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海老蔵の団十郎襲名で、思うこと。

 一昨日と昨日のアクセスランキングで、ほぼ六年前、2013年2月の記事へのアクセスが急増していた。

 「成田屋のこと」という記事。
2013年2月4日のブログ

 十二代目が亡くなった、次の日の記事。

 海老蔵が来年五月に十三代目団十郎を襲名するというニュースがあったことによる検索が影響しているようだ。

 そうか、二月三日の七回忌を前に、発表したわけだ。

 六年前の記事は、訃報の中で、成田屋がケネディ家と同じような不幸な因縁があり、団十郎が早死にするという内容があったので、それについて反論的な内容を書いた。

 来年五月、十三代目市川団十郎の誕生を、時期尚早と見るか、否か・・・・・・。

 Wikipediaの「市川團十郎」を元に、初代から十二代までの生年、團十郎襲名年、没年を並べてみる。分かりやすいように西暦で記す。
Wikipedia「市川團十郎」
 
 初代 1660年生まれ--->1675年(15歳)で襲名--->1704年没(44歳)
 二代 1688年生まれ--->1704年(16歳)で襲名--->1758年没(70歳)
 三代 1721年生まれ--->1735年(14歳)で襲名--->1742年没(21歳)
 四代 1711年生まれ--->1754年(43歳)で襲名--->1778年没(67歳)
 五代 1741年生まれ--->1770年(29歳)で襲名--->1806年没(65歳)
 六代 1778年生まれ--->1791年(13歳)で襲名--->1799年没(21歳)
 七代 1791年生まれ--->1800年(9歳)で襲名--->1859年没(68歳)
 八代 1823年生まれ--->1832年(9歳)で襲名--->1854年没(21歳)
 九代 1838年生まれ--->1855年(17歳)で襲名--->1903年没(65歳)
 十代 1880年生まれ--------->1956年没(76歳)*死後に追贈
十一代 1909年生まれ--->1962年(53歳)で襲名--->1965年没(56歳)
十二代 1946年生まれ--->1985年(39歳)で襲名--->2013年没(67歳)


 先代が亡くなってすぐ襲名した人もいて、少年期で団十郎となった人も少なくない。

 年代別の襲名者の人数は、このようになっている。

  十歳未満  2人
  十代    5人
  二十代   1人
  三十代   1人
  四十代   1人
  五十代   1人
  死後追贈  1人

 「劇聖」と言われた九代目も、兄の八代目が早世したこともあるが、十代で襲名している。

 十三代は、来年43歳での襲名になるが、過去の事例からは、高齢での襲名のうちに入る。決して、早すぎることはない。

 東京五輪の年に、そのお祭りに先駆けて五月から襲名披露興行が開催されるが、成田屋十八番の「荒事」が中心になるのだろう。どうしても無理をしてしまうのではなかろうか。

 余談だが、JOC会長の会見を見ると、東京五輪というイベント・ビジネスにまつわる疑惑は、まさにこのイベントも「荒事」だなぁ、と思う。

 さて、ほぼ四十歳と同じような年齢で襲名した父も、五十路で継いだ祖父も、そう長生きした方ではない。

 あまり無理をしないで、長くこの大名跡を名乗ってもらい、自分が元気なうちに、十四代目を誕生させて欲しいと思う。

 大名跡が復活するのは、歌舞伎も落語も、良いことだと思う。

 そういう意味では、団十郎の復活に合わせて、成田屋を贔屓にしていた、あの名人の名跡の復活を期待したいものだ。

海老蔵の団十郎襲名で、思うこと。_e0337777_14053894.jpg

関山和夫著『落語名人伝』(白水Uブックス)

 海老蔵の酒の上での“荒事”の後で書いた記事で、関山和夫著『落語名人伝』(白水Uブックス)から次の文章を引用した。
2010年12月10日のブログ

 三遊亭円朝の辞世の句「目を閉じて聞き定めけり露の音」には仏教的な“悟り”が感じられて感銘深いものがあるが、談洲楼燕枝が残した「動くもの終りはありてこぶ柳」には悲痛な感じがただよっている。
 柳亭燕枝があえて談洲楼といったのは、むろん市川団十郎から来ているのだが、それが烏亭焉馬への憧憬の志を含んでいることは見逃せない。落語中興の祖といわれる烏亭焉馬は、五代目団十郎に傾倒して談洲楼焉馬と称したが、燕枝は焉馬を追慕したようである。燕枝は若いころから道具入りの芝居噺を演じたが、声色は河原崎権之助(のちの九代目市川団十郎)の真似が一番うまかったという。よほど成田屋が好きだったのであろう。

 このように、柳亭焉馬は五代目、初代談洲楼燕枝は九代目の大の贔屓だったのである。
 ちなみに、歌舞伎の世界で「九代目」といえば、この人のこと。

 燕枝の名跡は、三代目が柳亭燕枝を名乗っていたが、昭和30(1955)年に亡くなって以降、空白のままだ。

 私は、三遊派の円朝と競い合った初代燕枝の作『嶋鵆沖白浪』を復活させた柳家三三に、ぜひ談洲楼燕枝の四代目を襲名して欲しいと思っている。

 団十郎とともに談洲楼も復活、なんて、実に楽しいではないか。

 三三なのだ、成田屋を贔屓にして、定紋にちなんだ「三升連」になる縁もある。

Commented by 彗風月 at 2019-01-16 16:39
今年もよろしくお願い致します。
談洲楼燕枝、いいですね。三三はそろそろ別の名前の方が良いとかねがね思っていましたから、柳派の欠番を復活させるいいチャンスかもしれません。余談ですが、家元は格に併せた改名賛成派で『談志楽屋噺』で、今は談志を名乗っているが、自分もいずれは談洲楼燕枝とか春錦亭柳桜とかを名乗らなきゃならん、的なことを書いてました。そのまま協会にいればあの人のことだからホントに継いだかもしれませんね。菊之丞が志ん生襲名の準備をしている、なんて記事も昨年末に読みました。これが本当なら盆と正月が一緒になっちゃいますね。
Commented by kogotokoubei at 2019-01-16 20:57
>彗風月さんへ

ご賛同いただき、ありがとうございます。
談志が継ぐ機会がなくて、結果、良かった^^
菊之丞の志ん生ですか・・・・・・。
まだ、白酒の方がニンではないでしょうか。
本当は志ん輔が継いでくれると、収まるがいいような気がします。
後は、柳桜もそうですが、春風亭柳枝も空白期間が長くなりましたね。
Commented by at 2019-01-18 06:40
そうそう、菊師はかつて「古今亭には名跡がまだふたつ残っている、(おふねやぎっちらこ以外にだったか)志ん生と志ん朝・・・」とやって笑わせていましたっけ。
この二人の名跡は巨人軍の背番号1と3くらい重いのだろうと思っていましたが。
小朝の圓朝襲名の話と思い合わせてしまいます。
Commented by kogotokoubei at 2019-01-18 08:55
>福さんへ

菊之丞は、圓菊を継ぐほうが相応しいように思います。
あるいは、菊生が襲名するつもりなのかな。

小朝が圓朝・・・ありえないでしょうし、本人が望んでも三遊派から大反対でしょう。


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by kogotokoubei | 2019-01-16 12:36 | 襲名 | Trackback | Comments(4)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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