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生涯不良、勝小吉という男(3)ー勝小吉『夢酔独言』より。


 本書の紹介に入る前に、ある映画のこと。
 いただいたコメントで、『あばれ獅子』という、小吉を主人公にした阪東妻三郎主演の映画があると教えていただいた。

 どうしても気になって、検索。
 moviewalkerで確認した。
 昭和28年の松竹映画だった。
 
 サイトから引用する。
movieewalkerplusサイトの該当ページ

作品情報
日本経済新聞に三年間連載された子母沢寛の「勝海舟」より「腕くらべ千両役者」の八住利雄が脚色し、「闘魂」の大曾根辰夫が監督に当る時代劇で、先頃急逝した阪東妻三郎(丹下左膳)最後の出演映画である。(後略)

 原作は、子母澤寛の『勝海舟』で、残念ながら『夢酔独言』ではなかった。

 コメントでも、バンツマは途中で役を降り、他の俳優さんの後姿が使われたとご指摘いただいたが、なるほど、バンツマの遺作。

 せっかくなので(?)、ストーリーも引用。

映画のストーリー
十二代将軍家慶の頃。四十石の旗本勝小吉は剣に秀れ覇気もある男だったが、太平の世の中では彼の評価も薄く、放蕩無頼の生活で鬱憤を晴らして居たのがたたって三十五歳の若さで隠居を命ぜられた。が、苦しい中にも一子麟太郎だけは江戸随一の剣客島田虎之助の門で修業させて居た。或夜麟太郎から新しい学問、蘭学を勉強したい旨を聞いた小吉は「お前のお袋に楽しい日を送らせてやってくれ」としみじみ云い、女房のお信を泣かせた。一夜明けると昨夜の事はけろりと忘れ、相変らず暴れ廻る小吉はごろつき侍であっても、悪侍小林隼太を懲し、妙見の禰宜や隣家の岡野家を救うという侠気に、江戸庶民の人気は素晴らしかった。その間、麟太郎は虎之助から免許皆伝を得、蘭学を永井青崖から教えられたが、やはり当時の時勢に入れられなかった。その麟太郎がひょんな事から恋をした。相手は炭屋の娘、辰巳芸者の君江で、彼女が深川の鳶の者にからまれているのを救った事がキッカケだったが、めったにしたことのない麟太郎の喧嘩も小吉とは又違った立派なものだった。以来、君江と麟太郎は時たまの逢瀬を楽しんでいた。小吉は烈火の如く怒ったが、美しくやさしく而もシャンとした彼女の人物に惚れてしまった。(後略)

 前半から中盤までは小吉が中心、後半は、小吉と麟太郎親子の物語、ということだね。麟太郎の恋の物語も、映画に艶を与えているようだ。

 子母澤寛も、『父子鷹』などの作品があるので、間違いなく『夢酔独言』は、海舟ものを書くにしても参考にしているはず。

 この映画、なんとか見たいものだ。

生涯不良、勝小吉という男(3)ー勝小吉『夢酔独言』より。_e0337777_09395809.jpg

勝小吉『夢酔独言』

 では、あらためて『夢酔独言』から三回目。

 前回は、八歳の時、八人対四・五十人の喧嘩をして、父親に三十日押し込めの罰を受けたこと、九歳では、柔術の道場仲間に縛られて天井につらされたが、ただでは負けなかった、ということなどをご紹介した。

 さて、その後の小吉。

 柔術の稽古や剣術の稽古もしていたが、馬に乗ることも大好きな小吉だった。
 もちろん、喧嘩はもっと好き。

 しかし、父親、そして兄は、そんな小吉の将来のため腐心する。

 兄の男谷思考(ひろたか)は、信濃国天領中之条陣屋の代官を勤めていたので、たびたび江戸と信州を行き来していた。
 その兄が、いる時は、そうは遊んでばかりもいられない。

 十二の年、兄きが世話をして学問をはじめたが、林大学頭の所へ連れ行きやったが、夫より聖堂の寄宿部屋保木(ほき)巳之吉と佐野郡左衛門といふきもいりの処へいって、大学をおしへて貰ったが、学問はきらい故、や。毎日ゝゝさくらの馬場へ垣根をくぐりていって、馬ばかり乗っていた。「大学」五、六枚も覚えしや。両人より断りし故に、うれしかった。

 せっかく学問所に通っても、こういう始末。

 兄きが御代官を勤めたが、信州へ五ケ年つめきりをしたが、三ケ年目に御機げん窺に江戸へ出たが、そのときおれが馬ばかりかゝっていて銭金をつかふゆ故、馬の稽古をやめろとて、先生へ断の手紙をやった。其上にておれをひどくしかって、禁足をしろといゝおった。夫から当分内に居たがこまったよ。

 押し込めや禁足、そんな罰を受けて困っただろうが、それでひるむような小吉ではない。

 では、そろそろ今回の主要テーマ、旅に出た小吉のこと。

 十四の年、おれがおもふには、男は何をしても一生くわれるから、上方当(あた)りへかけおちをして、一生いようふとおもって、五月の廿八日に、もゝ引をはいて内を出たが、世間の中は一向しらず、かねも七、八両斗りぬすみ出して、腹に巻付て、先づ品川まで道をきゝきゝして来たが、なんだかこゝろぼそかった。
 夫からむやみに歩行て、其日は藤沢へとまったが、翌日はやく起きて宿を出たが、どふしたらとかろふと、ふらゝゝゆくと、町人の二人連の男が跡よりきて、おれに、「どこへゆく」と聞くから、「あてはなゐが上方へゆく」といったら、「わしも上方まで行くから一所にゆけ」といゝおった故、おれも力を得て、一所にいって、小田原へとまった。其時、「あしたは御関所だが、手形はもっているか」といふ故、「そんな物しらぬ」といったら、「銭を弐百文だせ。手形を宿で貰ってやる」といふから、そいつがいふとおりにして関所も越したが、油断はしなかったが、浜松で留った時は、二人が道々よくせわをして呉たから、少し心がゆるんで、はだかで寝たが、其晩にきものも大小も腹にくゝしつけた金もみんな取られた。
 朝、目がさめた故、枕元を見たらなんにもなゐから、きもがつぶれた。宿やの亭主に聞いたら、二人は、「尾張の津島祭りにまに合わないから、先へゆくから、跡よりこひ」といって立おったといふから、おれも途方にくれて、なゐていたよ。
 亭主がいふには、「夫は道中のごまのはゐというふ物だ。わたしは江戸からの御連れとおもったが、何しろきのどくなことだ。どこを志してゆかしやる」とて、じつに世話をしてくれた。

 あら、小吉、“ごまのはゐ”に、やられてしまったのだ。

 さすがの小吉も、十四歳で遭遇した災難に、“なゐていた”んだ。

 さて、この後、小吉はどうやってこの苦難を脱したのかについては、次回。

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by kogotokoubei | 2019-01-25 08:54 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛
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