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こんなこと学校じゃ教えない(1)ー矢野誠一著『人生読本 落語版』より。


 すでに記事で紹介したつもりでいたが、まだだった、と最近になって気づいた本がある。

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矢野誠一著『人生読本 落語版』(岩波新書)

 矢野誠一さんの『人生読本 落語版』は、岩波新書から2008年に発行された。
 Amazonのレビューも最初に書いたし、当然、拙ブログでも紹介済みと思っていたが、まだだった。

 ということで、遅ればせながら、この本より、いくつか紹介したい。

 まずは、第一回目なので、マクラ的な内容を紹介する。

 「あとがき」で、矢野さんが、岩波の編集者との酒席で、この本の企画について話したのが、発行の七年前のことだったと振り返っている。
 酒席で「どんなに遅くなっても来年には」と2001年の秋に口約束していたものの、その後に芝居を観るために費やす時間が増えたりし、つい、七年の年月を経て、ようやく、『エノケン・ロッパの時代』に続く岩波新書の矢野さんの本が、陽の目を見たとのこと。

 「はじめに」から。

 若い頃、ずいぶんたくさんの本を読んだ。古今東西の名著をかたっぱしからという感じで、高校を卒業するまでに、岩波文庫緑帯(近代・現代日本文学)を全巻読破する計画をたてたりして、七割方達成したのではなかったか。
 それだけ乱読していながら、思想書、哲学書、なかんずく人生論にはまったく目を通さなかった。小説でも、人生論じみたテーマのものは最初から敬遠してきた。生きることなんて、誰もがやっているし、誰にでもできることだから、ことさらそれを論じるまでもないだろうという、若さゆえの不遜な考えをいだいていたようだ。若さゆえと、たったいま書いておきながら、気がついてみれば私はいまだにそんな思いを持ちつづけている。要するに人生論がきらいで、考えなしのその日その日を過ごしながら、この年齢(とし)まできてしまったことになる。
 だからと言って、時世時節移り変りの激しいひとの世から、なにも学んでこなかったわけではない。乱読してきた書物は無論だが、夢中になってた芝居と映画、それに多くの師や先輩、友人、知己とのつきあいなど、学校の教室以外のところで、どれだけたくさんの、それもきわめて大切なことを教えられたか、はかり知れない。小むずかしい人生論など読まなくても、身につくものはいくらでもある。

 矢野さんは、昭和10(1935)年生まれ。
 ちなみに、麻布中学から麻布高校を卒業し、大学受験に失敗した後、文化学院に進んだ。

 岩波文庫緑帯の七割・・・凄いねぇ。

 引用を続ける。
 そんな、私にとってのほんとうの人生の教師役をいま思いかえして、まだ若くて感受性のゆたかだった時代に出会うことのできた落語の影響を無視するわけにいかない。まだ若くて感受性のゆたかだった時代というのか、ものごとに影響されやすい時代でもあって、その意味で言うならば、私は落語の世界を、しごく単純、率直、そして無批判に受けいれてしまったような気がする。受けいれっぱなしでここまできてしまった。

 これ、私も同じような思いがある。

 小学生の頃から、テレビ、ラジオの漫才、落語なごが好きで、高校で興津要さんの『古典落語』に遭遇し、続編の発行を心待ちにしていた。
 
 高校の運動部の先輩が卒業する際の予餞会では、落語を披露していた。

 大学受験勉強はラジオの深夜放送を聞きながらだったが、落語が始まると、手が止まってしまい、笑いっぱなし。
 特に、金馬、志ん生が好きで、圓生は、どうも苦手だった。

 私も、落語を目一杯、“受けいれっぱなし”だったなぁ。

 最後に、このシリーズのお題の由来を含む部分を、引用。

 私は落語から多くのことを教えられた。けっして世のため、ひとのためにはならないが、貧しいながら楽しく人生を送るすべを学んできた。古今亭志ん生がしばしば口にした、
「こんなこと学校じゃ教えない」
 のひと言は、まさに教育の妙諦で、その意味でも八代目桂文楽、五代目柳家小さんなどなど綺羅星のごとくにならんだあの時代の寄席は、私にとって最高の教室だった。春風亭小朝が麒麟児よろしく颯爽と登場してきたとき、「小朝をどう思いますか」と訊ねられ、「文楽・志ん生から人生を教わった者が、いまさら小朝ごときから人生を教わりたくない」と答えて顰蹙を買い、いささか反省もしたが、本音だったことにお間違いはない。
 それにつてもと思うのだ。
 大世紀末を、前倒しならぬ後倒ししたような、昨今の地に堕ちた世情を見せつけられると、石油を使うことなく、テレビとも、パソコンとも、携帯とも無縁の、不便で貧しくはあってもこころ豊かだった落語の世界から、あらためて人生を学びなおしてもいいのではあるまいか。

 志ん生の名科白、廓ばなしのマクラなどで、よく使っている。

 すでに書いたように、本書の発行は、2008年。
 それから、十年余が経過した。

 “大世紀末”を“後倒し”したような“地に堕ちた世情”は、変らない。

 いや、悪化するばかりではないか。

 ということで、次回より、本書を元に、あらためで落語から人生を学びなおそうと思う。
Commented by at 2019-02-21 06:42 x
矢野誠一は水原弘や戸塚睦夫について書いた文章を読んで感激、人間について精通していると思っておりましたが、そうですか、大変な読書歴がベースにあったんですね。
志の輔は「忠臣蔵で討ち入りしなかった家臣の側に立つのが落語だ」というようなことを語っています。幅を持って考えよ、ということでしょうか?
Commented by kogotokoubei at 2019-02-21 08:32
>福さんへ

岩波文庫緑帯、結構たくさんありますからね。
忠臣蔵のお話、家元談志の言葉だったような気がします。
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by kogotokoubei | 2019-02-20 21:27 | 落語の本 | Trackback | Comments(2)

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