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黒岩比佐子著『歴史のかげにグルメあり』より(4)

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黒岩比佐子著『歴史のかげにグルメあり』(文春新書)
 
 2008年発行の黒岩比佐子さんの本から、四回目。

 日露戦争時代のこと。

 「第八章 旅順陥落のシャンパンシャワーー児玉源太郎」より。

 型破りでいたずら好きな天才軍師

 身の丈およそ五尺(約百五十二センチメートル)といわれる児玉源太郎は、明治期でも小柄の部類に入る。二十歳で陸軍大尉になるという異例の昇進を遂げた児玉に、兵士たちが奉ったあだ名は「栗鼠(りす)」だった。1852(嘉永五)年に徳山藩士の家に生まれた児玉は、父と義兄の非業の死によって幼少期から辛苦を味わい、戊辰戦争、佐賀の乱、神風連の乱、西南戦争などを体験してきた叩き上げの軍人である。
 身長こそ低いが、児玉の肖像写真を見た人は、その日本人離れした整った容貌に目を奪われるはずだ。陸軍制度の視察のために欧州へ派遣された際、イタリアの美しい歌姫から片思いされたというゴシップも、あながち嘘ではないだろう。
 児玉源太郎の伝記は何冊も出ているが、児玉の死後、最初に出版されたのが森山守次・倉辻明義の『児玉大将伝』(1908年)で、次いで杉山茂丸の『児玉大将伝』(1918年)が刊行されると、しばらく空白期が続く。その後、司馬遼太郎の『坂の上の雲』が話題を呼び、1960年代以降は、天才軍師としての児玉が注目されるようになった。

 『坂の上の雲』の児玉は、乃木と対照的に描かれ、日露戦争の英雄としての像を定着させたと言えるだろう。

 私も、文庫(八冊)の同書を読んで、天才軍師児玉源太郎像のイメージを描いた。

 さて、この章の扉に、児玉源太郎の肖像画があるので、ちょっとピンボケだが、ご紹介。

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 う~ん、イタリアの歌姫から片思いか・・・・・・。

 その容貌についてはさておき。

 1908年刊の『児玉大将伝』によれば、青年時代の児玉は並外れた大食漢で、「児玉と言ふ男は全身胆なると共に全身胃である」と同僚の間でも評判だったそうだ。しかし、児玉は洋行の機会に暴飲暴食を改めようと改心して、帰国後は人が変わったように小食になり、大酒も控えるようになった。
 杉山が語る若き日の児玉は、破天荒ないたずら好きで、まるで子供がそのまま成人したようだ。児玉は花柳界でも遊び上手で知られ、芸妓たちに人気があった。さらに、軍人としての彼の優秀さは、多くの伝記に書かれている通りだろう。児玉は陸軍がドイツから招いたメッケルに、兵団を動かす戦術や諜報戦を学んでいる。そのメッケルは、1888年に帰国するとき、陸軍のなかで誰が英才かと問われて、児玉と小川又次(後に陸軍大将となった)の二人の名前を挙げたという。

 さて、本書では、旅順や二百三高地のことも詳しく書かれているのだが、その詳細は割愛し、食(飲?)に関する逸話をご紹介。

 祝勝会で受けたシャンパンの洗礼

 児玉の元にも、待ちわびていた旅順陥落の知らせが届いた。前出の二冊の『児玉大将伝』によれば、日付は不明だが、満州軍総司令部でも祝勝会が開かれている。主賓は第一軍付きの観戦侍従武官、外国武官等で、各軍司令官以下の幕僚が同席したという。「観戦」とはまるで見世物のようだが、日露戦争には多くの欧米の軍人が戦況視察に来ていた。1908年刊の『児玉大将伝』には、祝勝会に関する次の記述がある。

   大将は満州出征中寒さに堪へられないやうな時を除く外、成るべく盃を手にせられ
  なかったが彼の旅順陥落の報を聞きて、其の祝勝会を開いた時には、流石喜びに堪へ
  られなかたっと見え、我れを忘れて非常に多くの三鞭酒を煽って、終には外国武官から
  『三鞭酒の洗礼』を受けた。其の時は大に笑って『これでは煽るのではない浴るのだ』
  と放言せられたげな。

 「三鞭酒」とはシャンパンのことだ。外国武官からその洗礼を受けて、児玉は「煽るのではない浴るのだ」と笑ったというが、これはまさしくシャンパンシャワー(またはシャンパンファイト)ではないか。

 この後、黒岩さんも、シャンパンファイトの例としてF1の表彰式や、昨日始まったMLBの優勝パーティーを紹介している。

 まさに、日本人では児玉源太郎が、シャンパンファイトの第一号か、と思いきや、この話には、オチがある。

 実は、この話には続きがある。1918年刊の杉山茂丸著『児玉大将伝』によると、祝勝会に出たシャンパンはロシア軍から奪ってきたもので、将校たちは口々に「此奴(こいつ)は非常に旨い、普通の三鞭酒から思ふと軽い。アルコホルが殆んど無い位じゃな」と言い合っていた。そのとき、管理部の川口大尉がこっそり児玉のそばに来て、失策をしたと言って詫びた。「何じゃ」と児玉が聞くと、「三鞭酒とばかり思ひましたら、苹果(りんご)水で有りました」と小声で告げたという。
 児玉は吹き出したが、もともと悪ふざけが好きな彼としては、期せずしてこんな事件が起こったので、愉快でならない。

 なんと、旨いシャンパンと思っていたのは、リンゴジュースだった、ということ。

 この後、児玉が腸カタルで寝込むのだが、祝勝会に出たほかの将校や外国の武官は、なんともない。

 児玉は、シャンパンではなくリンゴジュースだったことは伏せるように、命じたらしい^^

 リンゴジュースを、アルコール度の低いシャンパンと思って、シャンパン(リンゴジュース)ファイトをしていた、その夜の日本と外国の軍人たちの姿を思い浮かべると、なぜか、ちょっとホッとする。


 本書では、日露戦争の作戦を練っていた児玉が、夜中に花柳界に、汚い身なりのままで出かけて、自分の素性を明かさずに楽しんていた逸話などが紹介されている。
 
 きっと、児玉は落語が好きだったのではなかろうか。これは、推測。


 司馬遼太郎は、ご存じのように、日清、日露での勝利に酔った日本が驕り高ぶり、結局、太平洋戦争の道に進んでいった、という見解のようだ。

 しかし、明治維新から日清、日露戦争までの政治家、軍人と、太平洋戦争開戦時のその職にあった人たちには、大きな違いを、私は感じる。

 また、その太平洋戦争に突入した時点よりも、もっと、明らかな誤りをしているのが、今の政治家ではないのか。


 もちろん、戦争を肯定はしない。

 戦争をできやすいようにと憲法を改悪しようとしている人間と、児玉源太郎の時代の政治家、軍人には、あまりにも大きな違いを感じる。

 明らかに、コロナ感染拡大中に、国が支援しますから旅行しましょう、人と接触しましょう、という政治家には維新の志士たちのような人間臭さも、遊び心も、見当たらない。
Commented by doremi730 at 2020-07-26 08:57
当時普段口にしないものですし、思い込めば有るかも、、、、
Commented by kogotokoubei at 2020-07-27 13:39
>doremi730さんへ

そうなんですよね。
初めて口にするなら、なおさら、分からないでしょう。
そして、リンゴジュースでも、思い込んだら、酔っぱらうかな^^

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by kogotokoubei | 2020-07-25 20:54 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


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