名人たちの『小言幸兵衛』(1)ー榎本滋民著『落語俗物園』などより。
2020年 02月 23日
いつか書こうと思っていた、私の名前をいただいたネタについて。

榎本滋民さんが、『落語小劇場』の姉妹編として書いた『落語俗物園』に、この噺が入っている。
『落語小劇場』は、初版は昭和45(1970)年に寿満書店から発行され、その後、私も持つ三樹書房で再刊されたが、『落語俗物園』は、その三樹書房から昭和51(1976)年に発行された。
まず、榎本さんは、こんなことを書いている。
その場にいなかったら、なにをいわれているかわかったものではないのが、芝居という世界の恐ろしいところで、私などはかなりひどい陰口をきかれているらしく、その一つに小言幸兵衛なるあだ名もあるという。
自分では少しもううすさくないつもりで、ただ正論と原則を明確にしようとつとめているだけなのだが、乱れた世並みでは、この筋を通すことほど、煙たがられることはない。
多勢に無勢、いい加減くたびれもしたし、そろそろかわいがられる爺になろうかと思いかけたが、感じるところがあって気をとりなおし、まだ当分は幸兵衛に戻って小言をいうことにしたと、新しい芝居の稽古に入るときに冗談をいったら、ある若い俳優が私のことを、滋民が筆名で幸兵衛が本名なのだと思ったという、うそのような実話がある。
小言幸兵衛の知名度も落ちたもので、これだから古典落語もやりにくくなる一方だが、陰で呼ばれるあな名のよしみもあって、この頑固爺、私には他人のような気がしない。
榎本さんも、陰で言われていたんだねぇ、小言幸兵衛と。
しかし、本名と思われていた、とは^^
繰り返すが、この本は昭和51年発行なので、それから四十年余りを経た令和の時代、ほとんど、小言幸兵衛という言葉は死語になりつつあるのではなかろうか。
ありがたいことに、落語としては、今も、聴くことができる。
しかし、かつて落語の名人たちが語っていた内容と、今に残るものは、結構違っている。
では、かつての名人たちは、この噺をどう演じてきたのか。
冒頭の場面を、榎本さん、このように紹介してくれる。
朝起きると長屋をひと回りして、小言をいって歩かなくては、腹の虫はおさまらない。
「井戸端を長々とふさぐんじゃねえ、その顔はいくら洗ったってだめだよ。あきらめが悪いな、ほんとに。歯をみがいたらさっさと掃除をしな。朝は掃除をするものときまってるんだ。そう焚き落としをばっぱと入れなさんな。そこいらじゅう灰になるじゃねえか。足袋屋の小僧さん、なんだって居眠りするんだ。朝っぱらから。居眠りてなあ夜遅くなってするもんだ。親方に叱られるぞ。またそこのがきもそうだ。朝というとぴいぴい泣いてばかりいる。親も悪い。ちょっと外へ目ざましにつれて行くとか、なんとかできそうなもんじゃねえか。これこれ、猫のひげをぬくんじゃねえ。鼠をとらなくなっちまうじゃねえか。どこのかみさんだい、ありゃあ。小間物屋の?大きな髷に結(い)ったねえ。いくら商売ものだって、狭え路地ならつかえちまわあ。あきれたもんだ。だれだい、便所(はばかり)ん中で唄あ唄ってるなあ。変な声を出しちぇいけねえよ。人殺しとまちがえらあ。おい、飯がこげてるぜ。そう毎日こげつかしちゃあしょうがねえ。釜癖がついたといいながら、やっぱり介錯のしようが悪いから、飯をこがしちまうんだ。そうしちゃあ、結んで飯前に三つも四つも食いやがって。けちなことをいうようだが、ものの冥利ということを知らねえから困る。おかねさんとこじゃねえのかい?知ってます?知ってるんなら早く火を引きなよ。洗濯してて手が離せません?それだ。なぜ飯をたいてから洗濯をしねんだよ。あくびをしながらものを噛もうたって、そうは行かねえんだ。ああ、ああ、こんな真ん中で犬がつるんでらあ。もっと端のほうで。ずうずうしい。恥じを知れってなあこのこった。どうも見るもの聞くもの、みんな気に入らねえな」
小さんの幸兵衛か、幸兵衛の小さんかとうたわれた三代目柳家小さん(昭和五年没)をはじめ、五代目古今亭志ん生・当代三遊亭円生らによる、幸兵衛の小言を合成すると、こうなる。
すごいな、この合成した内容。
しかし、朝、近所を小言をのべつ言いながら一周りしてからが、幸兵衛さんの一日の始まり。
帰宅してからの内容について、かつての名人たちのクスグリや演出を、次回ご紹介したい。
師匠は「お前たちの考えていることなど、御見通しだ、なぜなら自分たちも弟子時代、小言をさんざん喰ってきたから」と語っている気がします。私が落語家を信頼しているのは以上のような経験を踏んでいるからです。
