師匠文楽の言葉ー柳家小満ん著『べけんや』より。
2020年 03月 16日

柳家小満ん著『べけんや』(河出文庫)
2005年の初版発行の河出文庫『べけんや』は、1996年に平凡社から発行された『わが師、桂文楽』が底本。副題には「わが師、桂文楽」が残っている。
「今も生きる“わが師”」から引用したい。
今も生きる“わが師”
師匠の話で困ったのは、
「あたしが死んだら、どこへ行くつもりだい・・・・・・」
という質問であった。そんなことは仮にも考えたくないことなので、少し淋しそうな師匠の顔を見ながら、私はただ笑いながら首を傾げるだけであった。しかし、師匠はそのつど、
「小さんはねえ・・・・・・」
とか、
「盛ちゃんは・・・・・・」
と云って、現師・柳家小さん(本名・小林盛夫)の話をするので、師匠の云わんとすることは充分にわかっていた。だから、
「あたしが死んだら・・・・・・」
という問いかけは一度だけにしておいてもらいたいと思った。
五代目小さんについて、師匠は、
「三代目の『猫久』がよくてねえ。二代目の小さんの『猫久』もお墓に猫の絵があるくらいだし、代々小さんのお家芸だからね、盛ちゃんの『猫久』を聞いて、これで立派な小さんができたと思ったね」
と云った。そして五代目柳家小さん襲名については、
「いろいろと楽屋で非難があってね。それであたしが五代目(左楽)の師匠に相談をしたら、お前はバカだね、あたしがお前を文楽にする時にどれくらい敵をこさえたか・・・・・・と云われて、あたしはもう胸へ五寸釘を打たれたようにはっとしましたよ」
と云って、小さん襲名に命を張ったと語るのであった。
五代目小さんをめぐっては、八代目正蔵との襲名争いあったのだが、文楽が小三治だった五代目の襲名で押し切った。
五代目小さん襲名の背景については、競争相手だった(?)当時馬楽の正蔵が語っていることを、『正蔵一代』からほぼ二年前に書いているので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2018年3月30日のブログ
引用を続ける。
「人を見て法を説け」
という諺があるが、師匠は人を見る目が確かであったから、ほめ上手でもあり、その助言も的を射ていた。師匠の一言は、師匠を知るすべての人に深い感銘を与えたようで、今でも師匠に会った人は、たいてい、
「文楽師匠には、こんなことを云われて・・・・・・」
と、誇らしく語ってくれるのである。
「お前はあたしさえ見てればいいんですよ」
という言葉は死ぬまで変わらなかった。
「噺なんざ、まだどうてもいいんだ」
というのも、大きな意味で今でも大事に思っている。それでも、私が二ツ目になって何年かたった頃、さる人にすすめられてはじめての勉強会をひらきたいと思い、師匠にそのことを告げると、師匠は、
「勉強したものが勝ちだよ」
と云ってくれた。当日も、
「しっかりおやりよ」
と云って送り出してくれ、そのはじめての「桂小勇の会」の楽屋へ、師匠の名前で“お祝い”と書かれたビールが一ダース届いたのであった。その時のうれしさを思うと、ついつい目頭が熱くなってしまうのである。
ありましたね、新聞記事でも紹介された、勉強会での師匠の言葉や差し入れのこと。
この後も引用。
私の勉強会はその後も隔月で続けることになり、師匠にも一度出てもらって口上だけでもと思ってはみたが、師匠の体調を知る身としては、とても云い出せることではなく、それはとうとう夢で終わってしまった。
師匠亡き後、私は柳家小さん門下となって、昭和五十年に真打に昇進させていただき、三代目柳家小満んを襲名した。会の方も「柳家小満んの会」となって、平成八年の今年は二十七年目に入り、会場も最初の本牧亭からはじまり、現在は“お江戸日本橋亭”である。
本牧亭での会について、10年ほど前になるが、高円寺で開催された柳家喬太郎が小満んをゲストとして招いての会で、学生時代に受付をしていたこと、入門後、扇辰と一緒に会のお手伝いをするのが大いに楽しみだったが、二ツ目になる時、本来は喜ぶべきところ、小満んの会の前座としてのお手伝いができなくなるのが淋しかった、と語っていた。
2010年4月20日のブログ
平成八(1996)年で二十七年目、ということは、昭和四十五(1970)年に始まったということだなぁ。
ということは、今年令和二(2020)年は、五十周年、五十一年目ではないか・・・・・・。
こういう歴史を知ると、三日前に初めて行けた新参者だが、長い歴史の会にようやく参加できたことの喜びを、あらためて感じる。
文楽と小さんという二人の師匠から受け継いだ芸を、自分のものとして昇華させている得がたい柳家小満んという噺家さん、これからもその歴史に少しでも縁があることを願うばかりだ。
〇〇に入るのに誇らしいのは例えば長嶋茂雄でしょうか。
小満んの著書で驚いたのは、文楽の浮気がばれて奥様がへそを曲げた時、弟子も総出で謝罪したという話です。
人は人じゃないか、という割り切りは芸事の世界にはなく、師弟は一体なんですねぇ。
文楽の浮気については、大事にしていた煙草入れを売って奥さんへの謝罪としたことが書かれていますね。
その煙草入れはその後発見され、ある博物館に展示されていることも紹介されています。
稽古をつけていなくても、弟子は師匠に似てくる。
師弟は、そういうもののようです。
