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黒岩比佐子著『歴史のかげにグルメあり』より(5)


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黒岩比佐子著『歴史のかげにグルメあり』(文春新書)
 
 2008年発行の黒岩比佐子さんの本から、最終の五回目。

 本書は、著者黒岩比佐子さんの、古書や史料、資料の精読、調査によって成り立っているが、それは、他の著作物にも生かされていたことである。

 このシリーズ一回目に、次のような作品があることを紹介した。
 『『食道楽』の人 村井弦斎』(岩波書店)、『日露戦争 勝利のあとの誤算』(文春新書)、 『編集者国木田独歩の時代』(角川選書) 、『食育のススメ』(文春新書) 、『明治のお嬢さま』(角川選書) 、『古書の森逍遥 明治・大正・昭和の愛しき雑書たち』(工作舎) 、『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)など。

 では、没後に読売文学賞が贈られた名作、『パンとペン 社会主義者・境利彦と「売文社」の闘い』に関連する人物が対象となっている、「第十二章 アナーキストの「菜食論」-幸徳秋水」より。

 早熟にして病弱だった神童

 1910(明治四十三)年に起きた大逆事件(幸徳事件)の首魁であり、戦前は“極悪人”とされていたのが幸徳秋水(本名・伝次郎)である。秋水が大逆罪の嫌疑で逮捕され、非公開かつ異例のスピード裁判の後、翌年一月に刑場に果てたことはよく知られている。けれども、彼が獄中で綴った「陳弁書」の存在を知る人はわずかにすぎないだろう。

 いまや、その「陳弁書」どころか、幸徳秋水や大逆事件のこと自体が、風化しているように思う。
 引用を続ける。

 陳弁書の日付は十二月十八日。死刑判決を受ける一カ月前に、弁護人に宛てて書かれたものだ。この陳弁書の目的は、「無政府主義の革命といへば直ぐ短銃や爆弾で主権者を狙撃する者の如くに関する者が多い」ため、その誤解を解くことにあった。彼はまず、無政府主義者の泰斗とされるクロポトキンが、ロシアの公爵であり、地質学者としても数々の学問的業績で有名なことを指摘し、さらに次のように強調した。

   又(ま)た、クロポトキンと名を斉(ひと)しくした仏蘭西(フランス)の
  故エリゼー・ルクリウス(Reclus)の如きも、地理学の大学者で、仏国は彼が
  如き学者を有するを名誉とし、市会は彼を紀年せんが為めに、巴里の一通路に
  彼れの名を命けた位ひです、彼は殺生を厭ふの甚しき為め、全然肉食を廃して
  菜食家となりました、欧米無政府主義者の多くは菜食者です、禽獣をすら殺すに
  忍ひざる者、何で世人の解する如く殺人を喜ぶことがありましやうか。

 秋水がここで菜食者として名前を挙げたエリゼ・ルクリュとは、クロポトキンの親しい友人で、著名な地理学者であり、1871年のパリ・コミューン以来、アナーキストとして知られていた人物である。秋水は、人格が高尚で温和な性格であるこの二人を例に挙げて、日本人が抱いている血なまぐさい無政府主義者のイメージを否定しようとしたのだった。当時、欧米の無政府主義者の多くが菜食主義者だったという事実を、今日知っている人もまた、多くはないだろう。

 この後、幸徳秋水の生い立ちとして、明治四(1871)年に高知県四万十市の商家の三男として生まれたこと、父親が秋水が一歳になる前に亡くなり家が没落していったことなどが紹介されている。
 成人後も小柄で痩せていた彼は、三十五歳の時に「今は十一貫七百に御座候」と書かれた手紙があり、約44キログラムだったということになる。

 ひよわな子供だった反面、秋水は神童と呼ばれるほど際立って頭が良く、八歳ごろすでに小説のようなものを書き、挿絵まで描いていた。十二歳ごろになると、新聞を読んでは「自由」や「民権」ということをさかんに言い、自分で小さな新聞をつくっていたという。土佐生まれの秋水は、幼年期から自由民権運動の影響を受けて育ったのだった。

 土佐で自由民権運動、ということからは、板垣退助を連想する。

 板垣は、天保八年四月十七日(1837年5月21日)に生れ、大正八(1919)年7月16日に亡くなっている。満82歳だった。

 秋水は、前述のように、明治四年九月二十三日(1871年11月5日)生まれで、板垣の34歳も年下だが、処刑されたのは明治四十四(1911)年11月24日だから、板垣より8年も前に、満39歳で旅立ったことになる。

 明治期の土佐の自由民権運動の空気を、十分に吸っていたのだろう。

 そして、彼は、その土佐出身の自由民権運動家、中江兆民を師と仰ぎ、十七歳で兆民の家に学僕として住み込む。
 中江は板垣より10歳年下、秋水より24歳上。ちなみに、秋水の号は、中江から譲られたものだった。

 兆民と共に上京後、病気のために郷里に戻るが、再び上京して私学に国民英学会で学び、また兆民の元に寄寓している。当時の兆民は貧しく、食客の秋水もろくなものを食べられず、「明けても暮れても豆腐のからに野菜の浸す物(つけもの)斗(ばか)り」だったという。そして、日清戦争の前年に『自由新聞』に入社した秋水は、二十代で『広島新聞』『中央新聞』『萬朝報』などの新聞を渡り歩きながら、ジャーナリストとして、また名文家として、次第に名前を知られるようになる。


 秋水は、その後、社会主義に関心を持つようになる。
 1901年には、『廿世紀之怪物 帝国主義』を発表し、五月には安倍磯雄や片山潜らと日本初の社会主義政党を組織。
 しかし、結社禁止の命により、『萬朝報』社主の黒岩涙香たとともに、社会主義を名乗らない「理想団」を結社した。

 この1901年冬、足尾鉱毒事件で有名な田中正造が秋水を訪ねた。田中は、政府にいくら鉱毒被害を訴えても効果がないので、天皇に直訴すると打ち明け、その直訴文を秋水に書いてほしいと頼む。十二月十日、田中は直訴を決行したが、天皇に直訴文を渡すことはできなかった。田中は“狂人”として釈放され、秋水も警察に拘束されたがすぐに解放された。その三日後に、中江兆民がガンで亡くなっている。

 田中正造の天皇への直訴については、七年前、平成25(2013)年10月31日の園遊会で、山本太郎が天皇に原発事故被害者の実態を訴えようとした時に話題になった。
 
 さて、秋水の大きな転機は、二年後に訪れた。

 1903年は、幸徳秋水の生涯にとって転換点となった年だといえる。彼はここから、引き返せない険しい道を歩み始めたのだった。七月に『社会主義神髄』を著した秋水は、日露開戦を主張する主戦論が社会の大勢と占めるなかで、あくまで非戦論の立場を貫く。十月には堺利彦と平民社を創立し、翌月、週刊の機関紙『平民新聞』を創刊した。

 その後に秋水や堺の辿った歩みなどは、別途、黒岩さんの別な本から、そのうち紹介するつもりだ。

 では、この章のテーマである「菜食」について、もう少しご紹介。

 『平民新聞』第二十一号には、1904年3月27日に開催された「社会主義研究会」で、秋水が肉食と菜食をテーマに語ったことが報告されている。そのなかで秋水は、肉食をするために鳥獣を殺すのはいかにも残酷であり、できれば肉食をやめたいが、まだ自ら菜食を実行し、社会に勧めるまでには至っていない、と述べている。その上で、秋水は近著の外国雑誌にも触れ、フランスの最新の菜食に関する研究結果なども紹介したらしい。

 社会主義研究会では、その後も肉食のことが話題になったようだ。
 しかし、肉食を廃したとことで、植物もやはり生物ではないか、という意見もあり、なかなか、論議はまとまらなかったという。

 しかし、秋水自身は、同士のカンパを元にアメリカに渡った時の体験なども踏まえ、菜食を中心にするようになる。
 この渡米期間に、ロシアからの亡命者とも交流したことが、秋水が社会主義から無政府主義に転換したきっかけとなった、とも言われている。

 アメリカで秋水に部屋を提供したのが、フリッチ夫人というロシア生まれの無政府主義者である。秋水の日記によれば、彼女は普通選挙が無用であることや、治者暗殺について熱心に語ったという。また、秋水はフロッチ夫人の娘を通じて、イギリスに渡ったクロポトキンと連絡を取り、のちに彼の著作『麺麭(パン)の略取』の翻訳権も得ている。
 フリッチ夫人は、無政府主義者であると同時に菜食主義者で、さかんに菜食の長所を説いた。そのため、秋水のアメリカでの食生活は菜食者に近かったようだ。当時、堺が発行兼編集人を務めていた『家庭雑誌』には、秋水が在米中の1906年3月28日に執筆した「菜食主義」が掲載されている。この原稿で彼はまずアメリカで出会った菜食者を紹介しているが、その筆頭に挙げたのがフリッチ夫人で、「鳶色麺麭と菓物の煮たのばかり食って居て、暇さへあれば革命主義と菜食主義の功能を喧しく説き聞かせる」と述べている。「鳶色麺麭」とはいわゆる黒パン、ライ麦パンのことだろう。

 何を食べるかは、その人の好みだが、その好みは、場合によってその人物の哲学、というか、考え方を反映するかもしれない。

 そう考えると、社会主義者や無政府主義者が、あるいは平和主義者が、肉食を拒んで菜食主義になるのも、道理ではあるかな、と思う。

 しかし、社会主義研究会で、菜食主義への反論として出た、植物だって生物である、という発言に、私は頷く。

 それらの生命をいただくから、「いただきます」なのであるということを、果たして、令和の若者たちはどれ位理解できているものやら。
 そして、会食、飲食の席では、大きな声でワーワー騒ぐな、と言いたくもなる、今日この頃だ。

 このシリーズ、これにてお開き。
 長らくのお付き合い、ありがとうございます。

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by kogotokoubei | 2020-07-27 12:57 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛
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