『万引き家族』を、読むー是枝裕和著『万引き家族』より(4)
2018年 10月 05日

是枝裕和著『万引き家族』
最終、四回目。
まだ、上映中の映画館があるので、内容を知らずに観たい方は、ネタバレ注意なので、ご留意のほどを。
今回は、祥太のこと。
ある日、治は祥太を連れてパチンコ屋に行く。
耳が良い祥太は、四方八方から大きな音が聞こえるパチンコ屋は嫌いだったが、しぶしぶ治に付き合った。
治は、万引きのみならず、クラッシャーという道具で車上荒らしをしていた。
パチンコ屋の駐車場は、治にとって格好の仕事の場なのだ。
その時、ガラスの割れる大きな音がした。
祥太が音のほうを見ると、赤い車の後部座席から、治が大きなアルファベットの文字がデザインされたバッグを取り出しているとことだった。
腹の前でそのバッグを抱え、治は、普段の姿からは考えられないような素早さで祥太に向かって走ってきた。
(中 略)
「すげえなぁ・・・・・・やっぱこれ」
治は走りながら祥太にクラッシャーをかかげてみせた。
「・・・・・・僕の時はさぁ」
それには答えず祥太は聞いた。
「・・・・・・ん?」
「助けてくれた時・・・・・・」
「あぁ?・・・・・・」
「あの時も・・・・・・何か盗もうとしてたの?」
治は力の無い笑みを祥太に向けた。
「バカ、違うよ・・・・・・、あん時はお前を助けようとしたんだって」
いつも「仕事」が成功した時と同様に治は拳を出した。祥太はその拳を拳で受けなかった。
「何だよ」と治は祥太の肩のあたりを叩いて、走り去る。祥太は立ち止まって治の背中を見送った。
治の言葉は信じられるのだろうか・・・・・・。
祥太と治の間に、大きな溝ができた出来事だった。
この後、このように続いている。
祥太がパチンコ屋が嫌いなのは、音の他にもうひとつ理由があった。
夏の暑い日に車の中でひとり、シートベルトをしたままで座っていた。後部座席だった。ペットボトルがひとつシートに転がっていたが、ひと口飲んたら、お湯になっていて、やめた。
遠くでパチンコの音が時おり鳴って、消えた。
そんな時、ガラスの割れる音がして、その穴から車の中を覗いたのが治だった。
治は祥太のシートベルトをはずして抱き上げた。
それは治が祥太に繰り返し聞かせたふたりの出会いの物語だ。そしてそれは、もう祥太自身の記憶になってしまっていた。「祥太」という名前その時治がつけたものだった。治に命を助けてもらった。祥太はそのことをずっと感謝していた。
だから治がりんを救った時も、こうやって自分も救われたんだと思ったし、だらしの無い「父親」でも、嫌いになれなかった。でも、今こうして祥太を残して逃げていく治を見ていたら、祥太の中でふたりの出会いの記憶が少しづつ変質していくのがわかった。治は祥太を助けようとしてガラスを割ったのではなくて、何かを盗もうとしてガラスを割ったら、たまたま祥太がいたのではないか?
ただそれだけなのではないか。治を追うのをやめて道の真ん中に立ちつくした祥太は、自分の手のひらをじっと見た。
祥太はこの日を境に、二度と治と「仕事」には出かけなかった。
祥太は、大きな岐路に立っていた。
治は、スーパーの商品は、まだ誰の物でもないから、もらってもいいのだと言い、その言葉を信じてきた。
しかし、車のガラスを割って中の物を取ることは、その持ち主から奪うことではないか・・・・・・。
その自問が、万引きだって、悪いことではないか、という自答になってきたと言えるだろう。
治は、果たして車上荒らししていて、偶然に子供を見つけたのか、それとも、救い出すためにガラスを割ったのか・・・・・・。
いずれにしても、ある町のパチンコ屋の駐車場の車の中にいた祥太を、治が救い出したことは事実であり、その場所や車のことは、後で信代が祥太に明らかにする。
もし、柴田家の偽りの家族生活が続きいていたとしても、治と同じような「仕事」をする大人にはならなかっただろう。
このシリーズは、映画を観た方に読んでいただくという前提なので、その後の筋書きは割愛し、話は飛ぶ。
施設にいる祥太が、留置されている信代の希望で治と一緒に信代に会った後、祥太は治が一人で住むアパートに泊まる。
祥太は治とひとつのふとんで背中合わせに寝た。一人で罪を背負った信代は、面会の際に、祥太がどの町のパチンコ屋の駐車場にいたのか、どんな車でどの町のナンバーだったのかを伝えた。
雪に濡れた服は流しの前につるした洗濯ひもにかけ、電気ストーブを下に置いた。
(中 略)
「あのね・・・・・・」
祥太はずっと気になっていたことを思い出した。
「ん?」
「みんな・・・・・・僕だけ置いて・・・・・・、逃げようとしたの?」
治の背中が強く固まるのがわかった。
「あぁ・・・・・・した。その前につかまっちゃったけどな」
「そっか・・・・・・」
いつもの治なら「そんなこと無いよ。お前を迎えにいくとこだったんだ」と嘘をついたかもしれない。
でも祥太と同じように、治も昼間ガラス越しに見た、信代の最後の笑顔がずっと頭から離れていなかった。
「ごめんな・・・・・・」
「うん」
「ごめん」
治はもう一度謝った。祥太はもう返事をしなかった。
「父ちゃん・・・・・・おじさんに戻るよ・・・・・・」
治はしぼるように言った。前から考えていた言葉ではなかった。さっき雪だるまを一緒に作りながら、初めて浮かんだ考えだった。
「父ちゃん」と一度も呼ばれていないのに、そんなことを言い出すこと自体、祥太はおかしく感じるかもしれなかったが、治は祥太の返事を待った。
「うん、いいよ」
祥太は背中を向けたまま言った。ふたりとも、もう何も喋らなかった。
うろたえる治に対し、信代は「もうわかりなよ。私たちじゃダメなんだよ、この子には」と語気強く言った、
治も、信代の言葉が身にしみたのだろう。
さて、そろそろこのシリーズのサゲ(?)にかかろう。
祥太は、翌日、バス停で治と別れる。
「わざとつかまった」
祥太が言った。
「え?」
治は聞き返した。
「僕、わざとつかまったんだ・・・・・・」
祥太はもう一度そう言った。
それが祥太の優しさなんだと治はすぐにわかった・
終わりにしたのは治じゃなくて、祥太なのだと。
「おじさんのせいじゃないよ」
目の前の少年は、そう言っているのだ。
(中 略)
「祥太」
治は小さな声で言って手を振った。祥太は聞こえないようだった。車内を歩いて一番後ろの席に座った。バスは動き出した。
「しょうた」
もう一度呼んだ。気がついたら治はバスを追いかけて走っていた。祥太はこちらを見なかった。
祥太は帽子を目深にかぶったまま、頑なに振り向こうとしまかった。振り向いて手を振ったら、きっと治はもっと辛いだろうと思ったからだ。
しばらくバスを追いかけていた治の気配が、信号を3つ越えたあたりですっかり無くなった。そこまで待って、祥太はようやく窓の外を振り向いた。雪の残った舗道の植え込みが後ろに流れていく。
「・・・・・・父ちゃん・・・・・・」
祥太は口の中で初めて、そう呼んでみた。
実は、映画を観ていて、この言葉は分からなかったなぁ。
その後、この本を読む前にネットで知った。
初枝が、海で戯れる家族を眺めてつぶやく「ありがとうございました」と、この祥太の「父ちゃん」は、どちらも声にならない、言葉だった。
今思うと、声に出せないということにも、大きな意味があったように思う。
大きな声ではいえない、しかし、そう言いたい・・・・・・。
これにて、このシリーズはお開き。
長々とお付き合いいただき、ありがとうございます。
