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立川左談次のCD-『宿屋の富』『付き馬』

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 11日の「立川左談次を偲ぶ会」でいただいたCD。
 「制作:鈴々舎馬桜」と、してある。
 CDジャケットのイラストは、山藤章二さんが無償でご提供、とのこと。


 木戸銭三千円で、あの落語会を楽しめたのに加え、この二席。

 ここ数年、むやみに高い木戸銭の割りに、がっかりする落語会も多い中、この落語会は、素晴らしい!

 CDは100枚制作だったので、手違いで増えた約120名のお客さんの中で、当日お渡しできなかった方には、馬桜さんが送料負担し送付するとのことだった。

 馬桜さん、結構、持ち出しの会になったのではなかろうか。

 『宿屋の富』は、2011年10月、木更津清見台ホールの高座。
 『付き馬』は、2013年3月16日、浅草ニコニコ大会(東洋館)の高座。

 それぞれ、聴いた感想を記す。

『宿屋の富』
 客席から「待ってました!」の声。
 地域の落語会(晴見台寄席)ならではの客席の暖かい空気が伝わる。
 ちょうど、プロ野球が佳境を迎えた時期だったのであろう、地元球団の話題がマクラ
 の冒頭でふれられている。
 また、師匠談志のことにも「今は亡き談次は」とギャグにしていたが、この時期は、談志が亡く
 なるほぼ一ヶ月前。その容態が危ぶまれていた時期だ。
 その談志や大師匠小さが高座の挨拶の頭を下げる仕草を演じているが、これはその日、会場にいた
 お客さんしか楽しめないのは、当然のこと。
 会場が葬祭場なので、控室が「導師様」の部屋、というのは可笑しかった。
 そんな少し長めのマクラから、本編へ。
 仲の良かった古今亭志ん五譲りの志ん生型、とプログラムで解説されていたが、湯島天神での
 場面、古今亭では二番富の五百両が当る、という若い男の妄想ばなしは、三番富の三百両が当る、
 予定、と替えられている。
 とはいえ、全体的には古今亭の筋書きで、楽しい高座になっている。
 
 
『付き馬』
 11日にいただいたプログラムによると、雲助は、この噺を十八番としていた初代小せんの
 速記に基づいているとのこと。
 であるなら、左談次の高座も、ほぼ雲助と同じような筋書きなので、お互いにその源は、
 同じ初代小せんではなかろうか。
 雲助との違いは、たとえば、男が吉原の妓夫太郎を引っ張りまわす道中で、築地行きの
 ボギー車が雲助では登場するが、左談次では含まれないなどだが、基本的な構成や、
 クスグリは似ている。
 「見ぬようで見るようで 客は扇の垣根より」や、「五十の着物に百の帯」なども、挟まれる。
 妓夫太郎がついに怒り出すのは、紅梅焼きと豆屋の場面だが、そこまでの道中のテンポが実に良い。
 雲助もそうだったが、若い衆を騙すこの男が、ほどよく「軽い」のだ。
 雲助は、左談次版を意識し、できるだけ同じ型でと配慮したのではなかろうか。
 飄々とした左談次の語り口は、この噺にニンだ。
 田原町のオジサンの江戸っ子ぶりも、良かった。
 人を騙す噺なので、演者によっては暗く重くなりがちなのを、実に楽しい噺に仕上げている。


 ということで、ようやく雲助や一朝が「さだやん」と親しみをこめて呼ぶ、立川左談次という噺家
 さんの高座を、私自身が偲ぶことができた。

 二席に共通しているのは、実に丁寧で分かりやすい、ということ。
 11日の鼎談で知った逸話からは、もっと伝法な高座なのかと思っていたので、意外だった。

 そして、無理に笑わせようという意図は、まったくうかがえない。噺本来の持つ味を引き出せば、落語というのは楽しいものだ、ということを伝えてくれる。

 なるほど、落語協会に戻って欲しかった、と雲助が言うのが、よく理解できる。

 とはいえ、やや物足りなさを感じたのは、11日の偲ぶ会で、一朝と雲助の出色の高座の記憶が、まだ新しいからだろう。
 あの二人の高座のすぐ後では、左談次も不運(?)

 一朝の『宿屋の富』、そして、雲助の『付き馬』は、それだけ素晴らしかった。

 二人とも、天国で見守る左談次に、情けない姿は見せられないという強い思いが、あの高座につながったような気がする。

 11日の鼎談で、馬桜からの「左談次の一席は?」という問いに、雲助は『大安売り』、一朝は『真田小僧』をあげた。
 二人が言っていた、得がたい「軽さ」は、それらの噺で鮮明だったに違いない。

 その二席の音源もあるなら、ぜひ、聴きたいものである。
Commented by saheizi-inokori at 2019-02-15 22:19
毎晩CDを聴きながら寝ようと思うけど、枕が終わらないうちに寝てしまいます。今夜はどうかな。
Commented by at 2019-02-16 06:57 x
左談次は晩年、立川流と距離を置いていたと聞いています。
その心事をはかることはできませんが、ら族に共通する談志信奉があったかもしれません。紀伊国屋ホールの「談志ひとり会」は談志欠席の時、左談次が代演することが多かったそうです。
Commented by kogotokoubei at 2019-02-16 08:24
>佐平次さんへ

『宿屋の富』のマクラが長いからでしょうね。
『付き馬』からお聴きになってはいかがですか。
Commented by kogotokoubei at 2019-02-16 08:28
>福さんへ

談志亡き立川流は、屋台骨のない家ですから、そこには定住者は存在しませんね。
「ら族」にこそ家元のDNAが色濃く継承されていると思います。
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by kogotokoubei | 2019-02-15 21:18 | 落語のCD | Trackback | Comments(4)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


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