって、それは考えもしなかった状況であり、法で定めた深い趣旨を理解しないどころか、平気で逸脱する非常識さであった。どれほど国民のためになる法律を制定しても、実際にそれを運用する側の公務員の実態がこれでは全く意味がないということを、現在進行中の様々な事件から実感させられているのだろうと見受けられた。
例えば今、官邸は安倍首相との打ち合わせや面談記録も官庁との議事発言も指示も一切記録として残していない(2019年6月20日付『毎日新聞』)。いわば官邸の意思決定はブラックボックス状態である。加計学園問題でも検証に必要となる打ち合わせ記録が全く残されていなかったが、新型コロナウイルス対策についても何をどのように指示したのか後から全く検証できないことになる。これについても、安倍政権の責任逃れは十分あり得るのだ。
三宅弁護士は、
「ガイドライン改訂時に、首相面談記録が官邸で保存されない事態になろうとは考えもしなかった。記録がなければ、これだけ長く在任する安倍首相がどんな政策決定をしたのか検証できなくなる。歴史が残されなくなるという意味でも大問題である」と批判する。
青山さんや遺族の皆さんは、情報公開法を骨抜きにする日本政府に憤慨しながらも、アメリカへの公文書開示請求、在日米軍への情報開示請求を継続して行っている。
しかし、在日米軍への中曽根政権時代の日本とのやりとりについては、B-1指定、つまり国家安全保障に関わるため非開示となった。
それでも、青山さんは、この非開示の結果について、こう記している。
墜落原因が日本の民間航空会社とボーイング社であるとの結論に達したにもかかわらず、請求内容が国家安全保障に関係するとは、やはり自衛隊と米軍が関係していることを裏付けることが明確になったのが大きな収穫だった。
情報を入手するだけでなく、入手できないことから、真相に迫る、というなんとも骨太の精神。
もちろん、次の国土交通省のサイトからダウンロードできる、公開済の事故調査報告書や付録、別冊からも、青山さんは、さまざまな真相に迫るヒントを掘り起こしてきたことは、このシリーズでも紹介した通り。
国土交通省サイトの該当ページ
そして、多くの証言や写真、遺品などから、青山さんはこれまで地道に真相に迫って来た。
青山さんのこれまでの著作については、このシリーズの一回目で「謝辞」から紹介した。
すでに以前の著作で紹介されている重要な証拠の一つが、機内から小川哲(さとし)さんが撮影した写真だった。
Youtubeに、この写真について、フライトの様子を再現して紹介している動画が公開されていた。
その動画の中から、問題の写真を切り取った。

1985年8月12日、18:18分、あの異常外力が垂直尾翼に着力(着弾)する6分30秒前の写真だ。
この動画、続きで画像解析結果の報告をすると案内されているのだが、残念ながらPart2の動画が見当たらない。
青山さんは、過去の著作で紹介している。
画像処理の専門家にこの写真の検証を依頼したところ、「円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見えます」ということだった。
本書の「謝辞」から、あらためて引用。
前の出版社に「この本の著者にお会いしたい」と、当時運輸大臣だった山下徳夫氏から電話があった。実際に編集者とお会いした際、「オレンジ色の物体」の写った写真や、私が疑問に思うことを話したところ、「日本は何でもアメリカの言いなりだからね」と語られた。その率直な話しぶりから、“表向きは米軍としておけば日本では何事もスムーズに運ぶ、しかし事実は自衛隊だったのだ”というように、当時の大臣たちは、よくわからないままで、知ったとしても後からではないだろうかと思われた。
同じ8月12日、日航123便として墜落する同じジャンボのJA8119機に、福岡から羽田まで乗っていた山下元運輸相は、いったい、何を伝えたかったのか。彼は、亡くなった青山さんの先輩のCAから、孫のためにジャンボ機のおもちゃをもらったことを、青山さんと会った際にも振り返り、残念がっていたとのこと。
「日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす」公式ブログには、山下氏が亡くなってすぐに、面会した時の思い出を含め山下さんを偲ぶ記事が掲載されている。
青山透子さんのサイトの該当ページ
その記事から逸話をご紹介。
ポケットからいつも持ち歩いているという、川上慶子ちゃんの座席ナンバーの入ったチケットの半券のコピーを取り出して、「飛行機に乗る際のお守り代わりなんだ」とおっしゃっていたのにはちょっと驚いた記憶があります。
94歳で亡くなった山下元運輸相は、どんな秘密を墓場まで持って行ったのか・・・・・・。
とにかく、何かが、日航123便に向かってきたのである。
この小川さんの写真も重要だが、他にも、墜落事故前後、数多くの人が、異変について証言している。
たとえば、御巣鷹山近くに住む小学生、中学生が、事故から間もない時期に、ジャンボ機を追うように、二機のファントム機が飛んでいたこと、そのファントム機は、赤い物体を追いかけていたように見えていたこと、を文集などに残してくれていた。
すべてが、圧力隔壁説をくつがえす、18:24の垂直尾翼への異常外力が墜落の真相であることを導いている。
引用。
日航123便事件では、米軍と自衛隊の関与が問われている。どちらがどう関与したのかについては現時点ではわからないが、その参考として、米軍と自衛隊に所属する人々がこの問題をどのようにとらえるかについて考えてみたい。
まず1985年のは背景として日米貿易摩擦問題があり、日航123便事件翌月のプラザ合意もあってそれに絡めて米軍にやられた、という事件かという見方もあろうが、その結果として日本が対米追従している現状を見れば、弱みを握られたのが日本側であるのは事実だ。自衛隊が一晩中、人命救助よりも隠蔽工作をしていたことは、その後の調査で明らかであり、そこをとっても犯人を裏付ける証拠となる。航空自衛隊戦闘機のファントム2機が墜落前の日航機を追尾していたことが目撃されていること、練習用のオレンジ色の物体を誤って発射させて外力を発生させたことによって垂直尾翼が破壊され、それが墜落の原因を作ったこと、この点についても異常外力着力点の存在によって明確になった。今から開示される公文書を見ればより一層詳細にわかってくるだろう。
ところで私が注目したのは、軍事産業を推進したいという「ロン・ヤス」の軍需経済優先の政策がその根底にあったということである。軍事産業界がいかにして戦争を誘発するかについて、軍隊に所属していた人間で平和運動を行う人たちの本音から、その真実が見えてくる。
この後、元米軍兵士で特殊部隊の狙撃手だったマイク・ヘインズさんのことが紹介されている。
イラク戦争に従軍した彼は、沖縄やアフリカのジプチ等での駐留経験もある。現在、ベテランズ・フォー・ピース(VFP)という平和を求める元軍人の会に所属して講演活動等を行っている。日本でも講演をしている。
その講演内容などについては、次回ご紹介したい。
青山さんが、注目する、軍需経済優先政策。
1985年当時に、中曽根首相の政策主導の元、日本企業も、米国に負けてはならないと、ミサイル開発などに着手した。そういう時代背景が、日航123便墜落事件の発生につながった、ということである。

口絵の写真は、「オレンジ色塗装の軍装備品使用状況の一例」と見出しにある。
上 海上自衛隊の多用機 U-36A(図版出典:海上自衛隊HP)
中 航空自衛隊 91式爆弾用誘導装置(図版出典:Hunini)
下 MQM74C Chukar Ⅱ
オレンジ色の物体が、1985年8月12日、18時24分、日航123便の垂直尾翼に異常外力を与えたことは、ほぼ間違いなく思える。
青山さんが、遺族の方の協力も得、地道に限られた公文書を掘り起こし、遺体検死医を取材し、御巣鷹山近くの上野村村立上野小学校や上野中学校の生徒さんをはじめとする数々の証言の収集し、遺物の確認作業なども根気よく続けていった結果、なぜ先輩キャビンアテンダントを含む521名(胎児を含む)が犠牲になったのか、ほぼその真相に迫ることができていることは、疑いがない。
しかし、いわば、それらは、状況証拠とでも言うべきものかもしれない。
国が、これらの証拠を突き付けても、認めるわけはない。
ここであらためて考えるべき問題は、「ロン・ヤス」時代より、「トランブ・シンゾー」の今のほうが、日本の軍需化への度合いは大きいということだ。
それは、東京新聞社会部による『兵器を買わされる日本』から、紹介した通り。
実は、日航123便のような悪夢が、いつまた起こっても不思議がないほど、日本の空は危険なのである。
この件は、また別途書きたい。
明日、35年目の8月12日。
521名の無念を、青山さんが晴らす日が、ぜひ近く訪れることを、明日、私も祈りたい。
