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噺の話

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狂歌が大好きな噺家さんの本(1)ー春風亭栄枝著『蜀山人狂歌ばなし』より。


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春風亭栄枝著『蜀山人狂歌ばなし』
 平岩弓枝の『橋の上の霜』との関連から二度記事にしたが、あらためて、狂歌、なかでも蜀山人が大好きな落語家、春風亭栄枝の『蜀山人狂歌ばなし-江戸のギャグ、パロディーの発信源-』を紹介したい。

 平成9(1997)年、三一書房から初版発行。

 もう少し後で記事にしようと思っていたが、再読したら、早く記事にしたくなった。

 「まえがき」から。

 振り返ってみると、落語家になってから、アッという間に三十数年がたってしまった。
 その長い年月の間に、寄席で多くの先輩や大看板の師匠連に接することができたのは、なんともありがたいことであった。今、こうしていても、あれも聞いておきたかった、それからこれも聞いておきたかったと思うことしきりである。 
 そんなことを考えたりしていると、寄席の楽屋でお茶を出していた前座や二つ目の頃が、つい昨日のように錯覚してしまいそうだ。

 前後するが、巻末などを元にプロフィールをご紹介。
 栄枝は、昭和13年、東京は豊島区の生まれ。昭和32年に高校卒業後、八代目春風亭柳枝に入門。
 この生年と入門年、古今亭志ん朝と、同じだ。
 柳枝没後、八代目正蔵に師事。林家枝二と名乗る。昭和48年に枝二で真打昇進。
 ちなみに、志ん朝は、入門から5年、昭和37年に抜擢され真打昇進していた。
 昭和57年に彦六没し、翌年、七代目春風亭栄二を襲名。
 ライフワークとして、海外の日系人に落語を語りながらの「落語大使の旅」を続けている、と巻末にあるが、今も続いているかは不明。
 この「落語大使の旅」の途中、アメリカで百栄は栄枝と出会っている。

 「まえがき」の引用を続ける。

 私は今でも、修行中の身なのだが、もっと若かった修行時代に、落語のマクラで狂歌の存在を知り、それから狂歌が頭から出ていかないのである。その狂歌も、私は江戸の天明の狂歌こそが、落語にもっとも近い文芸だと思っている。
 幸い?にも私は、人気落語家でもなく、けっこう暇があるので、あまり多くの人の目に触れないような些細な文にまでも、狂歌にぶつかった時は、こまめみ書きためておいた。
 ところで、狂歌といえば、どうしても蜀山人ということになってしまう。
 なぜだろうか?
 たいがい、傑作でかわりやすい狂歌には、必ずといっていいほど「・・・・・・と蜀山人が詠んだ・・・・・・」となってしまうのである。
 私は、こうしたことに多少の疑問を持ち、いろいろ調べ始めた。調べ始めると狂歌や蜀山人への興味がふくれあがってきた。そして、蜀山人とその時代をどうしても書いてみたくなってしまった。なっていったが、喋ることさえ十分でない私にとって、まさに大それたことなのであった。

 この「喋ることさえ十分でない私」という部分、笑ってしまう。

 私が栄枝を最初に聴いたのは、2011年9月の末広亭。
2011年9月17日のブログ
 長めのマクラと『鼓ケ滝』。なんとも、飄々とした高座だった。

 そして、昨年、二代目志ん五の浅草での襲名披露興行での『都々逸坊扇歌物語』は、最初の印象を覆す、好高座だった。
2017年10月16日のブログ
 狂歌のみならず、川柳も、そして都々逸にも興味があるからこその、あの高座だったのだと思う。

 さて、「まえがき」の後半。

 江戸の文学を語る上で、どうしても避けて通ることのできないのが蜀山人。
 つまり、大田南畝なのである。
 (中 略)
 私は、蜀山人の狂歌こそが、江戸人のユーモアと反骨、洒落と滑稽、機知と頓智の発信源ではにかと思っている。
 本書は、この南畝・蜀山人とその狂歌にまつわる話を中心にしながら、私の修行時代のこと、また私が日頃あれこれ思っていることなどをまじえながらまとめたものである。
 どうか最後までおつき合いのほどを願います。

 初回は、これにてお開き。

 この記事も何回になるか、まったく分からないが、どうぞ、おつき合いのほどを。
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by kogotokoubei | 2018-11-29 12:47 | 落語の本 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛