新宿末広亭 十一月下席 夜の部 11月25日
2018年 11月 26日
コンビニで買ったおにぎりを食べ、さあ、夜の部の始まりだ。
開口一番から、聴いた高座の感想を記す。
春風亭かけ橋『狸の札』 (10分 *16:45~)
初。柳橋の弟子らしい。狸を助けたのは、父の命日だったから、というのは初めて聴いたかもしれない。妙な癖はないように思うので、今後の精進に期待しましょう。
柳亭小痴楽『一目上がり』 (14分)
この日のお目当ての一人。
賛、詩、悟と進んで、六を飛ばして七福神、そして、最後は句。
この人の持ち味であるスピードとリズム感が生きる好高座。
あるインタビューで、小痴楽は、三三にこの噺を教わったと答えていたっけ。
本来の噺の面白さを土台に、七福神の布袋を見た八五郎に「男の妊産婦?」と言わせ、医者の先生から「ついに、人間の可能性を越えたね」で笑わせたが、このクスグリも三三譲りなのかな。
そのインタビューでは、落語家になったきっかけは、八代目柳枝の『花色木綿』を聴いたから、とのことで、私は嬉しくなったものだ。
そうそう、この噺の詩は、根岸の亀田鵬斎の作。
「近江(きんこう)の鷺は見がたく、遠樹(えんじゅ)の烏見易し」。大家は、「近くの雪の中のサギは目立たないが、遠くのカラスは黒いから目立つ」と言い、良いことは目立たないが、悪いことは直ぐ露見する、と説明する。つい、ゴーンの逮捕のことを思い浮かべていた。しかし、彼は“詐欺”だったけどね^^
再来年には真打昇進かと思う。終演後に佐平次さんとの話題にもなったが、この先、彼がどう成長するのか、実に楽しみである。少し位は生意気でも、私はいいと思うよ。
春本小助・鏡味小時 太神楽 (10分)
二人とも、初、のはず。
五階茶碗を中心に。
協会のHPを確認すると、この二人は、丸一小助・小時、という名もあるようだ。
ボンボンブラザースの弟子のようだが、将来、洋服を着て演技するようになるのか、どうか。
神田阿久鯉 講談『天明白浪伝-徳次郎の生い立ち-』 (13分)
同じ講談の鯉栄の代演でこの人。
聴いたことあるなぁ、この人・・・と思って後で自分のブログを検索すると、2010年の10月、国立の花形演芸会の記事に、名前がある。
2010年10月30日のブログ
しかし、感想は残っていない・・・・・・。
もしかすると、喫煙室に行っていた、のかもしれない。
あるいは、落語だけを記録していたんだっけか・・・覚えていない。
さて、このお話。主役は、後に泥棒たちの勧進元になる神藤徳次郎。
その徳次郎が子供時分、易者の弟子だった頃のお話。金持ちだけに盗みに入り、貧乏人にその金を配っていた義賊泥棒の天狗小僧が、市中引き回しにされている行列に、多くの町人が手を合わせているのを見て、徳次郎は泥棒になることを決意する。
易の師匠、悟道先生の家を後にして、さぁ、どうやって泥棒になろうか思案していると、「泥棒だぁ、捕まえてくれぇ」の声。追われた男が一目散に自分の方へ走って来る。止めようと一瞬思ったが、これから泥棒になるのだから、先輩ではないかと見過ごす。泥棒から三十両盗まれた百姓の男。それは、娘の結婚の資金として、方々から借金した金だった。徳次郎、俺がなんとかすると約束。ついつい、師匠だった悟道の家に忍び込んで・・・後略。
よどみのない語り口。なかなか達者な人だ。
調べてみると、真打になってすでに十年。なるほど、と納得。
それにしても、なぜ、八年前の記事で、この人の講談の内容が欠落していたのか、謎だ。
春風亭笑好『ぜんざい公社』 (13分)
この人の高座への小言は何度か書いてきたが、その繰り返しにならざるを得ない。
テレもあるのだろうか、言葉尻がはっきりしない。言いよどみも少なくない。とにかく、リズムが悪い。
佐平次さんとの居残りでも、話題の一つになったが、噺本来の面白さを、ほとんど引き出せていないのだ。せっかく阿久鯉が温めた客席が、冷え込んだ。
ぴろき ウクレレ漫談 (11分)
二階席が開いた。
冷え込んでいた客席が、この人で温まる。
若い女性客が反対側の桟敷に数名いらっしゃったが、目を見張りながら、笑っていた^^
演出かもしれないが、それぞれのネタ、出だしの声が小さかったように思う。お疲れでなければいいが。
立川談修『長短』 (14分)
昼の部は円楽一門から交替で出演しているが、夜の部は立川一門からの交替出演で、この日はこの人だった。
佐平次さんは、高座が暗すぎる、というご評価だったが、私は、そう思われなかった。この噺なら、ああなるかなぁ、という印象。
短七が「実は、禁煙してたんだ!」とわめく場面は、結構可笑しかった。
しかし、この噺で味が出るには、もう少し年季が必要かもしれない。
三笑亭可龍『初天神』 (16分)
ようやく、芸協の若手真打の、まっとうな高座。
やはり、この人は上手い。また、最前列の十三歳の男の子を見てのネタ選びだろう。旬とは言えないが、良い選択だと思う。
拙ブログを始める直前、2008年「さがみはら若手落語家選手権」の七回目の予選に行った。一之輔が出場していたからだが、会場投票ではこの人の『宗論』が一位。一之輔の『鈴ケ森』に私は一票を投じたが、僅差の二位だったことを思い出す。ちなみに、本選では、今の歌奴が優勝だった。
宮田章司 江戸売り声 (15分)
奇術の北見伸の代演。
最前列の少年を見て、「お若く見える」には笑った。
♪ひいらぎ 豆がら 赤いわし、なんてのはそろそろ旬。
リクエストが殺到して、ちょっと慌てていたが、〆は、十八番のアメ売り。
なんと、85歳。昭和8年生まれだ。
芸協HPのプロフィールには生年月日は載っていないが、経歴が詳しく紹介されている。
落語芸術協会HPの該当ページ
せっかくなので(?)、引用。
昭和29年漫才師宮田洋容(故人)の門下生に なる。こういうキャリアのある方なのである。
昭和30年同門の宮田陽司とコンビを組み『陽司・章司』のコンビ名で漫才界にデビューする。その後文化放送のレギュラー番組を持つ傍らフジテレビ、テレビ朝日、日本テレビ等の、演芸番組に数多く出演し、昭和39年三沢あけみの専属司会者になる。そして昭和44年には日本テレビ「11PM」のレギュラーに抜擢される。昭和51年コンビ解消後、漫談家と司会者の2足の草鞋を履き、マヒナスターズの専属司会者になる。
その後芸術祭賞を受賞した大道芸の『坂野比呂志(故人)』と出会い江戸売り声の魅力に取り憑かれる。坂野比呂志亡き後、現在日本で唯一人本格的な「江戸売り声百景」和風漫談家としてテレビ、各カーニバル、寄席等で引っ張りだこ、大忙しの毎日を送っている。
ちなみに、漫才の宮田陽・昇の師匠でもある。
お元気な姿を拝見でき、嬉しかった。
桂富丸 漫談&『?(飛行少年?)』 (17分)
2014年の7月、同じ末広亭夜席以来。あの時も、漫談と新作だったが、あまり良い印象はなかった。
今回も、同じような感想。米丸の弟子だが、スチュワーデスという言葉自体、新作として成り立たない。
富士山のご来光を拝めなかった人に、とテカテカ頭を突き出すのも、どうなのか。
ネタは、飛行機で騒ぐ子供がCAからオモチャの飛行機をもらって落ち着いた。ああいう子供が非行少年になる、などのつまらない地口をつないだ噺。
こういう深い席にそぐわない印象を持った。
三笑亭茶楽『厩火事』 (15分 *~19:21)
ようやく、お目当ての仲入り、この人の出番。
いつもながらの丁寧で、知的なセンスを感じる短いマクラから本編へ。
お崎さんも旦那も、よく描かれている。髪結い亭主の江戸っ子ぶりも良かった。
時間調整のためか、後半が急ぎ目で少し慌ただしかったが、こういう人が、芸協の古典落語を支えていることを、再認識させる高座。
さて、仲入りで、ここで帰って佐平次さんと居残り、の予定だったが、クイツキが松之丞。
せっかくなので、佐平次さんと椅子席の後ろで立って聴くことにした。
神田松之丞『鼓ヶ滝』 (15分 *~19:46)
落語にもなっているこのネタは、神田愛山から稽古してもらったとのこと。
西行が攝津の鼓ヶ滝で、「伝え聞く 鼓ヶ滝に来て見れば 沢辺に咲きし たんぽぽの花」と詠んだ。うたたねをしているうちに夜になり、あわてて民家を探した。なんとか民家にたどり着いた西行。歌人であることを伝えると、鼓ヶ滝で詠んだ歌を見せて欲しいと主が言う。結局、この老夫婦と娘の三人に、自作の歌を直され、「音に聞く 鼓ヶ滝をうち見れば 川辺に咲きし たんぽぽの花」となった、という内容で、落語と同じだが、ところどころに、この人らしい演出があった。
メモっていないので、記憶のみで記す。
愛山は実に上手い方だが、暗い。その愛山に稽古してもらってから感想をお願いすると、「お前の講談は・・・暗い」と言われた、で私の予想を超える爆笑が起こる。
また、講談というものは、民家があって欲しいと思うと、最後には民家が出てくるもので、などと挟むだけでも、受けている。
若い女の子のお客さんの反応もあれば、結構高齢の方も大笑い。
悪くはないが、あんなに笑いが起こる高座とは言えなかろう。
やはり、松之丞の人気がバブルになってきたなぁ、と思いながら、佐平次さんと外に出て、楽しみだった居残りへ。
近くの居酒屋さん、満員だったが、すぐに二人分の席が空いた。
この日の高座のことや、いろんな話題で、ビール、熱燗、ビールが美味しい、久しぶりの居残りだった。
あらためて思うが、芸術協会は、このままでは問題ありだ。
かつて、末広亭の席亭から苦言を呈されてから、歌丸会長をはじめ幹部も危機感を共有し、若手の台頭などもあって噺家さんたち全体の芸も良くなったから、お客さんも戻ってきたと思う。
しかし、歌丸会長の重しがなくなった今、また元に戻る兆しがある。
この日の高座のいくつかは、かつての芸協の悪い面が目立った。
十分でも、ネタは出来る。
漫談を禁じるくらいの小遊三会長代行副会長のお達しがあっても不思議はなかろう。
帰宅の電車では、そんなこと思っていた。
芸協として所蔵芸人の指導なんてやることになっているのでしょうか?
他流派との参加は、最初は必要がないと思っていましたが、今は故歌丸会長の大きな遺産ではないかと思っています。この日の昼の部などは、万橘に救われました。
漫談でお茶を濁すベテランに、良い刺激になればいいのですがね。