志ん生、留置場から脱出の真相は・・・・・・。
2019年 04月 22日
昨日、ある記事へのアクセスが100を超えていた。
それは、昨年3月28日の、「『正蔵一代』より(3)ー旅で出会った、志ん生の思い出。」という記事。
2018年3月28日のブログ
「いだてん」の影響以外は、ちょっと考えられない。
昨夜は、志ん生(朝太)が旅回りで浜松の寄席「勝鬨亭」に出ていたことが描かれていた。
重複するが、昨年の記事は、こういう内容。
なお、「いだてん」の朝太の旅の筋書きにおいて、来週の先取りになるということを、お断りしておく。

青蛙房『林家正蔵全集』別巻の『正蔵一代』から、三本目の記事。
数え年十八で、三遊亭三福に弟子入りし、福よしとなった岡本義少年。
前回ご紹介したように、三福は桂小南などがいる三遊分派に属していたが、この一派は長続きしなかった。
そこで、福よしは、旅興行に参加した。
もちろん大真打なんぞァいやしません。一番の頭株が、数年前に亡くなった立川ぜん馬(鳥井兼吉)さんです。
あの人は、もともとは“鼻”の圓遊さんの弟子で、そのころは遊福でしたかねェ、旅のあいだは右圓遊っていってたかなァ。それから本名を川崎仙太郎といって、のちに橘家花圓蔵となりましたが、その時分に三遊亭遊橋といってましてね、もともと芝の薪屋のあるじで、川柳なんぞもうまくって、世事には大変長(た)けてる人なんで、これがまァ参謀格なんですよ。
(中 略)
まァそういう一座にあたしも入れてもらって、静岡だとか浜松とかをまわるんですけども、途中で抜けるやつもあるし、また、何処かから駈けこんできて仲間にはいるやつもいるし・・・・・・というような按配で、だんだん打って行って、焼津から浜松の勝鬨亭って小屋へあがったもんです。
そン時に、こないだ亡くなった志ん生と、初めて出会ったんです。
本書の発行が昭和49年9月。志ん生は、この発行日から、ほぼ一年前に亡くなっている。東大落語会のメンバーが稲荷町で正蔵に話を聞いた時点では、たしかに“こないだ”のことだったのだろう。
どんな出会いだったのか。
そのころは朝太といってたでしょうね。やっぱり旅まわりでほうぼうを歩いていて、落語の一座があったらとび込もうと思ってたんでしょうが、それもないんで、しょうがなくて、一文なしで宿屋へ泊まったんですね。それで無銭飲食のかどで警察へ突き出されたってんです。と、その時分ですから、区裁判所かなんかへ送られたんじゃないんですかね・・・・・・途中で、われわれ一行のビラを見たんです。それでその検事って人が大変情けのある人で、
「おまい噺家だな」
ってんで、今、道で見た勝鬨亭のあの一行を知ってるって奴が言ったもんだから、勝鬨亭のほうへ、だれか出頭してくれって差紙が来たんです。
するとこの勝鬨亭のあるじってえのが馬淵さんてえまして、まァ田舎政治家といったようなもんで、そういうことには慣れてるから、おめず臆せず出頭して行ったならば、その件なんで、
「この噺家が、おまえンとこにかかってる芸人の中へはいりたいと言ってる。宿屋の代金を払えば潔白な身の上になる、疵をつけなくないから、なんとか協力してくれないか」
代金ったって大した金じゃァないんですよ。で、馬淵さんが即金で上納して、やつを引き取ってきて、ま、われわれの仲間へ入れてくれってわけなんで。
以上が、『正蔵一代』における、朝太の無銭飲食による投獄(?)から脱出のいきさつ。

古今亭志ん生『びんぼう自慢』(ちくま文庫)
ところが、小島貞二さん聞き書きによる『びんぼう自慢』では、難を逃れた件、ご本人はこう語っている。
小円朝一行は、東京に帰ることになったのだが、朝太は、帰っても尊敬してやまない円喬は亡くなってしまったこともあり、一人残って旅を続けることにした。
ひとり旅の苦労なんてえものは、そりゃァお話にもなにもなりゃァしません。
あたしゃ一文なしで、名古屋から静岡県の掛川まで歩いたことがあるんです。いま汽車で通るてえと、ほんの一時間ばかりだが、さて、歩くてえのはヒマがかかるもんですよ。
名古屋を発って二日目かなんかに、弁天島のとこまで来るてえと、渡しがあって「渡し賃八銭」と書いてある。弱ったなァと思いながらひょいとわきを見るてえと、めし屋があって、そこで酒ェ呑んで陽気にさわいでいる奴がいる。
「すみませんが、ひとつ都々逸かなんか歌わせてください」
と声をかけたら、「あァ、いいよ」というから二つばかりトーンと歌ったら、十銭くれた。
天の助けとばかり、舟ェのったんです。舟の中では向こう岸につく前に、渡し賃を集めに来るんだが、また天の助けという奴なんでしょうね、あたしのとこだけ来るのを忘れて、スーッといっちゃった。
「ありがてえな、どうも・・・・・・」
てんで、芋を二銭、せんべいを二銭買って、そいつをかじりながら浜松まで歩いて、そこに知った勝鬨亭という寄席があったから、いくらか貸してもらって、また掛川まで歩いたんですが、何しろ焼けつくような炎天の下を、腹をすかして歩くんだから、マラソンの選手よりなおひどいです。
おや、期せずしてマラソンなんて言葉が登場^^
そして、あえてこの浜名湖の南、弁天島の渡しの場面から引用したのは、「いだてん」の筋書きにも関係してくるからである。
弁天島は、ドラマの二人目の主役田畑政治と、縁(ゆかり)のある場所なのである。
昨夜は、“河童”たちが、弁天島の海水浴場で泳いでいたよね。
舞阪町観光協会のホームページに、田畑政治の特別ページがあり、浜松中学時代に弁天島海水浴場で泳いでいたことが紹介されているので、ご紹介。
舞阪町観光協会のホームページ
田畑氏が進学した浜松中学校の水泳部が、弁天島で水泳訓練を行っていた際の合宿先。田畑氏は水泳大会があると茗荷屋に宿泊していた。茗荷屋旅館の子息・堀江耕造氏は水泳部の中心人物で田畑氏の大先輩。水泳部の本部は舞阪町の宝珠院に置かれていたが、参加者が増えたため茗荷屋に移転した。
(旅館は現存しておらず、別荘跡から西隣3軒目に位置していたと思われる弁天島海浜公園内東側に看板がある。)
茗荷屋旅館、というのが、落語愛好家にとっては、なんとも楽しいなぁ。
さて、朝太の旅の話に戻ろう。
宿があったから、そこへとび込んで、夕飯をガーッとかっ込んで、死んだように寝ちまった。ふところには一文もねえことを、ちゃァんと心得ての上だから、考えてみりゃァ向こう見ずの話だが、一応の心づもりはあるんです。
朝になって食事が出る。一粒のこらず平らげて、そこで腹のできたところで肝ッ玉ァきめて、宿の主のとことへ行って、
「実は、そのォ、おあしがないんですが、あたしゃ東京のもんだけど、帰ったらじきにお届けにあがりますから、しばらく貸しといてください」
と頼んだんだが、こんどばっかりは天の助けてえわけには参りません。警察へつき出されて、留置場てえのにぶち込まれてしまったんです。
そのこと、東海道に宿屋荒らしがあって、警察じゃァ、手ぐすねひいて待ってるところへ、あたしが来たから、「こいつだッ!」てんで、ボーンとほうり込んだんですね。何しろ、毎日炎天を歩いているから色はまっ黒けだし、食うものだって満足にゃ食ってねえから、目ばかり光って人相はわるい。そうにらまれたってしょうがなかったのかもしれません。
ちっとも出してくれねえから、弁当の来るのを待って、食っちゃァ寝、食っちゃァ寝して、小さな声でモソモソとはなしの稽古をしてるところへ、一人凄そうなのが入って来た。何でも土地のやくざの親分で、喧嘩かなんかしたらしい。
差し入れがウンとあるから、一人じゃァとても食べ切れやしません。あたしに余りをくれる。そんなことですっかり心安くなっちまった。
「おめえ、いったい商売(しょうべい)は何だい?」
ときくから、
「へえ、あたしやァ東京のはなし家で、実はこうこう・・・・・」
と宿でのいきさつを話すと、
「ふーん、そんな大物とまちがえられちゃァ気の毒だな。どうだい、はなし家なら、一つおれにきあkせろ」
てえから、あたしも退屈しのぎに二席ばかりやったら、手は叩かねえけど、親分スッカリよろこんじまった。
親分のほうは、うらから手を回したかなんかで、先に出て行ってあたしのほうがあとになっちまって、しばらくたって無銭飲食とかなんとかで、裁判所へ回されたんです。
親分が、助けてくれたわけではなかった。
さて、この先の内容が、正蔵とご本人とで、違ってくる。
検事が出て来て、ひょいとあたしの顔ォ見て、
「おう、お前は東京の芸人だな」
「へえ、そうです」
「お前は、近ごろ東海道を股にかける宿屋荒らしの一味ではないかという容疑がかかっとるが、どうも、そうではないようじゃ」
「わかりますか」
「私は、以前、東京でお前の落語をきいた覚えがある・・・・・・」
あたしは、あのときほど芸人のありがたさを感じたこたァありませんね。結局、宿料一円三十銭を、その検事さんが立て替えて、ミッチリ意見をされて、あたしは助かりましたが、なにしろわるい奴には有無をいわさなかった時代でありますから、あの検事さんと出っくわさなかったら、それこそどうなっていたかわかりゃしません。
あたしも、その後どうにかなるようになってから、一度、その検事さんに会って礼の一つも言いたいと思って、随分捜したんですが、とうとう会えません。
あら、宿屋の借りを払ったのが、なんと、検事と回想している・・・・・・。
冒頭に紹介したように、正蔵は、勝鬨亭のあるじの馬淵さんが支払った、と語っている。
志ん生の話も、話としてはよく出来ている(?)のだが、これ、正蔵の記憶が正しいのだろうねぇ。
次回の「いだてん」では、果たして、どう描くのだろうか。
ちなみに、『正蔵一代』では、留置場から出た朝太との最初の出会いが、次のように書かれている。
あくる朝になってね。どうせわれわれァみんな楽屋へ泊まってるんですから、田舎の寄席で、戸外(おもて)に水道があって、そこィバケツを持ち出して顔を洗うんです。で、やつとあたしと顔を洗っちゃってから、あいつが、
「おい、ちょいとまんだら貸してくンねえか」
まんだらてえのをあたしがまだ知らないんですねェ、噺家になりたてだから・・・・・・。
「おゥ、手拭いだよ」
って言われて、手拭い貸してやった、というような仲なんで・・・・・・。ですから彼とはずいぶん古くから知り合ってるんですよ。
志ん生のほうは、『びんぼう自慢』を含め、留置場を出た後のことや正蔵との最初の出会いのことを語った形跡が見当たらない。
記憶が薄らいでいたのかもしれないが、自分の惨めな姿を知られている他人の存在を、あえて公表したくなかったのか・・・・・・。
さて、「いだてん」も新たな局面を迎えている。
なかなか、面白くなってきた。
なかでも、大竹しのぶの演技、光っているねぇ。
制作スタッフは、視聴率なんてぇものは気にしないで欲しい。
今後も、金栗四三、田畑政治、古今亭志ん生の物語を楽しみたい。
