こんなこと学校じゃ教えない(3)ー矢野誠一著『人生読本 落語版』より。
2019年 02月 23日
矢野誠一著『人生読本 落語版』(岩波新書)
矢野誠一さんの『人生読本 落語版』(岩波新書)から三回目。
「第二章 渡る世間に」の「勘当」から。
さっそく、冒頭から引用。
道楽が過ぎて勘当された若旦那が主役の落語がたくさんある。へぇ、「勘」にそんな意味があるんだね。
その勘当という言葉を、近頃あまりきかない。手もとの「国語辞典」で「勘当」をひいたら、
悪行をして親や師が、子や弟子の縁を切ること。義絶。▽罪を勘(かんが)え、
おきてに当てる意から。
とあった。ちなみに「勘」には「罪を問いただす。実情を糾明して責める」の語意がある。
この後、矢野さんはある言葉の謎解きに関して、こう書いている。
若旦那が勘当されるくだりで使われる落語のくすぐりに、
久離(きゅり)切っての勘当。どうも勘当というと胡瓜を切りますようで、
あまり茄子や南瓜は切りません。
というのがあるが、あの久離というのは久離と書くのが本当なのか、それとも旧離と書くほうがいいのか、落語家のなかでも博識で知られる三笑亭夢樂師匠にたずねたことがあった。かれこれ三十年以上むかしのはなしである。夢樂の答はこうだった。
「あれは久離でも旧離でもいいように字引には出てるけど、ほんとうは胡瓜なんだ。むかしは親が子を勘当するとき、胡瓜を半分に切って持たせる習慣があったの。お前に与えるのはこれっきりだというわけだ。いまでこそ一年中いつでも手にはいる胡瓜だけど、むかしは夏のものだったろう。だから勘当は夏ときまってたんだ。それが証拠に若旦那が勘当される落語は『唐茄子屋』にしても『船徳』『湯屋番』だって、季節はみんな夏じゃないか。胡瓜切っての勘当、あまり茄子や南瓜は切りませんようでってくすぐりにも、ちゃんとそれなりの意味があるのさ」
なるほどなあと思った。
三笑亭夢樂、なつかしいねぇ。よく、テレビで拝見したものだ。
夢樂について、Wikipediaから引用する。
Wikipedia「三笑亭夢樂」
幼少時代に馬賊に憧れていたことから、1942年より単身中国北京へ移住。敗戦後帰国し、農林省開拓局に入局。
永井荷風を通じて正岡容を知り、その紹介で、1949年3月に5代目古今亭今輔に入門する。前座名は「今夫」。しかし、当の本人は新作落語、古典落語の概念をあまり知らずとりあえず今輔から提供を受けた新作の台本をやっていたが、ある日柳家金語楼から渡された新作の台本を「八っつぁん」「熊さん」に書き換えたことで今輔から叱責され古典路線の道に転向、1951年4月に新作中心の今輔門下から8代目三笑亭可楽門下へ円満移籍。翌5月、二つ目に昇進し「夢楽」と改名。1958年9月、真打に昇進。
『寄合酒』『三方一両損』『妾馬』などの長屋物を得意ネタとし、明るく軽妙で当意即妙な芸風から大喜利も得意とした。また、『お笑いタッグマッチ』(フジテレビ)、『ばつぐんジョッキー』(CBCラジオ)などのテレビ番組・ラジオ番組にも出演し、人気を集めた。
2005年10月28日、肺不全のため死去。80歳没。
どこで永井荷風と縁があったのだろうか。
五代目今輔門下から移籍(?)という経歴は、歌丸さんと共通している。
私が大好きな八代目可樂の弟子。
テレビやラジオのぼんやりとした記憶だが、たしかに、博識だったのだろうと思わせる。
笑顔が印象的な人だった。
長年「若手落語会」を開催し、志ん朝や談志も重要な修行の場となっていた。
その夢樂の謎解き、矢野さんが信じたのも、むべなるかな、なのだが、後日談。
奥が深いと思って風俗史に関するいろいろの本をあたって勘当のことを調べてみたのだが、どこを探しても胡瓜を半分に切って渡す風習についての記述は見当たらない。思いあぐねて藝能と民俗学に関する篤学の士、日大教授永井啓夫にたずねてみたら、言下に、
「矢野さん、そりゃあ夢樂さんにからかわれたんですよ」
ときたもんだ。
矢野さん、まんまとかつがれたのだが、「不愉快な思いがまったくなかったばかりか、むしろ不思議な爽快感を覚えた」と書いている。
それにもしからかわれなかったら、なんの役にもたたない勘当の風習について、あんなに調べることもなかったはずだ。
勘当されると、奉行所や代官所に届出されて人別帳から除籍されるが、これはいわゆる本勘当というやつで、単に口頭や文章で言い渡されるのは内緒勘当と言って、法的効力はなかった。落語の若旦那のされる勘当は、たいていこれだ。勘当すると親のほうは、子供のしでかした不始末に関して、一切の責務をまぬかれた。問題の胡瓜ならぬ久離あるいは旧離だが、これは失踪中や別居中の子供との関係を断絶することで、欠落久離として勘当とは区別されていた。新時代明治をむかえて法的には廃止された勘当だが、法的に根拠のない私的な勘当は、いまでもまったく姿を消したわけではない。
こうやって勘当の種類や久離のことを、矢野さんから教わることができるのも、夢樂が矢野さんを見事にからかってくれたからと言えるだろう。
この後、道楽が過ぎて勘当された若旦那の噺の多くで若旦那に反省の色が見えないのだが、『唐茄子屋』だけは違う、としてそのあらすじの一部を紹介している。
「お天道様と米のめしはついてまわる」
と威勢のいい啖呵をきって家をとび出したまではよかったが、たよりにしていた吉原(なか)の花魁にはそでにされ、あっちへ二日、こっちに三日の居候も実家のほうから手がまわってながくはつづかず、二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなって、二日三日と食うや食わずでほっつき歩いた身に、ついてきたのはお天道さまばかり。暑い土用の日盛りの大川に、とびこんじまえと佇んだところに出くわした叔父さんに助けられる。この叔父さんなる者が、若旦那の了見を入れかえてやろうと思ってことにあたるから、なかなかに手きびしい。
この若旦那、その本気度には疑問もあるが、一度、死を覚悟しているという点で、確かに他の若旦那勘当ばなしとは、違うなぁ。
そして、あの叔父さんの存在も大きい。
あくる朝は、はやくからたたき起して、薄ぎたないなりで天秤棒肩に唐茄子売りに歩かせる。なにせ箸より重いものは持ったことがなく、茶屋酒のしみこんだ身に、いきなりこういうつらい仕事をさせて、根性をたたきなおそうという荒療治でもって、働くことの尊さを教えるのである。
叔父さんが登場してから、この噺は、骨格がしっかりしてくるように思う。
矢野さん、もう一人、この噺の登場人物のことを書いている。
落語には本筋に直接かかわりを持たない、たくみなエピソードが用意され、作品の効果を高めてくれる例が多いのだが、この『唐茄子屋』に出てくるお節介やきの職人などは、そんなエピソードのにない手として、じつにいい役どころをつとめている。姓名のほどは不詳だが、数ある落語の登場人物のなかでも私の好きな男のうち、五本の指にいれたい存在だ。
まったく同感。
唐茄子を積んだ天秤棒をかついでやって来た田原町。つまづいて転んだ若旦那から事情を聞いて、長屋の連中に唐茄子を売ってくれるあの男、好きだなぁ。
矢野さん、この話を、こう結んでいる。
勘当されたことによって、若旦那はひとの情を知ったわけで、言い変えれば初めてほんとうの世のなかに出たことになる。荒療治ではあるが、勘当もときには人生のお役に立つのだ。
たしかに、一人で暮らし、社会の厳しさを経験することは、重要だ。
私も、大学入学から一人暮らしをすることで、親の有難さを身に染みて感じた。
勘当、ではなかったけどね^^
もし、親の手に余る子供が、今の世で勘当されたら・・・・・・。
田原町のあの男や、あえて厳しく働くことの価値を教えてくれる叔父さんのいない現代では、なかなか難しい問題ではある。
こんなこと、学校じゃ教えないですからね^^
若い噺家さんが割愛することも多いですが、古典落語の今では使われない言葉、ぜひ使い続けて欲しいと思います。
その言葉に含まれる文化、伝統を大事にすることも、落語を愛することにつながるはずです。
先代の柳朝が、人妻と浮気する噺の中で「夢楽じゃあるめえし」と言ってましたから、かなり女性にもてていたんでしょう。
永井荷風は若い頃の一時期、6代目朝寝坊むらくの弟子となり三遊亭夢之助を名乗っていたので、多少のご縁があったのかも知れません。
夢樂、女性にはもてたようですね。
若手落語家にも「おじさん、おじさん」と慕われていたようですので、女性にも優しかったのでしょう。
後に四天王と呼ばれる志ん朝や談志、圓楽、文鳥の修行の場となった「若手落語会」は、手弁当で赤字が出ていましたが、へんな女にひっかかったと思えばいい、と言っていたことが、矢野さんの別の本に書かれていました。
永井荷風、たしかにいっとき六代目朝寝坊むらくに弟子入りしていますね。
しかし、むらくは明治四十年没、大正生まれの夢樂との直接の接点はないので、まだ、謎です。
某派は若旦那なんすな。コホン!
今の世で勘当されたら、というお話、身にしみました。
親の心子知らずの子供でも、結局はどこかで親を頼っている気がしてなりません。
そのわりには憎まれ口ばかりきくのですが。