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噺の話

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「小さな《川島雄三伝》」(2)-殿山泰司著『三文役者の無責任放言録』より。



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 殿山泰司さんの『三文役者の無責任放言録』から、二回目。

 仕事先の広島で川島雄三の訃報に接し、流山のBARで飲みながら涙が止まらなかった、殿山さん。

 映画のロケ先の広島では、乙羽信子さんも一緒だったと書かれていた

 撮影していたのは新藤兼人監督の「母」。
Wikipedia「母(1963年の映画)」

 脳腫瘍の子供のいる主人公を乙羽さんが演じ、殿山さんは三人目の夫の役だ。

 
 さて、広島で泣き明かした、その後のこと。

 告別式の日、仕事の都合で偶然に東京に帰れた。しかしオレは汚れたシャツ1枚でサンダル履きであった。ウチへ帰る暇もなかった。小沢昭一に電話をした。構わないよ、その方が旦那も喜ぶんじゃないかな、と言ってくれた。川島旦那は解ってくれるだろうが、解ってくれない沢山の人間の眼がイヤであった。芝大門のお寺へ行かないことにお決意した。1万円の香典を事務所の人間に託した。
 何故1万円なぞとイヤらしきことを書いたのか説明したい。川島旦那の手下であった日活の今村カントクから、旦那がこの世に残したものは借金ばかりである。だから香典は1万円にしろと命令があったのである。命令は守らなければならない。命令は守られてこそ組織のチカラは発揮出来るのである。ツマランことを書くな、川島雄三伝だぞ。

 川島のこの世に残したものは、借金ばかり・・・・・・。

 弟子の今村昌平が、その借金を少しでも返済するための、香典一万円縛り、だったということか。

 「団塊世代の想い出」というサイトに「昭和の物価」というページがあった。
「団塊世代の想い出」の該当ページ

 昭和38年当時、公務員の大卒初任給が15.700円、かけそばやラーメンが40~50円、喫茶店のコーヒー60円、銭湯23円、映画館が250円という時代。

 私が八歳の時で、たしかに、近所のラーメン屋さんのラーメンが、50円だったような気がする。

 その高額な香典で、果たしてどんな供養ができたのだろうか。


 この後の部分も引用する。

 ああ又しても涙がポロポロと出る。思えば川島旦那とオレのそもそもの出会いは、昭和21年晩秋の大船撮影所であった。オレは中支より復員したばかりであった。オレにとっては見知らぬ撮影所であり、イヤな日常の中で、風景にも、オレの精神にも冷い風が吹いていた。そんな或る日、撮影所前のメシ屋でオレは得体の知れない酒を飲み、川島旦那も得体の知れない酒を飲んで居た。川島旦那はあのギロギロした眼でオレを睨みつけていた。何故睨みつけられたのかオレには判らない。オレの態度が不遜であったのであろうか。オレは人見知りをするからつい態度が不遜になってしまう。キライな習性である。しかしやがて酒のチカラで会話が始まった。川島旦那とオレとの交情の幕が開いたのだ。会話は主に織田作之助や太宰治に就てであった。初めての日、旦那とオレは初めて肩を並べて新橋へ出た。酒を飲むためである。記念すべき日であったのだ。涙が出る。

 話題になったという二人の作家について、川島は織田作は肯定的に、そして、太宰は否定的に語ったのであろう。
 殿山さんも同じような織田作と太宰への印象を抱いていたのかは分からないが、初対面で肩を並べて酒を飲みに行ったということから、意気投合したと察する。

 三歳上の殿山さんだが、川島との関係は年齢の差とは逆だったようだ。

 《下手な役者奴》と川島旦那によく言われた。下手な役者と言われることは役者にとっては不快な言葉である。しかし旦那の《下手な役者奴》の中にはユラメク様な愛情があった。胸の熱くなる様な信頼があったのだ。
 《下手なカントク奴》とオレも小さな声で言いたかったけどとうとう言えなかった。バカ、当り前ョ、オニイサンコソ死ネバヨカッタノヨ。

 なんとも独特の言い回しだが、殿山さんの川島雄三への想いが、十分伝わってくるではないか。

 二人で飲んだ時のこと。

 川島雄三は酒飲みであった。川島旦那は小児マヒであった。だから酒場で酔ってよく倒れた。パタンと倒れた。それはパタンと形容していい様な倒れ方であった。そんな時オレは手を貸さなかった。手を貸すなどとはいと易き行為である。手を貸さぬことこそ死ぬ程ツラかったのだ。オレは慌てて酒場のオンナに話しかけたり、眼をつぶって酒をガブガブと飲んだ。オレの胸の中を涙が流れていたのを誰も知るまい。酒場のオンナは非情なオレを睨みつけた。オンナなぞに何が判る。無礼者!!非情こそ厚き友情なのだ。非情こそ真紅に輝く花なのだ。オレは旦那の根性を尊重しただけである。川島旦那は何事も無かった様な顔をして再びオレの隣に坐って、酒を飲み始めるのであった。涙が出る。

 二人の男の、それぞれのダンディズム、ということか。

 倒れても助けないダンディズム、そして、何事もなかったかのように、カウンターのスツールに戻るダンディズム。

 小児マヒ、というのは誤りである。

 川島は松竹に入社時に、身体に何らかの問題があったわけではなく、助監督時代は、監督の指示により走り回っていたという証言がある。

 だから、成人してからの病であり、その病名は、藤本義一の『生きいそぎの記』について書いた記事の五回目に登場する。
2018年9月27日のブログ

 弁慶と牛若丸のどちらが好きか、という話題で川島と口論して家に帰った藤本が川島からの電報を見て、宿に帰る。
 川島が不在だった部屋にあった『家庭医学全書』の燐寸棒の栞のあるページで、藤本はその病名を目にした。
 シャルコー病、あるいは、筋萎縮性側索硬化症。これが、川島雄三の病だった。

 
 次の最終回は、そんな川島が殿山が初の映画賞を受賞したことを、どのように祝ってあげたのか、などを紹介したい。

Commented by at 2018-10-19 06:40 x
殿山エッセイの醍醐味は、蕪雑な語り口ながら、交遊録を大切に語ることです。
「酒をやめてください、川島雄三が死にました」とある人にいさめられた、と山口瞳が述懐しています。江分利満氏の映画撮影にまつわる挿話です。
Commented by kogotokoubei at 2018-10-19 17:29
>福さんへ

そんなことがありましたか。

実に独特な文章で、さまざまな人との交友や、ロケ地での思い出が語られていますね。
途中で“側近”と表現される女性や、バーのママさんが言うであろう言葉が挟まれるのも独特です。
ぜひ、本書の後に書かれたエッセイも読むつもりです。

Commented by at 2018-10-22 06:52 x
映画人の交流。これくらい我々の世界からかけ離れていてまた興味深いものはありません。
殿山さんの随想は、都会っ子のシャイから来る粉飾たっぷりらしいですが、心を打つ真実があると思います。
Commented by kogotokoubei at 2018-10-22 08:42
>福さんへ

多くの俳優さん、そして、多くの市井の人々、酒場の女性たちとの交流も、何とも言えない味わいのタッチで書かれていて、楽しいですね。
また、従軍の経験を踏まえた反戦の思いも伝わります。
読む前より、殿山さんがずっと好きになりました。
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by kogotokoubei | 2018-10-16 12:36 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛