「小さな《川島雄三伝》」(1)ー殿山泰司著『三文役者の無責任放言録』より。
2018年 10月 15日
川島雄三については、今年が生誕百年ということで、落語会を含みイベントが開催されているということを、以前書いた。
2018年6月13日のブログ
なお、『幕末太陽傳』に登場するネタが披露される落語会は、六本木俳優座で10月29日~11月3日に開催。
まだ、行くかどうか、迷っている。
あの会、木戸銭も安くはないし、果たしてあの企画を天国の川島雄三は喜んでいるのかどうか、なんてことを思っている。
また、川島と共同で映画「貸間あり」の脚本を書いた藤本義一の『生きいそぎの記』について、9月20日から五回にわたって紹介した。
2018年9月20日のブログ
その川島雄三について、ある俳優さんが書いている本を、先日古書店で発見。

殿山泰司さんの『三文役者の無責任放言録』である。
私の大好きな、俳優さんだ。
角川文庫版だったが、この本の初版は昭和41(1966)年の三一新書。そして、この角川版は昭和59(1984)年発行だが、その後、平成12(2000)年には、ちくま文庫でも再刊されているようだ。
いずれにしても、古書店でしか入手できない本。
立ち読みして、買うことに決めた章が、この川島雄三について書かれた一文。
冒頭部分を、引用。
小さな《川島雄三伝》《1963・7》
オレ如き若輩が《川島雄三伝》なぞとオコガマシイ。百も承知。書くべき人は沢山居る。先輩諸兄よ。貧しい三文役者の非礼を許して下さい。書きたいのです。ポロポロと涙が出る。オレの涙にうるんだ瞳に免じて許して下さい。《小さな》と言う字を付けたのも原稿の枚数の関係ではありません。精神の関係です。叱らないで欲しい。イヤ叱られても書く。
三一新書の初版発行は、前述のように昭和41年だが、内容は文藝春秋の『漫画読本』の連載が元であることを、本文庫解説で井家上隆幸が説明している。
川島が亡くなったのは、昭和38(1963)年6月11日なので、まだ、記憶が鮮明な時の文章だ。
引用を続ける。
ロケ先の広島で川島旦那の訃に接した。信じたくなかった。嘘だと思った。同行の乙羽信子も《信じられない、信じられない》とツブやいていた。悲しくも本当であったのだ。ロケバスの中で、宿舎の部屋で、オレはポロポロと泣いた。川島旦那よ、何故オレよりも先に天国へなぞ行ってしまったんだ。極道なオレが先に行くべきであった。バカタレじゃ。オレも連れてってくれ。
ね、まだ冷静さを取り戻してはいない、文章でしょ。
殿山泰司は川島雄三より三歳上の大正四(1915)年10月17日生まれ。
だから、川島が今年二月で生誕百年だったが、殿山は明後日に生誕百三年、ということになる。記念日とは、言えない。
引用を続けよう。
その夜、オレは流山のBARへ行って浴びる程ウィスキーを飲んだ。マダムが《どうしたの今夜は》と言った。《お通夜じゃ》《誰の》《知らん、誰でもエエ》。涙がポタポタとグラスの中に落ちた。ウイスキイと一緒に飲んだ。死ぬ者はバカタレじゃ、と怒鳴ったらしい。マダムもオンナ達も遠ざかってオレを一人にしてくれた。その心情が嬉しかった。
ここで、日活のサイトにある『幕末太陽傳』のページのCastの紹介から、殿山泰司の短いプロフィールを引用する。
日活のサイトの該当ページ
仏壇屋倉造:殿山泰司
1915年10月17日-1989年4月30日。亨年73歳。
1936年に新築地劇団に入団。39年に千葉泰樹監督作品『空想部落』でスクリーンデビューを飾る。42年に興亜映画に入所し、第二次世界大戦をはさんだのち『森の石松』(49)などの吉村公三郎監督作品に参加し、50年に吉村公三郎監督が設立した近代映画協会に創立メンバーとして参加する。その後、様々なジャンルの映画に出演し名バイプレイヤーとしての地位を確立した。
殿山さんの名は、五年近く前になるが、五街道雲助の本を紹介した記事の中で、雲助の「酒の師匠」であった、「かいば屋」の常連として登場した。
2013年11月21日のブログ
「かいば屋」が、のれんを新しくする際、その字を書いたのが殿山さん。
また、吉村平吉さんの『吉原酔狂ぐらし』を紹介した記事にも登場する。
2014年6月7日のブログ
作者吉村平吉は、野坂昭如の『エロ事師たち』のモデルであり、『実録エロ事師たち』という著作もある。野坂昭如の原作を元にした映画は今村昌平監督により主役は小沢昭一さんだったが、吉村さんの“実録”の方は、日活ロマンポルノの曽根中生監督で映画化され、主演が殿山泰司さんだった。
吉村、野坂、田中小実昌といった人たちとの“酔狂連”という文化的(?)サークルのメンバーとしても殿山さんの存在は大きかったようだ。
次回は、香典の金額が明かされ、その金額を指定した人や、なぜそうだったかなどについても、ご紹介したい。
そうでしたか。得がたい思い出ですね。
ゴールデン街でしょうか。
二丁目には、ゲイバーではない、ご自分のお店も持っていたようですね。
雲助は、ゴールデン街で酔狂連の皆さんに可愛がってもらったと、著書にありましたが、殿山さんもいらっしゃったことでしょう。
