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立川談志著『食い物を粗末にするな』より(3)


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立川談志著『食い物を粗末にするな』

 『食い物を粗末にするな』から三回目。
 同書は、2000年3月に講談社+α新書で発行。副題に、「並の日本人」の食文化論、としてある。

 前回、本書の題に相応しい、第一章から紹介したのだが、実は、本書全体としては、それほど題にちなんだ内容ばかりとは言えない。

 これは、家元の他の著書でも時折あることだが、いろんな話題に発散したり、横道にそれたりしている。また、それが魅力でもある。

 そんないろんな話の中に、岩室温泉への小さな旅の記事でご紹介した、田んぼのことは、しっかり書かれている。

 「第三章 食いたきゃ己の手で作れ」から、引用。

 ズッシリと重い米

 家元、威張るようだが(いつも威張ってるが・・・・・・)、なんと、「田圃」を持っているのだ。つまり、“米が穫(と)れる土地を持ってる”ってことだ。それも米処は本場も本場、新潟の米処、西蒲原郡は岩室という土地だ。
 どうでえ、偉いだろ。有名人で田圃を持ってるのは、家元と、あと・・・・・・、日本の家元天皇家ぐらいだ。小渕も、菅も、不破も、小沢も持っていない。たけしも、毒蝮も高田も、長嶋も持ってはいまい。
 でも、考えて見りゃあ、妙な話だ。以前だったら、“田圃を持ってる”なんてなァ、田舎っぺいの証拠(あかし)だったのに・・・・・・。
 日本中が田舎っぺいになり、それが東京に集ってきたから、東京中は田舎っぺい。“故郷の訛を上野駅に懐かしく聞きに行った”啄木の時代が羨ましい。

 上野駅にある啄木の歌碑のことなど、どれだけの人が知っているやら。
 明治四十三(1910)年刊行の『一握の砂』の次の詩が、15番ホームにある。

   ふるさとの訛なつかし
   停車場の人ごみの中に
   そを聴きにゆく
         
 新幹線ホームしか知らない人が、今はほとんどではなかろうか。

 かつて、上野駅は、田舎っぺが憧れた駅だったなぁ。
 私が、五歳頃に父に連れられて、招待旅行で初めて東京に来たのも、寝台列車で上野が終点だった。
 なんと、その時に、はとバスで浅草演芸ホールに立ち寄って、てんや・わんやの漫才に笑ったことを覚えている。落語は、覚えていない^^

 本書に戻ろう。

 田圃を持つようになったキッカケも面白い。つまり、家元縁も由緒(ゆかり)もない。新潟の岩室の地に“何で田圃を持ったのか”ということが、ネ。
 ある時、この村の有志、と言うのか“村起こし”か、“興し”か知らないが、その有志の一人から手紙が来たよ。
「どうです家元、田圃を持ちませんか、一反ぐらいどうですか。この村は豊かだし、温泉も出る。米か美味い。それに競(くら)べると隣の村は温泉は出ないし、米も良くない。食べものは不味いし、土地も痩せてて、選挙違反も多い・・・・・・」
 粋な文句だ、呼びかけだ。家元の受けを狙い、当てている。加えて、“隣の村に桂三枝が来る・・・・・・”とサ。ということでOK、家元、お引き受け。


 岩室温泉について書いた記事で、談志の田圃のことを、岩室温泉観光協会のサイトから引用した。
岩室温泉観光協会のサイト
 この本では、大幅に割愛しているが、田圃を持つまでには、落語会での縁があった。
 あらためて、ご紹介。

談志の田んぼ開始までの経緯

昭和60年12月岩室村商工会青年部主催「第1回岩室寄席 春風亭小朝独演会」開催。昭和61年4月「吉窓・小満女二人会」により上記青年部員を中心に岩室落語会発足。
その後、岩室寄席と並行して小さな落語会を毎年開催し、現在まで続く。昭和62年江戸文字 立川文志師に談志師匠出演を依頼。12月「第3回岩室寄席 立川談志独演会」開催。
これが私たちと談志師匠との出会い。昭和63年~ 小さん、志ん朝、円楽、円蔵、円窓、各師匠出演の 岩室寄席を開催。平成5年12月「第9回岩室寄席 立川談志独演会」開催。平成6年11月「第10回岩室寄席 立川談志独演会」開催。
この10回をもって、商工会青年部主催の「岩室寄席」終了。
「岩室寄席」は終了したが談志師匠との接点を持ちつづけたいと 岩室落語会のメンバーは思っていた。そこで
.
「家元談志の田んぼ」

1)田んぼ一反の米を毎年師匠に進呈させていただく。(コシヒカリ8~10俵)
2)その田んぼは談志師匠の米であることを表示する。
3)年一度、田植え、稲刈り又は生育の視察の際に落語会、または宴会を持っていただく。
と談志師匠にお願いする。

江戸文字 立川文志師のお骨折りもあり、また、米に弱い世代でもあり、快諾していただく。平成7年10月25日の収穫祭=稲刈りより「談志の田んぼ」開始。
以降、毎回お家元来田し、手植え、手刈り、天日乾燥による農作業を実践。毎回、田植えと稲刈りにお家元が訪れ、夏井のじいちゃん、ばあちゃん、とうちゃん、かあちゃんと農作業に勤しむ不思議な空間、時間。この地に合うのか合わないのかを超えた存在感?そこで交わされる会話。教えてあげない。今度来ればいい…
 
 こういう、いきさつ。

 談志は、田植えに出向き、稲が実るまで土地の人に任せて、刈り入れ「新嘗祭」に再訪。

 仕事を終えて、・・・・・・と言っても大して刈るわけじゃあない。何せ天皇と同じくらいの労働力・・・・・・。その後に飲むビールも結構だが、そこに出される握り飯の旨さは格別。一口にこれを褒めるとすると、「米がズッシリと重い・・・・・・」、御飯が重いのだ。パンみたいに軽くない。
 ナニ、パンと比べることはないが、都会の米と違う。軽くない。重い、・・・・・・くどいか。そして一粒一粒がピカピカと秋の陽に輝いて・・・・・・、これが沖縄は粟国島の塩で食うと文句なし、この塩も旨(うめ)え・・・・・・。

 岩室温泉の記事で紹介した写真をあらためて。

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 高島屋の囲炉裏端でお茶を飲んでいる。

 これが、「ズッシリ」と重い握り飯を味わった後、なのかどうかは分らない。

 落語会の後か、あるいは田植えか稲刈りの後なのか・・・・・・。


 この正月、久しぶりに若い頃に知り合った金子君との縁で岩室へ行き、家元の写真を見つけて、ずいぶん前に読んだ本を再読した。

 家元は、たんに食べ物を大事にしただけでなく、日本の食文化を大切にしていたと思う。

 タピオカの店の行列を見たら、家元ならどう言ったか。

 叱ってくれる大人がどんどんいなくなり、その役割が自分たちの世代に回ってきたようにも思う。
 こんなちっぽけなブログでも、何か出来ることはないか、なんて思うこともある。


 さて、そろそろ、「食」を少しでも支えるためにバイトに行かなきゃ。

Commented by at 2020-01-13 07:03 x
談志は落語より言動の方が面白いと言った人がいます。談志が聞けば「冗談じゃねぇ」となるんでしょうが・・・
啄木の歌が紹介されていて、嬉しくなりました。パントマイムの名手啄木。
君に似し 姿を街に 見る時の こころ躍りを あはれと思へ
Commented by kogotokoubei at 2020-01-13 10:02
>福さんへ

何度か書いてきましたが、談志は、噺家よりも芸能評論家としての力量を、私は評価しています。
八代目柳枝を知ったのも、談志の本でした。
そして、芸能に限らず歴史の証人でもあったと思います。
戦中の空腹という原体験を持つ人々が次第に去って、そんな時代、そんな歴史があったことが忘れ去られていきます。
上野駅、という言葉で郷愁を誘われる年代も、少なくなってきました。
昭和は遠くなりにけり、です。
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by kogotokoubei | 2020-01-11 10:27 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛