岩室温泉にて(3)
2020年 01月 03日
高島屋の囲炉裏端に、こんな良寛さんが鎮座まします。


前回の記事で、「霊雁泉」の額の文字も、良寛であると説明した。

岩室温泉観光協会のサイトに、しっかり、良寛との縁も説明されている。
岩室温泉観光協会のサイト
良寛和尚(俗名:山本栄蔵)は出雲崎の庄屋橘屋の長男として、宝暦8年(1758)生誕。
18才で光照寺(出雲崎)で悌髪し、仏門に入る。22才から37才の間、岡山県倉敷市「円通寺」で国仙和尚の弟子として修行、「大愚良寛」と改める。その後、国上寺五合庵、乙子神社、寺泊の密蔵院で69才まで住まいし、晩年の6年間は島崎(旧和島村)の木村家で供養うを受け、天保2年(1831)1月6日74才で死去。
国上山での頃から、良寛和尚は旧岩室村の医家・山岸楽斎や小川家、堀越家をはじめ岩室温泉、間瀬に度々足を運び、多くの詩歌を詠んでいます
私は、新潟市に一年、長岡に六年、二十代の時に住んでいるので、良寛が出雲崎生まれであることは知っていた。
しかし、岩室との関係は、知らなかったなぁ。
観光協会のサイトには、こんな短歌と歌碑のことも紹介されている。

さて、次は、高島屋料理長と私との縁について。
私が大学を出て、とある広告代理店に就職し最初の勤務地が新潟市の支店。
翌年、長岡の支局(支店より大きい)に転勤となり、あるアパートに住んだのだが、その一階が、住居も含め割烹料理屋さんだった。
二階が私の部屋。
そのお店とは、家族のようなお付き合いになり、仕事が終わると、「ただいまぁ」とお店に入る生活を、六年近く過ごしたのであった。
支払いは、盆暮れでまとめて。
ほぼ毎日のように、夕食はそのお店^^
知り合いのテレビ局の若手や、行きつけのジャズ喫茶の仲間を誘って、割烹の主人に無理を言って、「河豚フルコース呑み放題五千円」とかの企画をして、数名集めて宴会をしたことも、度々。
実は、連れ合いとの縁も、その長岡のジャズ喫茶仲間からの紹介であった。
その割烹で修行をしていたのが、今は高島屋の料理長となった、金子君。
宿を離れる前に、彼が挨拶に来てくれて、少し立ち話。
ほとんど、昔のままだ。
もっと年は私より下かと思っていたが、一つ違いだった。
あのアパートの割烹で勤めた後も、いろんなお店で修行を重ね、高島屋に来て三十六年になると言う。
彼がこの老舗旅館の料理長になったと年賀状で知り、二十年ほど前に、連れ合いと義父、義母、連れ合いの弟一家四人と大勢で年末に泊まって以来の、再会だ。
彼から、ぜひまた、じっくりできる時期にと言われたが、まったく同感。
一緒に、飲みたいものだ。
いろいろ、懐かしい、お互い若い頃の思い出が、たくさんある。
たぶん、ちょっとした喧嘩も、したはず。
お互い二十四、五の頃だからね。
高島屋のサイトには、このように紹介されている。
高島屋のサイト
花鳥風月を慈しむ心と繊細な技で、ひと品ひと品手間を惜しまずお作りする伝統日本料理です。
高島屋のお料理はその日仕入た旬の食材で献立を創ります。
料理長金子靖のプライドをかけた繊細なお料理をぜひご賞味下さい。
その料理、たしかに、どれも美味しかった。
献立表の最初に出される酒菜は、この内容。

写真を撮るのは、忘れて食べた^^
かろうじて撮ったのが、焼き物。


献立表には、こんな挨拶があった。

ほぼ四十年前、お互い二十台前半で出会った金子君と私。
その彼が、立派に老舗旅館の食を守っていることは、嬉しい限り。
また、そうは忙しくない時期に来て、ぜひ、一献酌み交わしたいものだ。
では、岩室シリーズは、これにてお開きです。
書も素晴らしい金子さん。
良寛さんといえば、枝雀さんが良寛を演じたドラマを思い出します。20年位前だったかと検索すると1993年元日放送だった様です。
http://www.bpcj.or.jp/search/show_detail.php?program=126243
尼僧役で新潟出身の樋口可南子さんも出演。彼女のデビュー作「こおろぎ橋」は、お隣の石川県でしたね。
凄いキャスティングのドラマだったんですね。
出雲崎には、数々の良寛ゆかりの史跡がありますが、岩室で出会うとは思いませんでした。
でも、ほぼ20年前にも、きっと木像も額もあったはず。
その時は、ゆっくり館内を眺める心境ではなかったのかもしれません。
こちらこそ、本年もよろしくお願いします。
