四代目三遊亭小円朝の訃報とアクセス急増の記事のこと、など。
2018年 12月 19日
一昨日17日の記事別アクセス数の結果を見て、驚いた。
二年余り前に飯島友治さんの本を元に三代目三遊亭小円朝について書いた記事のアクセス数が、一日で1895と、2000近くになっていた。
2016年4月29日のブログ
ひと月でも特定の記事へのアクセス数が1000を越えることは稀なのに、一日でこの数とは・・・・・・。
もしかすると、システム障害かもしれない。
ちなみに二番目にアクセスが多かったのは、五年以上前に、談志家元の本の引用などで四代目三遊亭小円遊について書いた記事だが、アクセス数は300位で、この数も通常では考えられない数なのだ。
2013年10月5日のブログ
ただし、「笑点」の人気者だった小円遊の記事は、結構安定的にアクセスがあるので、そうは驚かないのだが、小円朝という地味な噺家さんの記事へのアクセス急増は想定をはるかに超えている。
きっと、この現象は、四代目三遊亭小円朝の訃報が影響しているのだろう。
15日に、四十九歳という若さで肺炎で亡くなったとのこと。
残念ながら、生の高座に出会ったことはない。
円楽一門。
師匠は六代目三遊亭円橘。
父も噺家の三代目三遊亭円之助。
円橘も円之助も、三代目小円朝の弟子だった。
多くのメディアの訃報の中で、スポーツ報知がもっとも詳しかったので、引用する。
スポーツ報知の該当記事
小円朝さんの父親は3代目・三遊亭円之助。1996年に父親の弟弟子になる三遊亭円橘に入門。97年に二ツ目に昇進し4代目・円之助を襲名。2005年5月に真打ちに昇進し4代目・小円朝を襲名した。
ここ数年は体調を崩し入退院を繰り返していた。今年6月には兄弟弟子が「小円朝再生落語会」を開催し、「芝浜」を熱演していた。11月末にインフルエンザから肺炎を発症し入院。今月7日に予定されていた「第2回 小円朝再生落語会」は師匠の円橘が代演した。
関係者によると、亡くなる前日の14日、師匠・円橘や兄弟弟子がお見舞いに行った時は円橘の「来年4月に落語会を開くから頑張れよ」の激励にはっきり返事をするなど、意識もあったが、翌早朝、眠るように息を引き取ったという。
最後の高座は10月、千葉・富浦での落語会だった。小円朝さんは落語協会での修業経験もあり、5代目円楽一門会が出演する両国寄席で、太鼓などの鳴り物や、前座修業のしきたりなどを教える良き兄貴分でもあった。
落語協会での修行経験、とあるが、最初小三治に弟子入りしたのだった。前座名は、さんぽ。入門順では、一琴と三三との間に入る。二年ほどで破門となってしまっている。
小三治の奥様、郡山和世さんの名著『噺家カミサン繁盛記』に名前を探したが、見つからなかったなぁ。
お父さんの円之助も、昭和4(1929)年生まれで、小円朝が高校時代の昭和60(1985)年に亡くなっており、決して長命とは言えなかった。
萬橘、橘也の兄弟子にあたる円橘一門の総領弟子。
三代目小円朝の記事では、飯島友治さんが、三代目について「微笑みを演じる芸」と形容していたことを紹介した。
訃報に掲載されている四代目の柔和な写真から、そんなことを思い出した。
高座への出会いはなかったが、四代目三遊亭小円朝のご冥福をお祈りする。
若手の頃から古典落語をキッチリ聴かせる本寸法の芸風だったと思いますが、父君譲り(?)の“酒豪”として鳴らしていたようで、正月の落語会ではメクリの脇に一升瓶が何本か寄贈されていたのを思い出します。相当に酒好きだったのでしょうが、やはり酒が元で寿命を縮める結果となったとすると、何とも残念です【合掌】
前座時代からご存知だったんですね。
そうでしたか。
正統派の噺家さんだったようで、未見だったのは残念です。
インフルエンザからの肺炎とのことで、お酒の影響についてはよく分かりませんが、まだまだこれからの年齢でしたね。
こういうことがあるから、もっと聴いたことのない噺家さんを聴かなきゃ、と痛感します。
