画家 香月泰男ー「開運!なんでも鑑定団」で思い出した、柳家小満んの本。
2020年 01月 28日
テレビ東京サイトの該当出品作品に関するページ
すぐに、柳家小満んの本「小満んのご馳走」を思い出した。

「東京かわら版」サイトの該当ページ
この本のことは、以前何度か記事にしているが、最初の記事が、この画家のことだった。
2015年7月24日のブログ
関内での柳家小満んの会の出張販売で購入した本で、編集人の田村さん自ら販売されていた。
鑑定団で出品されたのは、出品者の来年百歳になられる祖母が大事にしていた香月泰男の本物で、予想額の三倍で鑑定された。
この画家のことが、メディアに登場するのは、嬉しい。
せっかくなので、以前の記事から引用したい。
こんなことを書いていた。
------2015年7月24日のブログ------
私は、この本で初めて香月泰男という画家を知った。
沼津の文化を語る会が発行している「沼声」に掲載された内容をご紹介。
香月は山口出身なのだが、それも良し、としよう。
小満んの本には、こう書かれていた。
命の豆の木
香月泰男の画境はシベリア抑留の日々が魂となって昇華したものに違いない。
山口県大津郡三隅町にある町立「香月美術館」へはすでに数回立ち寄っており、軽いタッチの明るい作品や、戦前の各種入選作にも親しみを覚えるのだが、やはり、あの重厚な黒を基調としたシベリア・シリーズの作品には、切々たる命の叫びを感じて、背筋を正さずにはいられない。
シベリアでの抑留生活の過酷さ、悲惨さは想像を絶したようだが、香月泰男を画家とし知ったロシア兵は、絵具のないまま収容所の壁にスターリンの肖像画を画けと命じ、そこから生まれたのが煙や廃油で作った黒の絵具で、復員後、数多の非難を押し切って、独自の黒絵具を使って画き続けたシベリア・シリーズは、かつて類のない美の世界を創り上げたのだった。
シベリアから持ち帰った命の糧であった豆の何粒から“サン・ジュアン”の木となって、美術館の庭にも植えられている。
シベリア・シリーズ57点は、遺族により45点を山口県へ寄贈、残り8点が山口県に寄託され、1979年開館の山口県立美術館に展示されているようだ。
小満んが数回訪れたという香月泰男美術館は、三隅町が現在は長門市になったので、長門市の管理である。
サイトによると、現在「香月泰男 海・山 展」が開催されているようだ。
香月泰男美術館のサイト
同サイトには、次のような奥さんの言葉が紹介されている。
主人は口下手でしたから
シベリヤでの体験は絵で語るしか
なかったのでしょう。
山口県立美術館のサイトからプロフィールをご紹介。
山口県立美術館サイトの該当ページ
三隅町(現:長門市三隅)出身。東京美術学校卒業。国画会を中心に数多くの展覧会に出品。最初期は梅原龍三郎の影響を受けた作風であったが、徐々に透明な色調の独自の作風を確立。1943年に応召、シベリア抑留を経て47年帰国。戦後、シベリア抑留体験テーマに<シベリア・シリーズ>を発表し、1950年代末から炭と方解末を使った材質感あるモノクロームの画面と、深い人間性の洞察をふまえた制作で著名になる。1974年3月8日死去。62歳
昨年、没後40年記念展が開かれたようだ。美術館のサイトのページの「原画から探る、シベリア・シリーズ」が、実に興味深い。
「山口県立美術館」サイトの該当ページ
山口県のサイトに「北へ西へ」が掲載してあったので、お借りした。
山口県サイトの該当ページ

ソ連兵から「帰国する」と言われながら,祖国とは違う方向(北、西)へ向かう列車に乗せられた、日本軍捕虜たちの不安感や絶望感の高まりを描いたものだ。
この本には、数多くの食、酒、肴のご馳走のことが、小満んならではの文章と自作、他作を含む多くの俳句、川柳などを交えて書かれているが、私は香月泰男について書かれたこの短い文章を、まっさきに紹介したいと思った。
もちろん、絵画なので、‘見る’ご馳走ということで本書に加わったのだろう。
しかし、ご馳走として味わえるかどうかは、その人の味覚次第でもある。
この人類にとって貴重なご馳走を、同じ山口出身のあの男は味わうことができるだろうか。
そもそも、安倍晋三は、香月泰男と彼が描いたシベリアを、さて、知っているのだろうか。
昨今、噺家さんによっては、マクラで時事的な風刺をふって本編に入る方も少なくない。
その舌鋒が似合うのは、やはり、それ相応の年齢、見識がある噺家さんだ。
小満んは、ほとんど、時事的な要素をマクラでは含まず、あくまで、噺の内容に沿った俳句や川柳などをふって、江戸の香りを漂わせて本編に誘い込む。
きっと、江戸の噺をするのに、平成の世の雑音は野暮、と思っているような気がする。
------2015年7月24日のブログは、ここまで------
すでに、リンク切れとなっているサイトのページもあるが、お借りした画像を含め、あえて同じ内容で引用した。
特に、「北へ西へ」は、掲載したかった。
この本には、昨年三月の関内での小満んの会の千秋楽、意を決して(?)サインをしていただいた。


「お手ゝで 口説くのよ」 大学様に代って
としたためていただいたのだ。
小満ん師匠、今夜、この番組ご覧だったのかどうか・・・・・・。
ともかく、香月泰男のことがメディアで取り上げられたことを、素直に喜ぼう。
志らくがバラエティに進出したのは、師匠譲りの風刺力からでしょうね。
一方、さん喬によれば、時事のマクラを振ったら、小さんに小言を食らったそうです。
「誰もお前の意見なんか聴きにきていない」
思えば、小満んの師も小さん。
志らくに風刺力があるかは、私には疑問です。
落語家ならば、その対象は、権力者であり、江戸時代なら庶民から侍に向かってのものでしょう。
しかし、彼の批判の対象はどこに向かっているのでしょうか。
聴きたいなあ。
