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柳亭小燕枝が、柳家さん遊に改名。

 居残り会仲間で、なぜ、柳亭小燕枝は柳家さん遊に改名したのか、ということが(LINEで)話題になった。

 改名のこと自体知らなかったので、ちょっと驚いた。

 落語協会のプロフィールには、あっさりこう書かれていた。
落語協会サイトの該当ページ

1965(昭和40)年3月 五代目柳家小さんに入門 前座名「小よし」
1970(昭和45)年4月 二ツ目昇進 「小三太」と改名
1980(昭和55)年4月 真打昇進 六代目「柳亭小燕枝」を襲名
2020(令和2)年7月1日 「柳家さん遊」と改名

 この「六代目」小燕枝は、正確には「七代目」のようだ。


 弟弟子の柳家小袁治のブログ「新日刊マックニュース」によると、以前から小燕枝という名を変えたいと言っていたらしい。
新日刊マックニュースの該当記事

 柳家さん遊、という名は、まさに「柳家」と「三遊」ということで、落語界の二大系列を並べた洒落かな、と思う。

 居残り仲間からは、小燕枝という名跡が二ツ目の名だから替えたかったのでは、という指摘もあった。

 なるほど、ではある。

 ちなみに小燕枝代々は、Wikipediaによると、次のようになっている。
Wikipedia「柳亭小燕枝」

 初代柳亭小燕枝 → 後の三代目柳亭燕路。
 二代目柳亭小燕枝 → 後の初代柳家小ゑん。
 三代目柳亭小燕枝 → 後の二代目談洲楼燕枝。
 四代目柳亭小燕枝 → 後の橘家文三。
 五代目柳亭小燕枝 - 後の六代目林家正蔵。
 六代目柳亭小燕枝 - 後の三代目柳亭燕枝。

 このWikipediaの記事には、小燕枝や小柳枝は、二ツ目の名で、代数を数えない文献が多いといったことが書かれている。

 とはいえ、最近お姿を拝見しないが、九代目春風亭小柳枝は、すでに存在感のある名になっている。
 また、瀧川鯉昇の師匠として、また奇人として有名だった八代目小柳枝も、廃業し仏門に入る直前に扇昇と改名はしているが、八代目小柳枝として知られている。

 なぜ、小燕枝という名で通さなかったのかは、勉強不足で分からないが、小袁治がブログで書いているように、コロナ禍の心理的な影響もあったのかもしれない。
 

 ほぼ一年前、昭和54(1979)年11月発行の『落語界』第24号から、小三太時代の記事を紹介した。
2019年7月3日のブログ
 若いねぇ。
柳亭小燕枝が、柳家さん遊に改名。_e0337777_17415674.jpg



 翌昭和55年に真打昇進し七代目小燕枝を襲名したのだが、同じ年に小朝の三十六人抜き昇進があったので、話題はそっちに持っていかれた。 

 小三太時代、昭和47(1972)年の第一回NHK新人落語コンクールで優勝している。

 小朝が優勝する六年も前のことだ。

 前座で小よし、二ツ目で小三太、そして、真打昇進で小燕枝を名乗り、すべて「小」が付いていた。

 その「小」が付くのを嫌ったのかどうか。

 改名の真相は分からないが、昭和20年生まれで円熟の境地。
 
 これからも寄席で出会うと得した気分にさせてくれる、そんな噺家さんであり続けて欲しい。


Commented by at 2020-07-15 06:49
改名のこと、まさに寝耳に水でした。
芸協に遊三がいますが、ひっくり返しですね。

寄席で見ると、大友柳太郎のような立派な風貌でバタ臭い感じもします。
余計なことは滅多にしゃべりませんが、「話すテンポを早くしろ」と家元に助言された、と述懐したことを憶えています。
Commented by kogotokoubei at 2020-07-15 08:11
>福さんへ

「小さん」太、小「えんし」という大名跡もどきの名前が、嫌だったのでしょうか。
さすがに、さんは、三にはしなかったですね。
寄席を、しっかりと引き締める。そんな噺家さん、好きです。
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by kogotokoubei | 2020-07-13 12:47 | 襲名 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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