志ん生の、ダンディズム。
2019年 04月 03日
たしかに、高座で寝たことはあるが、まさか楽屋に師匠がいる前座時代に、『富久』を演じながら寝た、なんてぇことはない。
「フィクション」とことわっているので、あまり「それは違う!」などとたてつくのも大人気ないとは思うが、その逸話の典拠(元号か^^)については、正しく知ってもらいたい、という思いがある。
だから、前の記事で、高座で寝たという逸話について、その目撃者の言葉を紹介した。

岡本和明著『志ん生、語る。』(アスペクト)
その、先代圓歌の証言(?)を紹介したのが、この本。
志ん生と、りんさんの実にいい写真がカバーとなった本、平成19(2007)年発行の岡本和明の『志ん生、語る。』は、平成6(1994)年から発行が始まった『これが志ん生だ』(三一書房、全十一巻)の月報の中から選んで編まれた本。
つい、他のページも読んでいて、紹介したくなった内容が、いくつかある。
今回は、榎本滋民さんの文から。
お題は、「すぼらぶりのダンディズム」。
上野の本牧亭は、私がよく通い、舞台劇『孤塁』(唱和三十六年九月初演)のモデルにもした寄席だが、夏の昼下がり、なにかの会の中入りで、寄席の後部から階下の手洗いへ下りると、部屋で一人、将棋盤を前に座っている古今亭志ん生の背中が見える。
彼の起伏に富む半生の前半を(当時朝太の)志ん朝、後半を故・馬生がドキュメンタリータッチで演じるテレビドラマ(唱和三十五年三月放送)を書いたばかりの時期でもあり、一番好きな寄席で一番好きな咄家を見かけたうれしさに、声をかけようとして、危うくやめた。
偶然にも、彼の読みふけっていた本が、定跡の棋譜や詰め将棋の出題ではなく、明治二十二年創刊の落語講談速記雑誌『百花園』から、私が黄金時代の名演を選んで編集解説した、全五巻の落語全集の一巻であることが、ちらりと見えた表紙でわかったからである。
と、そのとき遅くかのとき早く、人気配を背中に感じたらしい彼が、本を閉じざま座布団の下へ隠した。当時すでに定着し、多くの熱烈なファンを酔わせていた、晩期の春風駘蕩たる高座ぶりとはまるでちがう、つばめ返しのように俊敏な動作である。その直後、盤面をのぞきこんで。、将棋の工夫をこらすふりをした彼から、私は忍び足で遠ざかった。
修行時代に敬仰(けいぎょう)した、四代目橘家園喬をはじめとする先輩たちの所演速記が、彼にとって聖典にひとしいものであるとしても、それに正対している彼の真摯きわまる姿勢は、「無頓着」「八方破れ」「出た床とこ勝負」「変転自在」などと伝えられてきたイメージとはおよそかけ離れたもので、図らずも特級の企業秘密にふれた私が、さすがにほんもののプロだ、掛け値なしの巨匠だと、なおさら志ん生が好きになったのは、おいうまでもない。
もう一つ、後ろめたい悪事を働いていた場合でもないのに、人の気配にさっと本を隠してとぼける反射神経がうれしかった。とにかく、芸熱心をひけらかす努力型の芸人ほど、野暮で甘い批評家にかわいがられる中で、不断の刻苦勉励全くしていないふりをするシャイネスは、実は裏返しのダンディズムであることが、よくわかったからである。
このダンディズムは、江戸芸人の心意気であったばかりか、彼の血脈に流れ入っていたという直参侍の士魂(さむらいだましい)でもあったろう。天馬空を往くがごとき縦横無尽の芸境は、ひそかなきびしい鍛錬の積み重ねによって築かれたものにほかならないと、私は確信している。
榎本さんならではの、得がたい逸話。
志ん生には、すぼらでいい加減、というイメージが元々あるのに加え、「いだてん」がそれに拍車をかけているように思えてならない。
とんでもない。
紹介したような、江戸っ子のダンディズムに溢れた芸人さんである。
たしかに、終戦直前に、日本にいるより酒が飲めるだろう、などと思って満州に渡ったりする面もある。
しかし、こと落語に関しては、志ん生はいたって真面目に取り組んでいた。
とはいえ、そんな自分の姿を曝け出すことには注意し、すぼらな志ん生像を、あえて演じていたように思う。
「いだてん」では、ずいぶん誤解されるような描かれ方をしている。
それは、金栗四三のマラソンと、『富久』での幇間久蔵の“いだてん”ぶりを重ね合わせようとする脚本家くどかんの演出の無理がもたらしている面も多い。
その着眼は悪くないとは思うが、志ん生という稀代の噺家について、誤解が広まるのは、残念だ。
せめて、拙ブログでは、志ん生の実像について少しでも補足したい、などど偉そうに思っているが、ご容赦のほどを。
次回「いだてん」では、圓喬の元を離れ、地方回りが始まるようだ。
元号も、今の世と同じように、明治から大正に変わる。
いろんな逸話も登場することだろう。
楽しみでもあり、少し、不安もあるなぁ。
