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噺の話

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いなないていた頃の、四代目金馬。

 先月行った末広亭のプログラムから。
 
 四代目圓歌の襲名パーティー(3月5日 帝国ホテル)では三遊亭金馬師匠が手締めの音頭をとった。3月で満90歳。NHK「お笑い三人組」の江戸家猫八(三代目)は01年に80歳で、一龍斎貞鳳(今泉良夫)は16年12月に90歳で亡くなっている。

 芸協は大正十四年生まれの米丸が最高齢。
 落語協会では、金馬だ。

 NHKの「お笑い三人組」の印象が強過ぎて、落語家としてのイメージがあまりないのだが、何度か高座を拝見している。

 しかし、若い頃の落語家としての姿は知らない。
 
 そんな時代の金馬の奮闘ぶりが、ある本に書かれていたので紹介したい。

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大西信行著『落語無頼語録』

 それは、大西信行さんの『落語無頼語録』。
 何度か紹介している本だが、昭和48年に「話の特集」に連載され、昭和49年に芸術生活者から単行本として発行されたものだ。
 ちなみに、この単行本のAmazonのレビュー(一件)は、私が書いたもの。
 なお、昭和51年には、角川文庫で再刊されている。
 
 本書「じり脚の・・・・・・金馬」から、引用。

 十年続いた『お笑い三人組』が終了して、幸か不幸かテレビの演芸番組も一時ほどのもてはやされ方はしなくなっていた。金馬も落語家金馬としての自分をつくり上げようと覚悟をしなければならなかった。「金馬いななく会」という勉強会をつくった。先代金馬の家の電話番号が1779番でイナナクと読ませていたことによるものだろう。現在もコツコツと会を続けていて、送られて来るハガキに刷られた金馬の演題の意欲がうかがわれて、聴きたいなァと思って予定は空けるのだが、なぜかその都度こちらの仕事とぶつかる羽目になって聴けないでいる。
 そのために金馬の芸がどれほどのモノに成長したかをぼくは知らず、『三人組』の印象から落語は下手だという世間の噂を鵜のみにはしないまでも、滑稽ばなしにのみ力を発揮できる人だと思い込んでいた。

 金馬は昭和4(1929)年3月19日生まれ、『お笑い三人組』の終了が昭和41(1966)年3月なので、終了時は、満三十七歳。

 独演会で“いななき”始めて数年後のこと。

 昭和四十五年、芸術祭参加の三越劇場での「精選落語会」のプログラムになにか書くようにと頼まれた。それを引きうけるについて出演者と演題をきくと、その中に三遊亭金馬の名がって、演題は『淀五郎』ということだった。
 ぼくは金馬に電話をした。
 芸術祭というものに対する批評は別にして、参加する以上は受賞するつもりで参加してほしい。受賞に価する得意に演(だ)しもので参加すべきではないのかという電話だった。
「いけませんかねェ、『淀五郎』じゃ・・・・・・」
 と、金馬は電話の向うで当惑げに言った。
「自分の会でやってみて、評判もネ、意外とよかったんですがね」
「まあ、それならそれでいいけど・・・・・・」
 と、こっちも金馬の『淀五郎』を自分で聞いていない弱味で、あいまいな言い方になる。
「今年はともかく、来年度はハッキリ受賞に狙いをつけてやるように、頼むよ」
 と、わかったようなわからないような、まことに煮えきらない調子で言って、電話を切った。
 ところが皮肉にもこれが芸術祭優秀賞を受賞してしまったのだから、こっちの面目はまる潰れだ。面目は潰れたが金馬が人情ばなしの『淀五郎』で賞を受けるまでのはなし家に成長しおおせたということは、ぼくにとってもまことに嬉しいことだった。ぼくはまた金馬に電話して、心からおめでとうと言った。
 
 四十一歳で、『淀五郎』で芸術祭の優秀賞を受賞していたのだ。
 そして、二年後には『品川心中-通し-』で、あらためて芸術祭に挑んだ。
 その演出において、大西さんがプログラムに書いた助言を活かし、審査員の永井啓夫さんが褒める高座だったが、以前受賞しているということで、授賞は見送られた。
 『お笑い三人組』で目立ち過ぎる場に十年もいたかれが、それからの七年間、こんどは目立たない場所でコツコツと努力を積みかさねて来て、いつの間にかそういう落語家になったのだろう。そのことに敬意を表したいと思う。

 この金馬の独演会のことを知り、私は桂歌丸が、すでに「笑点」が始まってテレビの人気者だった頃に始めた、三吉演芸場の独演会のことを思い浮かべた。
 昭和49年の一月が第一回なので、三十八歳で始めた独演会。
 ほぼ隔月での開催だったが、古典のみでほぼネタおろしの会と言ってよく、後に圓朝ものを手がける前の、噺家としての土台づくりができた独演会と言ってよいと思う。

 あらためて、金馬。

 中堅と言える頃、テレビタレントではなく、落語家として成長すべく“いなない”ていた時代があることは、私も含め、その時代の生の高座を知らない落語愛好家にとっては、覚えておいて良いことだと思う。

 なんとか、高座での元気な姿に、今後も出会いたいと思っている。

Commented by saheizi-inokori at 2019-05-05 21:32
大西は金馬に好意を持っていますね。最後に聞いたのはいつだったかな、外連味のない良い高座でした。
また聞きたいです。
Commented by kanekatu at 2019-05-05 22:10
当代の金馬、若い頃は売れなくて寄席では腹話術をしてました。未だ小金馬の時代でした。
処が上野駅で腹話術の人形が盗まれてしまい途方に暮れていたら、師匠の3代目金馬が知り合いのスリの親方に掛け合い、無事取り戻したというエピソードが残っています。
今回の記事を読むと、TVの人気に溺れず修行を重ねてきたんですね。
Commented by at 2019-05-06 06:49 x
マクラで次のようなことを語っていました。
「道歩いてますとね、ありがたいことに、あ、金馬だって気づいてくれるんすよ」
「ところが、その後がよくない、アイツ、幾つになった?って言われちゃう」
顔をクシャクシャにして笑いながら語る姿は、この師匠が愛嬌というものを大事にしていることがうかがえます。
かつての有名どころが鬼籍に入った今、長生きしてもらいたいと切に思います。
Commented by kogotokoubei at 2019-05-06 08:51
>佐平次さんへ

2012年秋、文菊の真打昇進披露の浅草で聴いた『長短』が印象的です。
長さんが上方出身でした。
あの披露目では、もっとも多く仲入りをつとめていました。
あの『長短』、もう一度聴きたいなぁ。
Commented by kogotokoubei at 2019-05-06 08:56
>kanekatuさんへ

そんな逸話がありましたか。流石の三代目ですね。
私もこの本を読むまでは、まったくそんなに奮闘していてことを知りませんでした。
また、聴きたいなぁ。
Commented by kogotokoubei at 2019-05-06 09:03
>福さんへ

そうですか。
サービス精神は、いまだに旺盛ということですね。
本当に、ぜひ百歳まで生きて、高座に姿を見せてもらいたいです。
Commented by 彗風月 at 2019-05-07 12:33 x
ボクは転失気で大笑いをしたことがあります。こういう軽い噺でもきちんと丁寧にやると大爆笑につながる、という見本のような高座でした。袖から出てきて、高座布団の前にお客にむかって膝に手をついてお辞儀をする独特なスタイルも好きです。
Commented by kogotokoubei at 2019-05-07 12:50
>彗風月さんへ

『転失気』ですか。なるほど。
声は決して良いとはいえないのに、それを感じさせないですよね。
志の輔のあの声は、長く聴いていると辛くなるのですが、金馬の声は、そうじゃない。
語り口に優しさがあるような、そんな気がします。
高座でまたお会いしたいなぁ。
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by kogotokoubei | 2019-05-05 19:36 | 落語家 | Comments(8)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛