左談次の一周忌を前に、思うこと。
2019年 02月 14日
3月19日の命日に向けて、さまざまな追善興行があると思う。
先んじて、立川流を離れた馬桜が会を開いたことには、彼の思いが込められていたと察する。
鈴々舎馬桜については、かつて、聴かず嫌いな面があった。
それは、彼が立川流を脱退して、落語協会に戻ったことについて、弟弟子たちの著作や、高座のマクラで、あまり良く言わなかったことが、潜在的に脳裏にあったからだと思う。
すぐ下の弟弟子、談四楼は著作の中で、談生を好意的には、書いてはいない。
しかし、それもやむなし、だろう。
立川流発足間もない頃、何かと不安な時に、自分たちを捨てて協会に戻った兄弟子、という思いもあるだろう。
しかし、立川流発足後に入門した者が、談生を非難するのは、私には少し違和感がある。
中でも志らくは、名指しで非難していたのを二度ほどマクラで聞いているが、どうも、聞いていて、良い感じはしなかった。
志らくが入門後、談生とどんな交流があったのか、あるいは、交流がなかったのかは知らないが、相手は、落語家として大先輩である。
協会に戻ったからと言って、あからさまに非難する資格が、志らくにあるとは思えない。
私は、ブログを始める前から、横浜にぎわい座の「志らく百席」などに行っていた。
実に、センスの良い若手落語家、というのが当時の印象。
しかし、次第に彼の落語を聴かなくなったのは、一つは、自分が一番談志のDNAを継いでいる、というような態度や発言が鼻についてきたこと。
そして、立川流以外の噺家、中でも、脱退した人に対するなんとも失礼な発言が、少なからず彼と距離を置くことに影響したと思う。
それはそれとして、寄席や落語会で馬桜の高座に接するにつれ、この人への聴かず嫌いの垣根は、次第に低くなっていった。
軽い調子ながら、知的センスも覗かせる、なかなか味のある高座は、悪くない。
昭和56(1981)年には、NHK新人落語コンクールで優秀賞を受賞している。ちなみに、その時の最優秀賞は、弟弟子、朝寝坊のらく、現在の立川ぜん馬だ。
談志門下の弟弟子だが、二人は翌年、同時に真打に昇進している。
馬桜は、立川流ができた二年後の昭和60(1985)年に立川流を脱退して、鈴々舎馬風門下となる。落語協会への復帰が認められたのは翌年一月のことだ。
彼(談生)は、立川流設立を談志が弟子に宣言した後も、師匠は落語協会に戻るはずだ、と信じていたことは、談四楼の本から紹介した通り。
寄席に出たかったのだろうし、協会の数多の師匠たちからも稽古をつけてもらいたかったのだと、察する。
談生は、前年の昭和57年12月に、真打に昇進したばかりだった。
十人、真打昇進試験を受験し、全員合格した年で、兄弟子左談次、弟弟子ぜん馬も同時昇進だった。
左談次、ぜん馬は、立川流に残った。
しかし、談生は、協会に戻った。
11日の鼎談で知ったことだが、談生の二ツ目時代、兄弟子の左談次(談奈)と弟弟子の現在の龍志との三人会を開いた後、龍志が抜け、雲助や一朝と三人会を開催していたとのこと。
彼は協会の香盤の近い先輩や同期たちとの交流が深かったのだ。
談生は、昭和53年に協会を脱退した三遊亭圓生一門に置き換えると、圓丈とよく似ていると思う。
圓丈は、昭和53年に真打に昇進し、それからたった二ヵ月後に、あの事件が勃発。
真打昇進した直後の師匠の協会脱退、という点で圓丈と談生は似た体験をしているわけだ。
結果として二人とも、協会に戻っているのも、やむなし、と言えるのではなかろうか。
せっかく、前座修行を終え、二ツ目としての苦労を積んで、昇進した真打。
さて、これから、と言う時に、親方が「おい、ここを出るぞ」てなもんで協会を去ることで、自分が修行の場であり、名を売り、芸を披露する寄席出演の機会を失うのである。
左談次を偲ぶ会では、「立川流と交流がないもので」と話していたが、それは、お互いに、過去を引きずっているのだろう。
談四楼は、『シャレのち曇り』の文庫版(平成20年刊)の最終章「その後の落語界・上」で、次のように書いている。
去る人もいます。談プさんはどうしているのでしょう。司会者をしているはずなのですが会いませんねえ。談生さんと小談志さんは、馬風門下の人となりました。たまに出くわすのですが、深い話はしません。それがルールで、その心中を推しはかるのみです。ま、それぞれの人生を歩んでいるわけですから。
「それがルール」なのか・・・・・・。
他人には、とやかく言えない、介入できない関係があるのだとは、思う。
わだかまりは、消えにくいかもしれない。
しかし、「時が解決する」ということもあるのではないか。
左談次の一周忌を機に、彼の弟弟子の交流が復活するのなら、あの世の左談次もきっと喜ぶ、そんな気がする。
特に馬桜と談四楼は、左談次との関係性の強さで、ヨリ(?)を戻せるのではなかろうか。
二人は、NHK新人落語コンクールで優秀賞、いわば第二位を獲得したという縁もある。
ちなみに、談四楼の受賞は、ぜん馬が最優秀賞、談生が優秀賞を獲得する前年の昭和55年。なお、その年の大賞受賞者は、当時の雷門助三、現在の春雨や雷蔵。
馬桜が昭和24年生まれ、談四楼、昭和26年生まれの二歳違い。
お互い、古希を迎えようという時期になっている。
ぜひ、左談次のネタを肴に、二人が酒を酌み交わしてくれることを願う。