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大田直次郎と蜀山人(3)ー平岩弓枝著『橋の上の霜』より。

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平岩弓枝著『橋の上の霜』

 この本から三回目。

 松葉屋の三穂崎の客が倒れて医者が呼ばれた、というのが前回最後のお話。

 その客はそのまま亡くなった。

 直次郎は、勤めからの帰り道で同僚の岡島金五郎から、その客が、牛込の自宅からそう遠くない旗本の高木市太郎の父親であったことを知る。

 毎日その大きな家の前を通っている、その家の隠居だったのだ。

 三穂崎、本名おしづは、その出来事から気の病になり、大文字屋の主人、加保茶元成の別宅で療養していた。

 その元成から、直次郎は意外なことを聞くのだった。
 それは、洲崎の料理屋升屋で接待を受け、飲みすぎて一眠りした後のこと。

 主人は心得ていて、客をかえし、直次郎が眼がさめる頃を見はからって、酔いざめの水を持って屋敷へ来た。
「もし、お目ざめになられましたか」
 掛け布団を押しのけて、起き上った直次郎に、
「実は、あちらのお座敷に大文字屋の御主人がみえられて居りますが・・・・・・」
「一人か」
「おつれさまがございましたが、皆様、もうお帰りで、大文字屋さんだけが、先生のことを耳にされて、酔いがさめられるのをお待ちになって居ります」
「それは、すまなかった」
 襟をかいつくろっている中(うち)に、女中が大文字屋主人の加保茶元成を呼んで来た。
「お目ざめでございましたか」
 なにか、よい狂歌はお出来になりましたかと訊かれて、直次郎は破顔した。
「久しぶりに、旨い酒を飲んで大酔したばかり、なんの風雅も湧いて来ないな」
 少し、酒が欲しいと宗助に命じたのは、大文字屋主人と二人だけで話がしたかったからであって。
 で、宗助が去ると、すぐに低声(こごえ)でいった。
「先だっての、三穂崎の客は、高木と申す旗本の隠居ではなかったのか」
「やはり、お耳に入りましたか」
 元成のほうも、その話だったらしい。
「屋敷が近くなのだ。なんの因果か、家内が頼まれて、葬式の手伝いに行った」
 流石に、元成は眼を丸くした。
「そのようなことがございましたか」

 直次郎は、蔦屋からの依頼の作品が書き上がらないので、おしづとは暫く会っていないので、大文字屋に様子を聞くのだが、まだ気が高ぶって落ち着かないとのこと。
 そして、大文字屋から驚く話を聞くのだった。

「先生は御存知でございましょうか。高木様とおっしゃる旗本の御当主様のことでございますが・・・・・・」
 高木市太郎であった。
「顔は知らないが・・・・・・」
 近所に住んでも、身分が違った。
「かように申しましては、なんでございますが、なくなったお方が廓へ通って居られたこと、ひどく、お怒りとか聞いて居ります」
 直次郎は夜の海を眺めた。
「まあ、快くは思わぬだろう」
 隠居の父親がとんでもない場所で死んだばっかりに、随分、世間体の悪い思いをしているに違いなかった。
「金も使ったらしいし、公けにはならなかったが、噂はけっこう広まっている」
「それが、松葉屋へ使をよこしなさいまして三穂崎さんを落籍(ひか)したいといってみえたそうでございます」
 直次郎にとっては、青天の霹靂であった。
「なんで、息子が身請けをするのだ」
 ひょっとして、三穂崎に一目惚れをしたのかと思ったが、事実は、それどころではなかった。
「松葉屋の主人が手前に申しますには、高木様では三穂崎さんを身請けして、尼にして、御隠居様の菩提をとむらわせようとおっしゃるので・・・・・・」
 加保茶元成が顔をしかめ、直次郎はあっけにとられたまま、視線を宙に浮かせた。

 これには、直次郎が驚くのも当然。
 自分が間夫と信じて疑わない三穂崎を訪ねた客がその場で亡くなったことも心中穏やかではないのに、その子供である当主の高木市太郎が、三穂崎を身請けし、尼にして亡くなった父の弔いをさせようというのだから。


 さて、ここで、いわゆる狂歌三大人を確認。

 もちろん、直次郎の四方赤良、そして、すでに登場している朱楽菅江。
 そして、もう一人とは。

 月に数度は狂歌の会がある。
 その月の末の向島での狂歌会には、久しぶりの顔がみえた。
 唐衣橘洲(からころもきっしゅう)という狂歌名をもつ人物で、小身ながら田安家の侍であった。
 本名は小島源之助といい、狂歌では直次郎よりも、むしり先輩格であった。四谷にある彼の屋敷では、しばしば狂歌の会が催され、門弟も多い。
 実をいうと、直次郎とは古くからの友人であった。唐衣橘洲、朱楽菅江に直次郎を加え、狂歌三大人と呼ばれた時期もある。それが数年前から、いささいあ疎遠になっていた。
 きっかけは二つの狂歌集の出版をめぐってであった。
 今から四年前の天明二年に、唐衣橘洲が中心となって『狂歌若葉集』を編纂するにあたって、何故か橘洲が直次郎と朱楽菅公の狂歌を一首も加えなかったものである。
 その理由については、直次郎や朱楽菅江と親しい友人の間で、
「橘洲は自分が狂歌の先輩にもかかわらず、狂歌師としての名声は四方赤良、朱楽菅江に上を越されてしまったので、それをねたんで、若葉集から二人の狂歌を除いたのだ」
 と、もっぱら噂をされた。

 その『狂歌若葉集』と時期を同じくして、 直次郎と菅江の二人で狂歌集『万載(まんざい)狂歌集』を編纂し、これが大当たりで続編も発行された。
 かたや若葉集は、続編の予告をしていたにもかかわらず、それが発行されることはなかった。
 『万載狂歌集』によって、四方赤良の名声はさらに上った。
 それから疎遠になった二人だったが、久しぶりに狂歌会に顔を出した橘洲から、数日して、使が来て、四谷の小料理屋で会いたいとの報せ。

 旧交を温めようということか、と思った直次郎がその小料理屋を訪ねたのだが。

 待ちくたびれた頃に、廊下に足音がして、まず橘洲が座敷へ入って来た。続いて、もう一人、侍であった。
 お納戸色の紋付の着流しで、帯にはさんでいる印籠は玉兎の蒔絵の見事なものだし、手に下げている刀の造りも贅沢であった。
 先に来た直次郎が遠慮して下座にいるのに、なんの会釈もなく、床の間を背にして座布団に端座した。着流しのくせに、おっとりと品がいい。
「お引き合わせ申そう、こちらは高木市太郎様だ」
 橘洲の口調に居丈高なものがあるのに、直次郎は気づいた。
 しかし、それよりも今、自分の前にいる相手が高木市太郎と知った驚きのほうが遥かに大きかった。

 なんと、数年前から疎遠だった唐衣橘洲が、三穂崎を身請けして尼にしようとしている、旗本の高木市太郎を連れて来るとは・・・・・・。

 この後、三人はどんな会話を交わすことになるだろうか。

 それは、次回のお楽しみということで、今回はこれにてお開き。惜しい切れ場だ。

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by kogotokoubei | 2018-11-19 19:54 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

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