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噺の話

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蜀山人の狂歌、など(2)ー春風亭栄枝著『蜀山人狂歌ばなし』より。


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春風亭栄枝著『蜀山人狂歌ばなし』
 蜀山人が大好きな落語家春風亭栄枝の『蜀山人狂歌ばなし-江戸のギャグ、パロディーの発信源-』からの二回目。

 平成9(1997)年、三一書房から初版発行。

 この本に、大田直次郎が狂歌名四方赤良や蜀山人を名乗る背景が書かれているので、ご紹介。

 蜀山人、四方赤良ペンネームの由来

 蜀山人というペンネームは、彼が五十代の時、大坂銅座役人として出張中にこの名前を使い出したといわれます。銅の異名を蜀山居士というらしいので、後の世までこの蜀山人がポピュラーな愛称として使われました。しかしそれ以前は、「四方赤良」で、これは日本橋の酒屋で売り出している味噌“四方の赤”から自分の筆名にしたそうです。つまり、いまでいうところの“タイアップ広告”のはしりといえそうです。

 こんな由来があったんだね。

 蜀山人の狂歌をいくつかご紹介。

 来週から師走。すぐに正月だ。
 有名な狂歌がある。
 
 大田直次郎は、駿河台に引越したことがある。

 この駿河台の緇林楼(しりんろう)、つまり南畝の新居には、来客が引きも切らなかったといいます。というのも、南畝は温厚な人柄に加えて、町人とも喜んで交わり、上下のへだてなく長屋の八っつぁん熊さんにまで慕われたためといいます。狂歌をはじめとする文人仲間や、その他大勢がこの新居にやってきます。特に、正月の年始客の多さに閉口したといいます。
 ところで南畝は、自作の狂歌を門口に書いて貼って置きました。
 
  初春は 他人の来るこそ うれしけれ
   とは言うものの お前ではなし

 こんな歌を読まされたら、訪問客だって入っていいかどうか迷ってしまうに違いありません。後年、名随筆家であり、漱石門下内田百閒氏がこの歌を一部変えて、

  初春は 他人の来るこそ うるさけれ
   とは言うものの お前ではなし

 この百閒先生もかなり変人ーいや、奇人的な印象を、私は持っています。
 黒澤明の『まあだだよ』は、内田百閒を主人公とした作品だったが、松村達雄扮する百閒先生が、この歌を玄関に貼っていた映像を思い出す。

 栄枝は、落語家らしく、あの落語中興の人物に関わる話も登場する。

 さて、焉馬が初めて開いたという第一回の落とし噺会に続く第二回は、鹿都部真顔、竹杖為軽、宿屋飯盛らと一緒に南畝=蜀山人も参加したといいます。このように回を重ねるうちに、寛政の改革で禁止令が下って中断してしまいましたが、焉馬にとっては最後になる落とし噺会が、文政三年(1820)、亀井戸の藤屋で開かれました。焉馬にとっては一世一代の華やかなリサイタルであったに違いありません。
 この時、焉馬、七十八歳というから死の二年前のことでした。
 この落とし噺会を大田南畝は、はっきりこう詠んでいます。

  万年の 亀井戸なれば おはなしの
   七十八と 聞くはうそかえ

 七十八歳という高齢にもかかわらず、これほど盛会な落とし噺会を催す焉馬に拍手を送り、七十八歳なんて嘘じゃないかなどと、場所が亀井戸だけに、「うそ替え神事」に引っかけて歌っています。

 なかなか洒落ている。

 しかし、南畝も寛延二年(1749)生まれなので、この時七十一。
 三年後、文政六年に亡くなっている。

 この本からは、落語の本、として、後日あらためて紹介するつもり。

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by kogotokoubei | 2018-11-27 12:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


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