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くどいようですが、志ん生の最初の師匠についてー矢野誠一著『志ん生のいる風景』より。

 またか、という声が聞こえてきそうなのですが、古今亭志ん生の最初の師匠のこと。

くどいようですが、志ん生の最初の師匠についてー矢野誠一著『志ん生のいる風景』より。_e0337777_12300303.jpg

矢野誠一著『志ん生のいる風景』

 本件について書くにあたって、矢野誠一さんの『志ん生のいる風景』を忘れかけていた。
 本棚の奥に、横積みにした数冊の文庫の下の方に、カバー付きで置かれていたので、見逃していた。

 志ん生について語るなら、避けて通れない本だよねぇ。

 初版が昭和58年の青蛙房刊、昭和62年に文春文庫で再刊。私はこの文春文庫を読んでいる。なお、今年、河出文庫でも発行されたが、「いだてん」の影響だろう。

 本書に、「ひとりの師」という章があった。
 
 小島貞二さんの『びんぼう自慢』の中の「円喬師匠のところへ弟子入りして、最初につけてもらった名前が三遊亭朝太」という志ん生自身の言葉があることや、昭和46年の「文藝春秋」掲載の対談でも、志ん生が円喬に最初に入門したと語っていることを紹介した後、このように矢野さんは書いている。

 いずれにしても、落語家古今亭志ん生の最初の師が、四代目橘家円喬であるというのは、当の志ん生没後もしばらくのあいだは定説であった。その定説を否定して、志ん生の最初の師を、二代目三遊亭小円朝であると記したのが、結城昌治『志ん生一代』で、「週刊朝日」連載第一回、まさに発端の章にこう書かれている。

<その志ん生が三遊亭小円朝(二代目)に弟子入りして、朝太の名をもらったのは明治四十三年(1910)、ちょうど二十歳のときである。>

 結城昌治さんが、古今亭志ん生の最初の師匠を、三遊亭小円朝で橘家円喬ではないと推断した最大の根拠は、三遊亭朝太という志ん生に与えられた前座名にある。志ん生自身が、『びんぼう自慢』で、「円喬師匠が若いころやっぱりこの名前をつかっていたそうでありまして」と語っているように、橘家円喬は八歳のとき三遊亭円朝に入門して、三遊亭朝太を名乗っている。しかしこれは、三遊亭円朝の「朝」の字をとった命名で、円喬となってから自分の弟子に「朝」の字のついた名を与えている例がないことなどから推しはかっても、二代目小円朝の弟子で朝太と考えるほうが自然である。橘家円喬が、四十七歳という若さで逝ったのは1912(大正1)十一月二十二日のことなのだが、当時の新聞や雑誌に載った訃報や追悼の記事をさがしてみても、朝太という弟子がいたという記録はない。

 そうそう、結城昌治さんの『志ん生一代』では、疑いもなく二代目小円朝の弟子、としてあった。
 ちなみに、結城さんに志ん生の本を書くよう勧めたのは、立川談志らしい。

 さて、結城昌治さんの本、小説ではあるが、本人聞き書きによらない一代記として志ん生を知る上での必読書だ。
 今年、小学館文庫で再刊されたのは、「いだてん」効果だろう。

 これまでにも、何度かこの本から記事を書いている。
2008年10月13日のブログ
2012年9月1日のブログ
2012年9月22日のブログ
2013年9月21日のブログ
2017年7月21日のブログ

 さて、矢野さんの本に戻る。

 矢野さんは、小島貞二さんの『びんぼう自慢』本文の内容と年表の矛盾を見逃さなかった。

 『志ん生一代』で結城昌治さんが、志ん生の橘家円喬門下説を否定したことは、故人の周辺にはまったくといっていいくらい影響を与えなかった。誰の弟子であろうと、古今亭志ん生は古今亭志ん生なので、その後すぐれた落語家としての名跡は、師匠筋が誤り伝えられたくらいのことでは、びくともするものじゃない。
 波紋は、むしろべつの方面に及んだ。たとえば。1970年(昭和45)に刊行された『志ん生廓ばなし』(立風書房)についている年表で、
 <明治四十年  十七歳
  浅草富士横丁のモーロー俥夫の家に居候しているとき、すすめられてはなし家を志し、運よく“名人”といわれた橘家円喬門下となり、三遊亭朝太の名をもらう。>
 と、している小島貞二は、『志ん生一代』が公にされたあとの、1977年(昭和52)に出た文庫版の『びんぼう自慢』(立風書房)の年表を、

<明治四十一年(1908) 十八歳
 四月二十三日、兄(二男)益没、二十九歳。あとの兄弟はみな夭折して、五男の孝蔵のみのこる。
 円盛のひきで、円盛の師匠初代(正しくは二代目だが芸界では初代)三遊亭小円朝門下に転じ、朝太の名をもらう。「名人四代目円喬の弟子になった」と志ん生本人は語っているが、師匠筋とすると小円朝が正しい。同門に二代目小円朝(初代の実子、当時朝松)、それにのちの講談師田辺南鶴(当時一朝)がいた。>

 と、訂正した上、「楽屋帳(あとがきにかえて)」と題する末尾の文章で、こうのべている。
<年譜を対比しながら、この本を読んだ方は、「生年月日から違ってるではないか」「両親の名前も違うのは、どうしたことだ」などなど、さまざまな疑問を感じられるに違いない。
 実は、私は、そういうことを、随分取材の折り、念を押した。
 放浪時代の入墨のことも、最初の師のイカタチの円盛のことも、そして小円朝のことも、それとなく伺ってみたのだが、その辺のところは触れるのを嫌うように、志ん生師は話題をすぐ別のほうへ動かした。
 (中 略)
 志ん生という人を、本人の談話を忠実に、活字の中に生かすことが、与えられた私の仕事で、何もかもすべてをすっぱ抜き、大上段に人物論を展開するのが目的ではない。本人の語らない・・・・・・無理に語ろうとしない面は、そのままにしておくことが、やはりこうした読物のとるべき態度であろうと、私は今も信じている。>

 この矢野さんの引用を読んで『びんぼう自慢』文庫版の年表を確認した。
 たしかに、「楽屋帳」の「四」に、この通りに記されている。

 小島さんも、苦渋の決断での「聞き書き」であったのだろう。
 矢野さんは、この楽屋帳の内容について、「なんとも歯切れのよくない」印象としている。

 そして、こう書いている。
自分の師を橘家円喬だとする発言が、戦後満州から引きあげてきてからのものと思われるところに興味がわく。

 その後、正岡容が『當代志ん生の味』という文章で、正岡も最初の師匠を小円朝と書いていることを紹介した後で、このように、この問題(?)への考察を締めている。

 戦前の、赤貧洗うがごとき暮しをしていた落語家の時代には、その経歴に注目するひとなどそういなかった。だが、満州から帰国していらい、たちまち時代の寵児のあつかいを受け、東京落語界の指導的地位に立たされてしまった志ん生には、自分の経歴をかざることも必要になってきたのである。三遊亭小円朝よりも橘家円喬のほうが師としてふさわしいというより、橘家円喬でなければならない理由が、志ん生にはあった。

 なるほど・・・なのである。

 結城昌治さんは、小説でありながら実証的な推理を元に最初の師匠を小円朝とし、小島貞二さんは、その本人の言葉を疑いながらも円喬としながら、結城さんの本の出版後、文庫の年表では、正しいと思われる内容を補足した。

 そして、なぜ本人は「円喬の弟子」を強調したのか・・・は、矢野さんの書く通りなのだろう。

 前の記事で、小島貞二さんの『志ん生の忘れもの』に、この問題(?)は、「幻の中」にある、という記述を紹介した。

 小島さんの気持ちも、よく分かる。

 とはいえ、矢野さんの指摘で、「幻」の霧が晴れたのも事実。

 この件、これにてようやくお開き。
 
Commented by ばいなりい at 2019-04-12 15:27 x
古今亭志ん朝の「文七元結」のまくらに、こんなのがありました。

よくアタクシの死んだ親父、志ん生が話をしておりまして、
「名人なんてなかなか居るもんじゃねえ」なんてことを言いますね。
「あっそう、ん~、どういう人が、おとっつぁん、名人だと自分で思う、自分が聞いた中で」って聞いたら、
「橘家円喬という師匠が、おれぁ名人だと」
「ん~、そう、どのぐらいなんだろうなあ」ったら、
「ん~、そらちょっと言てねえけれども、大変にこのお上手な方で、あの方は名人だ」と、
「じゃあ、おとっつぁんと比べて、どのぐらい違うんだ」
「比べちゃいけねえんだ、そういうものは」(笑い)
「あっそう、今ほかに比べられる、、、」
「誰もいないよ、誰も、もう、まるで違う人だよ」
なんという事をうかがって、ああ、そういうものかなというような、そんな認識がございますな。

https://www.youtube.com/watch?v=Fm3RR3UPuJk
00:50 ~


志ん生が円喬師を崇拝している様がよく表れていますが、もし本当の師匠だったなら、
志ん朝にとっての大師匠なわけですから「橘家円喬という師匠が、おれぁ名人だと」
といった他人行儀な形容はしないでしょうね。

ちなみに wiki では、
・初代三遊亭圓盛
・2代目三遊亭小圓朝
・4代目古今亭志ん生
・3代目小金井芦州
・初代柳家三語楼
の方々が、志ん生の師匠とされております。


Commented by kogotokoubei at 2019-04-12 18:17
>ばいなりいさんへ

マクラの書き起こし、ありがとうございます。
円喬という師匠、であって、師匠円喬、ではないですよね。
崇拝対象であったことは、間違いありません。

Wikiは、「古今東西落語家事典」を踏まえていると思うので、円喬は出てきませんね。

人気が出て、落語界における存在感も増してきた戦後、つい、自分を飾りたくなったという心境も察することはできます。
そういう点も含めて、志ん生が好きです。
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by kogotokoubei | 2019-04-11 22:27 | 落語家 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛