池内紀さんのご冥福を祈ります。
2019年 09月 06日
東京新聞より。
東京新聞の該当記事
フランツ・カフカ作品などの翻訳で知られ、エッセイストとしても活躍したドイツ文学者の池内紀(いけうちおさむ)さんが八月三十日、死去した。七十八歳。兵庫県出身。
東京外国語大を卒業し、東京大大学院を修了。留学先のウィーンでは、隣国のチェコスロバキア(当時)で一九六八年に起きた自由化運動「プラハの春」の行方を見守った。
神戸大助教授や東京都立大教授、東京大教授を歴任したが、五十五歳で東京大を辞して文筆業に専念。カフカやエリアス・カネッティ、ギュンター・グラスらによる多くのドイツ語小説を翻訳したほか、「諷刺(ふうし)の文学」「ウィーンの世紀末」など幅広い著作を残した。
今の時代、七十台は、早い・・・・・・。
池内さんは、日曜喫茶室の準レギュラーとして、そのお声が懐かしい。
以前、著書『二列目の人生』について、記事を書いた。
2017年12月25日のブログ
2017年12月29日のブログ
2018年1月2日のブログ
最初の記事を読むと、葉室麟の訃報に接したことを、冒頭に書いていた。
その頃だったか・・・・・・。

池内紀著『二列目の人生-隠れた異才たちー』(集英社文庫)
この本は、「日曜喫茶室」の過去の放送の中で、著者池内紀さんが、当時の「近刊」として説明していらしたのを聴いて知った。
記憶が曖昧だが、「日曜喫茶室」で池内紀さんは、トップランナーではなく、その後ろを走ってきた人にも、さまざまな人生があって、それに興味を持って調べ始めた、というようなことをおっしゃっていたと思う。
2003年に晶文社から単行本として発行され、五年後に集英社文庫入り。
取り上げられた人物は次の通り。
大上宇市 もうひとりの熊楠
島 成園 松園のライバル
モラエス ハーンにならない
中谷巳次郎 無口な魯山人
西川義方 天皇のおそばで
高頭 式 先ズ照ラス最高ノ山
秦 豊吉 鴎外の双曲線
篁 牛人 志巧を見返す
尾形亀之助 賢治の隣人
福田蘭童 尺八と釣り竿
小野忠重 版の人
中尾佐助 種から胃袋まで
早川良一郎 けむりのゆくえ
槁爪四郎 もうひとりのトビウオ
私の記事では、この中から西川義方、福田蘭童、高頭式について紹介した。
最初の記事で引用した「はじめに」を、今回は中略なしで紹介したい。
はじめにー「記憶の訪問」のこと
幸田文(あや)は父の露伴から家事その他きびしい躾を受けた。二十四のときに嫁いで十年後に離婚。だから「結婚雑談」というエッセイのはじめに、自分は離婚した経験をもつ女だから、結婚について満足なことは何一つ言えそうにない。もし言うとすると、「いびつな過去」を思い返して、「いびつなままの現在」から話すしかない。と断っている。
この場合の「いびつな」は謙虚さから出た言葉だろう。大きな経験を、よく耐えた人に特有の意味深いことがつづられている。
二十代のはじめから何度か見合いをした。そのうちの一つが結ばれて、あとは流れてしまったわけだが、流れ去ってあとかたもなくなるはずのものに、流れてもなお余情のあるものがある。恋ではなく特別な事件でもなく、なんとなく心に残る人のおもかげといったもの。だからこそ結婚というのが大きな事柄であることに、あらためて気がついた。
「結ばない縁のはしばしにも忘れないものがあって、こうして三十年過ぎた今も記憶の訪問に逢うからである」
ちょうどこの『二列目の人生』を書いているときだった。「記憶の訪問」という言葉がひとしお身にしみた。まさにそんな気持ちで一人、また一人と対面していたからである。
何か一つのことに打ち込んだ人は、たいていの場合、独自のルールをもっている。そのためしばしば世間から変わり者扱いされたりした。
たしかに共通して「依怙地なところ」があった。仕事の仕方にも生き方にも、双方にわたる依怙地さ。最近はあまり使われない言葉だが、とても大切なことではあるまいか。そもそもすべてにわたって自分なりのルールをもたないかぎり、独自の仕事などできるはずがないのである。
一筋縄でいかない反面、そういう人に特有の軽みというか愛嬌があって、どこかシャレているものだ。依怙地さが窮屈というのではなく、自分なりの自由さを確保したのにあたるからだろう。そにせいか、きまってたのしいエピソードが伝わっている。ふつうは奇人ぶりをいうものとしてひろまったようだが、むしり生粋の自由人のおもかげを伝えている。その人柄、その人となりの大きさがまざまざと見える気がした。
あきらかに、その人でなくてはありえないエピソードなのに、なぜか誰にあってもあかしくないようでもある。どうやら夢のありかを伝えているせいらしい。
「記憶の訪問」っていう言葉、良い響きだ。
リンクした東京新聞には、次のような池内さんの一面が紹介されている。
池内紀さんは晩年、新訳を手掛けたカントの哲学書「永遠平和のために」に強い思い入れを抱き、同書を題材にした講演会なども開いていた。
「国連のもととなり、日本国憲法における画期的な『第九条』の基本理念となった」。池内さんは二〇一五年五月に本紙に寄せた原稿で、一七九五年に発表された「永遠平和のために」の重要性を強調していた。
ワイツゼッカー元ドイツ大統領が「過去に目を閉ざす者は、現在も見えなくなる」と語った演説を引き、同書こそ元大統領が「たえず立ちもどった一点」ではないかと説いている。
池内さんも、依怙地で、一筋縄ではいかない、独自のルールを持った人だったのだと思う。
そして、どこか愛嬌があり、おしゃれな人。
それは、四回ほど記事にした『はなしの名人ー東京落語地誌』を読んで、痛感したことでもある。

池内紀著『はなしの名人-東京落語地誌』(角川選書)
『はなしの名人-東京落語地誌』は、平成11(1999)年の8月初版発行で、内容は主に「野生時代」、一部「東京人」に掲載されたものだ。
三年前に四つの記事で紹介した。
2016年6月16日のブログ
2016年6月17日のブログ
2016年6月24日のブログ
2016年7月6日のブログ
ご興味のある方は、ご覧のほどを。
また、頼れる大人が一人、旅立ったなぁ・・・・・・。
