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「忠臣蔵」を作った男、多門伝八郎(2)ー佐藤孔亮著「『忠臣蔵事件』の真相」より。

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「忠臣蔵事件」の真相(佐藤孔亮著・平凡社新書)

 佐藤孔亮著「『忠臣蔵事件』の真相」(平凡社新書)を元に、このシリーズの二回目。

 前回は、浅野長矩の有名な辞世は、刃傷事件の後に長矩を取り調べた目付の一人、多門(おかど)伝八郎が残した覚書にしか書かれていないことを紹介した。

 長矩が預けられ切腹の場となった田村家の関係者が残した三つの記録には、辞世についての記載がまったくない。よって、地元赤穂市の記録においても、あの辞世が長矩が実際に詠んだものかは疑わしいと指摘しているのだ。

 どうも、多門の創作ではないかという説が、現在では有力となってきている。

 また、多門は、他にも創作している可能性がある。

介錯の刀をめぐる重大な疑問

 辞世の歌の他にも多門の『覚書』には首をひねらざるを得ない箇所がいくつもある。
 第二点は介錯の刀である。先にも紹介した多門の『覚書』には辞世の歌の直前にこのような場面がある。
 六つ過ぎ、長矩が切腹の座に着くと、御検使衆に一つ願いがある、と言って「拙者の差料をお預けしたはずだが、その刀で介錯してもらいたい。その刀は後で介錯人にお渡しいたしたい」というのである。大検使の庄田下総守は副使である目付二人、つまり大久保権左衛門、多門伝八郎と相談した上、願いのとおり預かりの刀を取り寄せることにした。そして長矩が辞世の歌を詠んでいる間にそれが届いた。
 はたして切腹する当人が、自分の刀で介錯して欲しい、と願い出ることは実際にあることだろうか。疑問である。しかもその刀を介錯人に与える、という。何のために、という疑問がわく。

 介錯に、自分の刀を使って欲しい・・・と願う感覚、なんともつかみ難い。

 この件についても、切腹の場、田村家の記録が多門への反証となる。

 介錯の刀に関しては『杢助手控』に詳しい。大名切腹の介錯の刀ということから、殿様の御腰の物から下げ渡しを戴きたいと、小姓頭が吟味した上、「美濃千寿院の刀」が一枚五両の札が付いているのをどうか、と伺ったところ、殿様の田村右京太夫は「この刀はそのようなことに使うものではない。誰がそのようなことを言ったのか」と叱ったという。そのため加賀清光(長さ二尺一寸)を下され、袋箱がなかったので相応なる袋箱を用意する、というバタバタぶりである。
 一方、三方に載せ、長矩が切腹で用いる小脇差は長光の小脇差を使った。由緒あるもので、使用後に研ぎなおし、鞘なども作り変えて納め置いたという。
 これによると、あれこれ吟味した上、殿様の意向もあって、介錯の刀は加賀清光、小脇差は長光に決まったというのである。五万石の大名を急に預かり、その切腹にあたって短時間での田村家の準備がいかに大変だったのか、よくわかる話である。

 田村右京太夫、右京太夫は官位、本名は田村建顕(たむらたつあき)で、陸奥岩沼藩第二代藩主にして、のちに田村家一関藩初代藩主となった人。

 前回、田村家の記録が三種類のあると紹介したが、その一つは『一関藩家中(かちゅう)長岡七郎兵衛記録』(以下『長岡記録』)。一関藩、となっているのは、田村家が初代藩主であったからなのだ。
 『杢助手控』も、正式には『一関藩家中北郷(きたざと)杢助手控(もくすけてびかえ)』なのを短縮したもの。もう一つの田村家の記録は、『三月十四日御用留書抜』(以下『御用留書抜』)だが、『杢助手控』以外の二つの記録には、刀について詳しいことは書かれていない。

 では、『多門伝八郎覚書』と『杢助手控』のどちらが、正しいのか。

 筆者も、そして私も、『杢助手控』に軍配を上げる。
 
 その内容が、現場に居た者でしか書けないリアリティがあるのだ。

 反して多門の覚書には、まるで小説のような、創作された痕跡がある。

 また、浅野長矩という大名の振る舞いとしても、多門が残した記録には疑問が消えない。

 筆者の見解を引用。

 私は史料を読み解くことによって、従来言われてきた浅野長矩像を見直していきたいと思っているが、切腹の場における長矩は、従容として潔く最期の場に臨んだのではないか。五万石の大名として、よけいな振る舞いはなかった、と思いたい。
 『多門覚書』は最初から最後まで浅野びいきの立場で書かれている史料である。その意図が何であるのか知らないが、ときにこうしたひいきの引き倒しにも見える記述がある。

 辞世の歌、介錯の刀、そして、他にも『多門覚書』には、他の記録にはない劇的とも言える記述があるが、それは、次回のお楽しみ。
 
Commented by at 2019-01-14 07:05 x
小林秀雄も浅野の切腹について頁を割いて分析をしておりました。
落語では例の鼻でフフン忠臣蔵というクスグリがあり、関連の演目もありますが、
志の輔の言うように、「ストーリー自体の忠臣蔵はない」。
これは一考に値します。壮大な悲劇ゆえ、落語にしにくいのでは。
Commented by kogotokoubei at 2019-01-14 08:34
>福さんへ

小林秀雄の本は未見なので、ぜひ読もうと思います。
『四段目』『七段目』などの落語ネタは、あくまで『仮名手本忠臣蔵』の落語化ですが、史実と俗説のギャップを広げる作用はあったでしょうね。
引用している本では、なぜ、歌舞伎では討ち入りの段をほとんど演じないのか、などについても考察されており、なかなか興味深いです。
最終回で、そのあたりも紹介するつもりです。
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by kogotokoubei | 2019-01-12 10:36 | 江戸関連 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛