芭蕉と金馬の命日に、こんなことを思った。
松尾芭蕉の命日。
芭蕉は、寛永二十一(1644)年生まれで、 元禄七年十月十二日(1694年11月28日)に、満五十歳で旅立った。
号に、風羅坊があり、これは、落語『金明竹』の後半、あの上方の男の道具づくしに登場する。
この噺を十八番とした噺家として、三代目三遊亭金馬を外すことはできない。
私が、仲間内の宴会で演じた『金明竹』は、金馬版である。
実は、11月8日は、金馬の命日でもある。
前の東京五輪が開催された昭和三十九年のこの日に、旅立っている。
なんとも不思議な巡り合わせ。
旧暦と新暦で、芭蕉と金馬が、今日、祥月命日なのだ。
そして、私の中で、二人をつなぐのが、「風羅坊」の言葉。
芭蕉の『笈の小文』の序に、風羅坊は登場する。
『笈の小文』は、別名を『庚午 (こうご) 紀行』あるいは『大和紀行』、『卯辰 (うたつ) 紀行』と言われる。貞享四(1687) 年 十月に江戸を出発し、翌年四月までに各地を旅した紀行文だ。芭蕉生前は未定稿のまま門人の乙州に預けられ、没後15年を経た宝永六(1709)年、乙州により刊行された。
「序」の冒頭部分をご紹介。
百骸九竅(ひゃくがいきゅうけい)の中に物有り。かりに名付けて風羅坊(ふうらぼう)といふ。誠にうすものの風に破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好むこと久し。終(つひ)に生涯のはかりごととなす。ある時は倦(うん)で放擲(ほうてき)せん事を思ひ、ある時は進んで人に勝たむ事を誇り、是非胸中にたたかふて、是が為に身安からず。暫(しばら)く身を立てむ事を願へども、これが為にさへられ、暫(しばら)く学んで愚を暁(さとら)ん事を思へども、是が為に破られ、つひに無能無芸にして只(ただ)此の一筋に繋(つなが)る。西行の和歌に於ける、宗祇の連歌に於ける、雪舟の絵に於ける、利休が茶における、其の貫道(かんどう)する物は一(いつ)なり。
さまざまなサイトで、現代語訳や朗読を確認することができるので、ここでは現代語訳は割愛。
「風羅坊」についてのみ補足するが、「風羅」は風にひるがえる衣のこと。ひらひら、ふらふらして地に足がつかない様子を自分のことに置き換え、諧謔的に自らの号とした、と言えるだろう。
ふと、デラシネという言葉を思い浮かべた。
根無し草。
そして、風羅坊。
芭蕉、そして金馬。
風羅・・・風にひるがえる衣のような、自由奔放さ、という点で共通しているように思える。
二人は、外の世界、世間体などに頓着しない、自由人だったのだろう。
二人の命日に、そんなことも考えていた。

これに「金馬の落語に於ける」を加えては?風雅、風狂は友とすべきですね。