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噺の話

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2019年9月、同期会有馬温泉の旅と繁昌亭(3)

 さて、8日日曜日、チェックアウト後、Y君とTちゃん(うりぼう)の車二台に乗ったご一行は、宿から有馬温泉街の駐車場に車を置いて、温泉街を散策することとした。

 地図はなきかと捜してみれば、「神戸公式観光サイト」Feel KOBEに、有馬温泉の地図も掲載されていた。
feel-koubeのサイト

 こちらが、その全体図。

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 左下に、ねね橋があり、ねねの像がある。

 すでに、ねね像と男どもの写真は紹介したので、美人トリオと、ねねさんの写真。

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 その美顔をご紹介できないのは、残念^^

 
 有馬温泉、太閤秀吉や妻ねねが愛した湯として知られているが、散策の途中に地図をいただきに立ち寄った観光協会のサイトには、この湯が、もっともっと古い歴史をたどってきたことが分った。

 同サイト「有馬の歴史」から、少し引用。
有馬温泉観光協会公式サイトの該当ページ

発見
 有馬温泉の守護神として名高い湯泉神社の縁起によれば、泉源を最初に発見したのは、神代の昔、大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱の神であったと記されています。この二神が有馬を訪れた時、三羽の傷ついたカラスが水たまりで水浴していました、ところが数日でその傷が治っており、その水たまりが温泉であったと伝えられています。
 温泉のありかを教えてくれたこの三羽のカラスだけが有馬に住むことを許されたと伝えられており、「有馬の三羽からす」と呼ばれています。
 有馬温泉の存在が知られるようになったのは、第34代舒明天皇(593〜641年)、第36代孝徳天皇(596〜654年)の頃からで両天皇の行幸がきっかけとなり有馬の名は一躍有名になりました。日本書紀の「舒明記」には、舒明3(631)年9月19日から12月13日までの86日間舒明天皇が摂津の国有馬(原文は有間)温湯宮に立ち寄り入浴を楽しんだという記述があり、それを裏付けています。
 釈日本紀によると、孝徳天皇も同じく有馬の湯を愛され、大化の改新から2年後の大化3(647)年10月11日から大晦日還幸までの82日間、左大臣(阿部倉梯麿)・右大臣(蘇我石川麿)をはじめとする要人達を多数おつれになり滞在されたとの記述があります。

開創の行基
 「有馬温泉史話」によれば、舒明天皇・孝徳天皇の度重なる行幸により世間に名をしられるようになった有馬温泉ではありますが、その後徐々に衰退に向かっていったといわれます、これを再興し有馬温泉の基礎を開いたのが名僧行基です。
 行基は聖武天皇(701〜756)の信任あつく、主に池を築き、溝を掘り、橋をかけ、お堂を築くことなどに力を発揮し大きな業績を残した高僧といわれています。
 行基が大坂平野の北、伊丹の昆陽に大池(昆陽池)を掘っていたときのこと、一人の人に会いました。その人は「私は体の中に悪いはれ物ができて、数年来苦しんでおります、聞くところによりますと、有馬の山間には温泉があり、病気にはたいそう良いそうです。私をそこへなんとか連れて行ってくださいませんか。」と頭を地に付けて懇願しました。哀れに感じた行基はその人の望みを叶えるため、有馬に連れて行く途中、さらにあれこれと望みごとを頼むその人の願いをかなえてやると、不思議なことにその人は金色荘厳なみ仏の姿となり、有馬温泉を復興するようにと言って紫雲に乗って東方へ飛び去ってしまいました。
 (後 略)

 なんと、神代の昔、大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が発見したというのだから、すごい。
 「有馬の三羽からす」のことも含め、宿の金湯と銀湯に入っている時も散策している時も、知らなかった^^

 私の旅、予習より復習を重視しているのだよ。

 行基は、日本で最初に僧として最高位である大僧正になった人で、聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の責任者として招聘され、東大寺の「四聖」と呼ばれる高僧だ。

 へぇ、知らなかった。
 奈良つながりで、有馬温泉と、私が滑りまくった『鹿政談』とのかすかな縁があったとは^^
 この後に、「中興の仁西」「再建の秀吉」「江戸時代を経て」と続く。

 だから、秀吉や北政所ねねは、長い歴史を持つ有馬温泉の「再建」の時代に登場する人物、ということ。

 その「再建」についても少しご紹介。

 秀吉の事蹟の特筆は、慶長2(1597)年に始まった大規模な改修工事です。この直接のきっかけは、前年に近畿一円を襲った慶長伏見地震でありました、建物の被害も甚大ではありましたが、さらなる問題としてこの地震の直後から温泉の温度が急上昇し熱湯となってしまったことでありました。湯治効果の大なることを熟知していた太閤は、文字通り英断をふるい有馬温泉の根本的な改修工事に着手することになりました。
 秀吉の工事以来350年間、有馬町(有馬町は明治29年に湯山町から有馬町に改称されました。)は一度も泉源の改修工事を行っておらずこの時の秀吉の英断がその後の有馬の繁栄に計り知れない影響を与えたことがわかります。しかし、地震後に新たに湧出した温泉に湯山御殿を造り、工事が完成した慶長3年の5月に入湯の予定でありましたが、激しい風雨のため中止となり、その後まもなく床に伏し同年の8月18日に没したため、秀吉はついにその成果をみることができませんでした。

 なるほど、太閤の湯、と言われるのもむべなるかな。
 しかし、秀吉、改修後の有馬を自分で見ることはできなかったんだねぇ。

 という歴史のお勉強の次は、地理の授業(?)に変わります。

 Feel KOBEのサイトからお借りした地図から、散策したあたりを拡大したものが、これ。
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 有馬温泉は、鉄分と塩分を含み褐色に見える湯「金泉」、透明でミネラルなどを多分に含む湯「銀泉」の二種類の温泉があることで有名。

 温泉街にも「金の湯」と「銀の湯」がある。
 
 ということで、散策の最初は「金の湯」。
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 アジアからの団体さんが並んでいたが、まだ開いてなかった。

 我々一行は、私を含め多くの人が宿の朝風呂に入ってきているので、通過。

 炎天下、湯元坂を歩くご一行の姿は、前回記事でも紹介したが、こちら。

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 すぐに目に入ったのが、菓子工房ありま、である。

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 観光協会のサイトの紹介でも分るが、名物炭酸せいべいで有名な、三ツ森のお店。
有馬温泉観光協会公式サイトの該当ページ

 こちらでは、灘の生一本を使用した酒まんじゅうが自慢のようだ。
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 中で座って食べることもできるようなので、一行は、酒まんじゅうを買って、店の奥のテーブルで食べることに。

 これが、前回も掲載した、その酒まんじゅう。
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 熱かったけど、美味かった。

 このように、餡子もたっぷり!

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 食べてから、散策の後、Oちゃんと合流する神戸三宮までの道のりを確認。
 打ち合わせするメンバー。

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 三宮へのルート、駐車場の確認を終え、また少し歩くと、佃煮の大黒屋があった。
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店の表のウィンドウには、切り絵があった。

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 コアラのTちゃんは、名物の松茸昆布を買うことを決めていたので、立ち寄る。
 あっしは、きゃらぶきを買ったのであった。

 観光協会公式サイトにあるお店の情報では、「砂糖、化学調味料は使用せず、保存料も極力控え、製品管理に目を届かせるため、旅館・ホテルの売店には一切出品しておりません」とのこと。
有馬温泉観光協会公式サイトの該当ページ


 その後、銀の湯に向う途中に、念仏寺。
 
 こちらが、案内板。

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 ということで、北政所ねねの別邸跡、と言われているのだ。

 全景の写真は撮らなかったので、有馬温泉観光協会公式サイトのページから拝借。
有馬温泉観光協会公式サイトの該当ページ

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 本堂は有馬温泉で最古の建築物とのこと。

 同サイトのページにもあるように、浄土宗。

 ということで、法然の少年の頃の像があった。
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 そして、第一回目の記事でも紹介した、この言葉。

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 念仏寺を過ぎると、銀の湯があった。

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 もちろん、入浴はしない。

 ねがい坂を下って、ねね橋近くの駐車場に戻ると、ほぼ10:30.
 神戸に移動するには、ちょうど良さそうな時間。

 女子はTちゃん(うりぼう)号、男子はY君号で、三宮へ向う。

 菓子工房でG君がガイドしていた駅前の地下駐車場に停めて、JR三宮駅へ。

 宇治からやって来るOちゃんとは11:30の待ち合わせ。

 改札前に、ほぼオンタイムで到着。

 しばらくして、Oちゃん登場。

 地下街(サンチカ)で一緒にご飯を食べて、お茶をした。

 お茶をしている時の写真、手前がOちゃん。

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 いろいろ大変な事情があり、一泊はできなかったが、駆けつけてくれた。
 ありがとね!

 さて、同期会としては解散。

 この三宮駅、JRに阪神に阪急がある。

 K君は阪急で京都へ。

 ウサギのTちゃんも、阪急で帰ったはず。

 G君が奈良に帰るのだが、阪神ー近鉄相互乗り入れの電車で一本で帰れるとのこと。
 その電車、難波に止まるとのことで、一緒に行くことにした。
 コアラのTちゃんも上本町なので、同乗することに。
 あっしは、心斎橋の近く地下鉄長堀橋前のホテルにチェックインから繁昌亭に向かいたいのであった。

 運転手のウリボウTちゃんとY君は、地下駐車場へ向かった。

 ということで、三回目の記事は、これにてお開き。

 次回は、繁昌亭での落語会関係のお話。

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by kogotokoubei | 2019-09-10 12:54 | 小さな旅ー2019年9月、同期会と繁昌亭 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛