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ドナルド・キーン著『二つの母国に生きて』より(1)


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ドナルド・キーン著『二つの母国に生きて』

 ドナルド・キーン『二つの母国に生きて』は、初版が昭和62(1987)年の朝日新聞から単行本で発行され、平成27(2015)年に私が読んだ朝日文庫にて再刊された。

 1980年代に書かれたものを中心に編まれた本だ。

 最初の「なぜ日本へ?」-1985・4-からご紹介。

 一年のほぼ半分を東京で暮らすようになったのは、1971年以来のことである。それまでは、毎年、九月から五月までコロンビア大学で教鞭を執り、夏の間の約三ヵ月を日本で過ごしていた。初めのうちは京都に滞在したが、後には東京で暮らすようになった。しかし、やがて、日本の春や秋が味わえないことに苛立ちを覚えるようになった。いっそのことコロンビア大学で教えるのをやめてしまおうかとまず考えたが、そのうちに大学のほうで、一年のうち一月から五月にかけて教壇に立つだけでいいと言ってくれた。
 先生はなぜ、それほど多くの時間を日本で過ごしたいのですか、とよく訊かれる。
 (中 略)
 東京にいるときのほうがより幸福である理由を説明する際、私はまず幾つかの否定形を使った答えを並べ立てるのを常としている。すなわち、東京では、夜遅く暗い通りを独りで歩いても少しも心配する必要がない。東京の地下鉄は落書きで汚されているということもないし、乗客たちにしても、突如として暴力を振るいそうな不穏な様子はない(最近、日本では車内暴力が頻発しているようだが、そのスケールはニューヨークに遠く及ばない。ニューヨークでは凶悪な死傷事件が日常茶飯事なのである)。東京の冬はニューヨークの冬ほど寒くはないし、夏も、ニューヨークの夏と同じように暑いけれど、猛暑はそれほど長く続かない、等々。
 しかし、これら否定形を用いた答えは、苦痛がないことを示唆するものではあるが、積極的に喜びや楽しさを語るものではない。人々に得心してもらうためには、東京における生活の楽しさを語らなければならないだろう。

 この後、その東京、あるいは日本で暮らす楽しさとして、挙げられるのは、次のようなこと。

 ・たった一、二度しか会ったことのない人から親切にされること
 ・ニューヨークでは、銀行の現金自動支払機のトラブルで行列ができた際、行員に
  声をかけると「私の仕事にあれこれ口出ししないでほしい」と言われ、他の仕事を
  片づけるまで、機械を直そうとしなかった。それに比べて、数ヵ月前に日本の銀行で
  同じような機械の故障に遭遇した際、担当者が一生懸命に直そうとし、時間はかかった
  が、しきりに彼は客に詫びを言い、だれ一人として文句を言わなかった
  「この種のささやかな出来事も、日々繰り返されると、その都会の印象の一部として定着」
  すると述懐する。

 そして、その後、こう続けている。

 日本で暮らしたいと思う本当の理由は、自分の専門分野だけではなく、日本に関してできるだけ様々なことを学びたいという気持ちが依然として強いからである。

 あらためて確認するが、この文章が書かれたのは、1985年4月。

 「ドナルド・キーン・センター柏崎」のサイトにある年譜を引用する。
「ドナルド・キーン・センター柏崎」のサイト


1983年(61歳)
   山片蟠桃賞、国際交流基金賞受賞。
  (執筆)
   7月4日~1984年4月13日、「百代の過客 日記にみる日本人」朝日新聞・夕刊、(全185回)。
  (日本人の質問 』 朝日選書。

1984年(62歳)
 『百代の過客』により読売文学賞、日本文学大賞受賞。
  (執筆)
  『百代の過客 日記にみる日本人』朝日選書。
  英語版 "Travelers of a Hundred Ages" NewYork:Henry Holt and Company,1989。

1986年(64歳)
  コロンビア大学に「ドナルド・キーン日本文化センター」設立。
  アメリカン・アカデミー会員(文学部門)に選ばれる。
  春、米ニューヨーク市立図書館、「日本の美学」('Japanese Aesthetics')米カリフォルニア
  大学ロサンゼルス校、「日本の詩」('Japanese Poetry')、「日本の詩の有用性」
  ('TheUses of Japanese Poetry')。
  「日本の小説」('Japanese Fiction')
  8月7日、日本近代文学館主催「夏の文学教室」で「ローマ字でしか書けなかった啄木の真実」
  講演。
  10月8日、国際シンポジウムあまがさき(兵庫県尼崎市総合文化センター)
  「世界のなかの近松―悲劇の条件について」
  10月26日、愛媛県松山市立子規記念博物館開館五周年記念講演、「外国人と俳句」
  10月13日~1987年10月29日「続百代の過客 日記にみる日本人」朝日新聞・夕刊、(全234回)
  (執筆)
   『少し耳の痛くなる話』新潮社。


 前年に『百代の過客』が複数の賞を受賞し、翌年にはコロンビア大学に「ドナルド・キーン日本文化センター」ができるという、そんな研究者として絶頂に近い時期だ。

 年齢は、今の私とほぼ同じ、還暦を少し回った時期。

 そんな時期においても、

 “日本に関してできるだけ様々なことを学びたいという気持ちが依然として強い”キーンさんは、次第に生活の基本をアメリカからニューヨークに移していく。

 「文庫版あとがき」(2015年6月)から引用。

 約三十年ぶりで『二つの母国に生きる』を読み出した時、きっと私は日本がどんなに変わったかを発見するだろうと予想していた。無論、その間に目立った変化が充分にあったことは確かだが、この本を書いた今の“私”は、不思議にこの本を書いた頃の当時の“私”に似ていた。その時書いた冗談は現在でも通じそうで、読みながら笑った。
 しかし大きな変化もあった。この本を書いた頃、毎年の四、五カ月間をニューヨークで過ごし、コロンビア大学で教え、残りの月は東京に滞在していた。そしてニューヨークと東京両方に住居があることを喜んでいた。ところが、もしもなにかの理由で、どちらかにずっと十二ヵ月間を過ごすことを決める必要があったらどうしよう、と自問した。この本の中で私は、その場合東京にする、と書いた。そうしてその通りになった。
 今年はニューヨークに十日間程度しか滞在しなかった。三年前に日本の国籍を取得してからはニューヨークには家がない。このことを知った日本の友人は私に対する態度を変えた。以前は「何時(いつ)アメリカへ帰りますか」と問われたものだ。しかし、国籍を所得してからは私の住まいは東京だけなので、時折ニューヨークと東京を往復することはあるだろうが、帰る国は日本であると認めた。

 キーンさんが、日本国籍を取得したのは、2011年3月11日の後のこと。

 それ以前から、日本国籍を取得しようと思っていらっしゃったようだが、東日本大震災が、その行動を後押ししたようだ。

 震災後、日本国籍を取得した後に東北を訪れたキーンさんの言葉を、JIJI.COMより。
JIJI.COMの該当記事

 東日本大震災をきっかけに日本への移住を決めた日本文学研究の大家ドナルド・キーン米コロンビア大学名誉教授(89)が2011年10月19日、訪問先の仙台市内で記者会見し、「東北全体に美しい町をつくってほしい」と述べ、復興に期待感をにじませた。
 松尾芭蕉の「おくのほそ道」の英訳でも知られるキーン氏は、「東北に深い関心を持っている。仙台は『杜(もり)の都』という名前もあり、そうした伝統を復活させてほしい」と強調した。また、「災難に際して、日本人は落ち着いて、順序良く自分たちのやるべきことをやったということが世界的に知られるようになった。日本人への尊敬は以前に比べ何倍にもなった」と語った 【時事通信社】


 多くの海外からの駐在者などが、震災と原発事故の恐怖から日本を離れたことを考えると、キーンさんの行動の貴重さが分かる。
 
 第一回目は、これにてお開き。

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by kogotokoubei | 2019-03-04 12:21 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)

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