柳亭小燕枝が、柳家さん遊に改名。
2020年 07月 13日
改名のこと自体知らなかったので、ちょっと驚いた。
落語協会のプロフィールには、あっさりこう書かれていた。
落語協会サイトの該当ページ
1965(昭和40)年3月 五代目柳家小さんに入門 前座名「小よし」
1970(昭和45)年4月 二ツ目昇進 「小三太」と改名
1980(昭和55)年4月 真打昇進 六代目「柳亭小燕枝」を襲名
2020(令和2)年7月1日 「柳家さん遊」と改名
この「六代目」小燕枝は、正確には「七代目」のようだ。
弟弟子の柳家小袁治のブログ「新日刊マックニュース」によると、以前から小燕枝という名を変えたいと言っていたらしい。
新日刊マックニュースの該当記事
柳家さん遊、という名は、まさに「柳家」と「三遊」ということで、落語界の二大系列を並べた洒落かな、と思う。
居残り仲間からは、小燕枝という名跡が二ツ目の名だから替えたかったのでは、という指摘もあった。
なるほど、ではある。
ちなみに小燕枝代々は、Wikipediaによると、次のようになっている。
Wikipedia「柳亭小燕枝」
初代柳亭小燕枝 → 後の三代目柳亭燕路。
二代目柳亭小燕枝 → 後の初代柳家小ゑん。
三代目柳亭小燕枝 → 後の二代目談洲楼燕枝。
四代目柳亭小燕枝 → 後の橘家文三。
五代目柳亭小燕枝 - 後の六代目林家正蔵。
六代目柳亭小燕枝 - 後の三代目柳亭燕枝。
このWikipediaの記事には、小燕枝や小柳枝は、二ツ目の名で、代数を数えない文献が多いといったことが書かれている。
とはいえ、最近お姿を拝見しないが、九代目春風亭小柳枝は、すでに存在感のある名になっている。
また、瀧川鯉昇の師匠として、また奇人として有名だった八代目小柳枝も、廃業し仏門に入る直前に扇昇と改名はしているが、八代目小柳枝として知られている。
なぜ、小燕枝という名で通さなかったのかは、勉強不足で分からないが、小袁治がブログで書いているように、コロナ禍の心理的な影響もあったのかもしれない。
ほぼ一年前、昭和54(1979)年11月発行の『落語界』第24号から、小三太時代の記事を紹介した。
2019年7月3日のブログ
若いねぇ。

翌昭和55年に真打昇進し七代目小燕枝を襲名したのだが、同じ年に小朝の三十六人抜き昇進があったので、話題はそっちに持っていかれた。
小三太時代、昭和47(1972)年の第一回NHK新人落語コンクールで優勝している。
小朝が優勝する六年も前のことだ。
前座で小よし、二ツ目で小三太、そして、真打昇進で小燕枝を名乗り、すべて「小」が付いていた。
その「小」が付くのを嫌ったのかどうか。
改名の真相は分からないが、昭和20年生まれで円熟の境地。
これからも寄席で出会うと得した気分にさせてくれる、そんな噺家さんであり続けて欲しい。
芸協に遊三がいますが、ひっくり返しですね。
寄席で見ると、大友柳太郎のような立派な風貌でバタ臭い感じもします。
余計なことは滅多にしゃべりませんが、「話すテンポを早くしろ」と家元に助言された、と述懐したことを憶えています。
