「一極集中」から脱皮する時ー「内田樹の研究室」より。
2020年 06月 05日
「内田樹の研究室」に、「日刊ゲンダイ」のための文章が紹介されていたので、引用したい。
「内田樹の研究室」の該当ページ
冒頭には、こんな述懐があった。
2011年の3・11の後にも「これで社会のあり方も人々の価値観も変わるだろう。変わらないはずがない」と思ったけれど実際にはほとんど変わらなかった。環境が激変し、新しい環境への適応が求められても「変わりたくない」と強く念じれば、人間は変わらない。
では、コロナ後は、どうなのか。
日本人が直面している最も直接的な環境的与件は人口減と高齢化である。これはコロナとは関係がない。日本の人口は21世紀末までに中位推計で5000万人にまで減る。80年で7700万人、年間90万人ペースで人が減る。中央年齢は45・9歳で世界一の老人国である。要するに今の人口構成を前提に設計された社会制度は遠からず全方位的に崩れるということである。
適応のための選択肢は二つしかない。
首都圏にすべての資源を集中させて、それ以外を無住の地とする「一極集中シナリオ」か、全土に広く薄く分布する「地方離散シナリオ」である。
「一極集中」であれば、狭い空間に人間を詰め込むので、スケールは小さくなるが、制度は今とそれほど変わらない。人々は相変わらず満員電車で通勤して、混み合ったモールで買い物をする。ただし、首都圏以外では、幹線道路や線路から少し離れると廃屋と耕作放棄地が広がることになる。
「地方離散シナリオ」では明治末年程度の人口が当時の生活圏に薄く広く暮らす。たぶん人口の20%くらいが農村に住むことになるだろう。食料は自給自足できるが、エネルギーの自給率を上げるためにはテクノロジーの進化が必要になる。医療や教育については制度設計を間違えなければ高水準を維持できるだろう。科学や芸術の発信力も工夫次第で高められる。だが、経済成長はもう望むべくもない。
3・11で「シナリオの変更」を突き付けられた時に、日本人は結局これまで通りの「一極集中シナリオ」を選択した。震災直後には、首都機能の分散や人口の地方移動・地方分権が提案されたけれど、ほとんど議論されないまま棄てられた。そこにパンデミックが来た。人口稠密地で感染が拡大し、経済活動は停滞した。地方離散と地方分権が進んでいれば、感染は早期に収束し、社会活動への影響も軽微で済んだかも知れない。済んだことだから検証のしようがないが。
いずれにせよ、ウィルスはこれからも間歇的に世界的流行を繰り返すし、都市への一極集中が感染症に弱いことは周知された。では、どうするのか.
とりあえず日本の政官財はこれからも一極集中シナリオにしがみつき、五輪だ、万博だ、カジノだ、リニアだと「昭和の夢」を語り続けるだろう。だが、そこにはもう未来はない。
環境の変化に本気で適応する気なら、衆知を集めて、実現可能な「地方離散シナリオ」を起案すべきである。
コロナを奇貨として、それについての本格的な議論が始まることを願っている。
コロナショックで、私もテレワークを経験している。
まだ、出勤しなければならない仕事もあって、今週は二日、来週も一日は出勤予定だ。
しかし、多くの社会人が、「結構、テレワークでできるじゃないか」という感触を持っているのではなかろうか。
私は、たとえば、首都圏の会社に勤めていても、週に一度、あるいは月に二度くらいの出社で、後はテレワークで可能な仕事も多いような気がしている。
もし、そういうライフスタイルを、国も推奨し、企業も労働者も同意のもとで進めることができたら、例えば、故郷で一人暮らしの親のことを心配することも減るかもしれない。
日本の将来人口と高齢化を、念のため確認。
Yahooニュースからグラフをお借りした。
Yahooニュースの該当記事
これが、将来人口予測。

こちらが、高齢者の割合の予測。

私も今年、前期高齢者の仲間入りをした。
十年後、私が後期高齢者になる時、高齢者は全体の三分の一に近づく。
逆に、労働者人口は減る。
そうなると、首都圏に限らず、選択肢を拡げれば、地方での就職先は見つけやすくなるのではないか。
なぜ、満員電車に乗らなきゃいけないの、という素朴な疑問は、コロナショックで一層大きな改善課題として浮かび上がるだろう。
時差出勤でも、緊急事態解除後は、とても、車中でソーシャルディスタンスを保つことができない。
今後、ますます高齢化が進み、地方の親の面倒を看なければならない、首都圏に住む人々が増える。
また、子どものいない高齢者のための施設が、首都圏だけではまかないきれない可能性もある。
あるいは、入居費用が高額で、入りたくても入れない高齢者も増えるだろう。
地方なら、もう少し費用も抑えられる施設もできやすいだろう。
やはり、「一極集中シナリオ」から、「地方分散シナリオ」への切り替えが必須なのだと思う。
国が、国家戦略として、「一極集中」から「地方分散」に舵を切らなければならないと思う。
果たして、3.11でも、喉元過ぎれば、となった日本人、もちろん私も含めて、コロナショックでは、新たな未来へのシナリオづくりを始めることはできるのだろうか。
もはや、令和の時代、「昭和の夢」という言葉が、ますます色あせて思える。
まだ、経済成長が大事なのか・・・・・・。
東京五輪やGo Toキャンペンーンなどは、本当に必要なのか。
日本列島からすれば、東京、あるいは首都圏が「三密」なのである。
もし、日本で五輪をどうしてもやりたいなら、東北五輪でもいいじゃないか。
あるいは、日本五輪、でもいいじゃないか。
昨年のラグビーワールドカップが、良きお手本である。
それを機に、どんどん地方の時代にシフトしてはどうか。
そんな気がする、今日この頃だ。
できると思いますよ。その気になれば。
なぜ、東京や大阪でなければならないのか・・・・・・。
できない理由ではなく、できることを考える、それがコロナ後、いや、3.11後の日本ではないでしょうか。
静岡や名古屋に行く時に、外国の方が沢山いて、ほほえましい光景でした。働き方改革、住み方改革。改めて見直す機会かもしれません。
私自身は、三年前から会社は週に三日出勤ペースとはいえ、繁忙期は家で仕事をしていましたので、今回のテレワークは、あまり苦にならなかったのですよ。
もう、あの満員電車には乗りたくないなぁ、というのが今の正直な気持ちです。
時差出勤ではなく、フレックスタイム導入など、新たな仕事、生活の仕方を考える良い機会だと思います。
