金時が、五代目金馬を来秋襲名。
2019年 07月 04日
落語協会HPの該当ページ
良い襲名だと思う。
四代目は、金翁か・・・・・・。
それにしても、相変らず味気のない落語協会のHP。
それぞれのプロフィールにリンクしているだけで、後は、何ら補足する情報も、なし。
さて、金馬という名は、三代目が大きくしたことは間違いがない。
とはいえ、四代目が、師匠とは芸風は違うものの、テレビの人気者の小金馬から、落語の四代目金馬として、しっかり継承したことは評価されて良いと思う。
テレビで顔を売ってくれた「お笑い三人組」が終了してから、小金馬が「いななく会」という独演会で芸を磨いていたことは、大西信行さんの『落語無頼語録』から紹介した。
2019年5月5日のブログ
では、初代、二代目はどうだったか。
初代は、二代目三遊亭小圓朝。
それ以前、金馬は立川だったが、三遊亭で最初にこの人が名乗っていた。
なお、この人を初代小圓朝とする人もいる。
しかし、昭和の名人に多くの演目を伝えたあの一朝老を初代小圓朝とする説を支持したい。
この小圓朝は、志ん生の師匠としても有名。東京落語界の内紛の影響で旅興行に出た小圓朝についていった志ん生の逸話は、「いだてん」でも登場したね。
もっとも盛んで多くの弟子をとっていたのが金馬時代だったと言われている。
その弟子の一人が実子の三代目小圓朝であり、二代目の金馬だ。
最初は太遊、次に圓流、そして二代目金馬を継いだ。
師匠の参謀役であり、また、師匠没後は三遊派の復興にも活動した人。
関東大震災の後、「睦会」と「演芸会社」が合併して、現在の落語協会につながる「東京落語協会」ができたが、二代目金馬は、協会に入らず三遊派復興を目指し「三遊睦会」を設立したが、不成功に終わっている。
初代も二代目も、そして三代目も、理由はともかく、東京落語界本流の組織から離反した時期があるのは、共通している。
三代目は、二代目の弟子ではなかったが、金馬を襲名する際、二代目が金翁になっているので、この形は、四代目と五代目も継承することになる。
先のことではあるが、金翁が口上に並ぶ姿を、ぜひ見に行きたいものだ。
もともと力のある人なので、襲名を機にぜひ飛躍を期待したいです。
そうなんですよね、なかなか寄席でめぐり会えない。
不思議です。
ずいぶん前に、『駒長』を聴いて感心したことがあります。
ぜひ、五代目金馬襲名から、“いななき”を聞きたいものです。
