岩室温泉にて(2)
2020年 01月 02日
泊まった宿、高島屋のすぐ脇にある北国街道の里程標。

元旦朝の散歩で、その近くの交差点「岩室」で撮った交通標識が、こちら。

時代の流れか^^
北国街道について、岩室温泉観光協会のサイトから引用。
岩室温泉観光協会のサイト
大和朝廷が開き、上杉謙信が整備した北国街道。新潟湊が発展すると出雲崎から新潟まで延長されました。
江戸時代には、脇街道として制定され信州追分(上田)から直江津で北陸道に合流、出雲崎-弥彦-岩室-新潟までを「北国街道」と呼びました。
大和朝廷にまで、さかのぼるとは。
朝風呂に入った後、散歩する前に玄関広間に出て、池を眺めた。

少しだが、雪。
庭を眺めた目を上にやると、こんな額が。

これは「霊雁泉」と書かれており、書いたのは、良寛なのである。
観光協会のサイトに、この「霊雁」の由来が紹介されている。
岩室温泉の生い立ち
岩室温泉は、別名「霊雁の湯」とも呼ばれています。
それは、正徳三年(1713)、白髪の老翁が庄屋高島庄左衛門の夢枕に立ち、そのお告げ通りにこの地を探すと、一羽の傷ついた雁が泉流に浴して怪我を癒 していたことから、源泉を発見したとされる不思議な言い伝えに由来しています。また、寛政十二年(1800)の「岩室村明細帳」という報告書によると、温 泉地としての営業がおおやけに認められたのが、正徳三年であったと記されています。この公認があった年から、岩室が温泉地として一層活気づき、その後の発 展の出発点となったことを考慮すると、この「霊雁の湯」伝説には、さらなるこの地の繁栄を願う村民の思いが込められていることがうかがわれます。
こういうおとぎ話のような話、好きだなぁ。
さて、散歩している間は、それほどでもなかった雪が、部屋に戻ると、一時だが少し強く降ってきた。
部屋の庭の笹にも、雪が。

落語『ねずみ』などのマクラ、「旅人は ゆき呉竹の 群雀 泊まりては発ち 泊まりては発ち」を思い出した。
そうそう、談志家元と岩室との縁について、ご説明しなければ。

観光協会のサイトに、しっかり説明がある。
長くなるが、引用したい。
「談志の田んぼ」で岩室と交流
日本有数の米作地帯=越後平野を特徴づけていた「はさ木」。
岩室温泉から程近い夏井地区に今も残され、越後の田園風景を懐かしむ俳人、写真家や画家が訪れる。その中の一反の田んぼに一枚の看板。立川流落語会家元=立川談志師匠が、自ら手で苗を植え、稲を刈り、はざ架けをするもの。
談志の田んぼ開始までの経緯
昭和60年12月岩室村商工会青年部主催「第1回岩室寄席 春風亭小朝独演会」開催。昭和61年4月「吉窓・小満女二人会」により上記青年部員を中心に岩室落語会発足。
その後、岩室寄席と並行して小さな落語会を毎年開催し、現在まで続く。昭和62年江戸文字 立川文志師に談志師匠出演を依頼。12月「第3回岩室寄席 立川談志独演会」開催。
これが私たちと談志師匠との出会い。昭和63年~ 小さん、志ん朝、円楽、円蔵、円窓、各師匠出演の 岩室寄席を開催。平成5年12月「第9回岩室寄席 立川談志独演会」開催。平成6年11月「第10回岩室寄席 立川談志独演会」開催。
この10回をもって、商工会青年部主催の「岩室寄席」終了。
「岩室寄席」は終了したが談志師匠との接点を持ちつづけたいと 岩室落語会のメンバーは思っていた。そこで
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「家元談志の田んぼ」
1)田んぼ一反の米を毎年師匠に進呈させていただく。(コシヒカリ8~10俵)
2)その田んぼは談志師匠の米であることを表示する。
3)年一度、田植え、稲刈り又は生育の視察の際に落語会、または宴会を持っていただく。
と談志師匠にお願いする。
江戸文字 立川文志師のお骨折りもあり、また、米に弱い世代でもあり、快諾していただく。平成7年10月25日の収穫祭=稲刈りより「談志の田んぼ」開始。
以降、毎回お家元来田し、手植え、手刈り、天日乾燥による農作業を実践。毎回、田植えと稲刈りにお家元が訪れ、夏井のじいちゃん、ばあちゃん、とうちゃん、かあちゃんと農作業に勤しむ不思議な空間、時間。この地に合うのか合わないのかを超えた存在感?そこで交わされる会話。教えてあげない。今度来ればいい…
という縁なのであった。
“この地に合うのか合わないのかを超えた存在感”とは、なんとも言い得て妙^^
家元が食べ物を粗末にしないことは、有名。
そういう題の本まで書いている。
賞味期限など無関係に、冷蔵庫にある食材で、なんとも不思議な料理をこしらえて、弟子たちにも食べさせていた。
そういう考えが、この「談志田圃」にもつながったのかもしれない。
では、少し長くなったので、次回は、良寛と岩室、そして、私と高島屋との縁などについて書くつもり。
実は、今日は休みの予定だったのだが、バイトのメンバーのお一人が身内に不幸があり出れなくなり、助っ人に行くのである。
持ちつ持たれつ、だからね。
燕三条の先ですか。向こうの海の先は佐渡ですね。
良寛さんも行かれたのでしょうか?
雪は多くなかったのでしょうか?
義母は、杖か歩行器がなければ歩けないので、エレベーターのない、階段を合計二十七段上がる部屋まで行ったり、お風呂に行くのは大変でした。
しかし、来年来れるかどうかも分らす、思い切って行って来た次第です。
雪は少なかったです。
本年も、よろしくお願いします。
「こうやって汗を流して得たものは尊い」みたいなことを言っていました。
時々いやに真面目になるヒトですね。
飢えは談志のテーマであり、一番うまいものはチョコレートだと、世代を感じる話をしたのを記憶しております。
