『万引き家族』を、読むー是枝裕和著『万引き家族』より(3)
2018年 10月 04日

是枝裕和著『万引き家族』
三回目。
まだ、上映中の映画館があるので、内容を知らずに観たい方は、ネタバレ注意なので、ご留意のほどを。
治と信代が、初枝の家に転がり込むことになった背景、そして初枝の本当の息子について書かれた部分。
りんと信代がそうであるように、初枝と信代もお互いに「選んだ」親子だった。
8年ほど前、信代は日暮里のスナックでホステスをしていた。治は最初、その店の常連客だったが、いつしかカウンターの中に入り、客の注文をとったりするようになった。そのうち夫の暴力から逃げてひとり暮らしをしていた信代のアパートで同居を始めた。その治がパチンコ屋で出会ったのが初枝だった。
隣の客の玉を盗もうとしていた初枝に気づいて興味を持ち、初枝が暮らしていたこの家に遊びに来たのが始まりだった。
初枝はひとり暮らしだった。女手ひとつで育てたひとり息子は結婚してしばらくは同居していたが、気の強い嫁と初枝のそりが合わず、一年足らずで別居することになった。
その後息子からは、まったく音沙汰がない。仕事の関係で博多へ転勤になり、そのまま家族と向こうで暮らしているという噂を耳にしただけだ。
「治」というのが息子の本名で、嫁の名が「信代」だ。初枝の家にふたりが転がり込むと決めた時に、この名を名乗ると決めたのだった。
りんがりんでないように、信代は信代ではなく、治も治ではない。亜紀も含め、この家で暮らす家族のほとんどがふたつの名前を持っていた。
「二つ名を持つ」家族たち・・・・・・。
初枝は、夫に逃げられた後、実の息子からも捨てられていたわけだ。
それにしても、初枝の息子夫婦の母親への態度は、少し酷すぎる。
だからこそ、初枝にとって、同じ名前をつけた治、信代は、同居してくれる大事な家族、だったということか。
家族をつなぐのは“血”なのか、それとも“関係性”なのか。
これは、是枝監督が抱き続けるテーマと言えるのだろう。
映画の中の印象的なシーンはいくつかあるが、その中の一つを小説から再現。
信代とりんが一緒にお風呂に入っている場面だ。
「それどうしたの?」
りんが信代の左手の二の腕についたヤケドを指差した。
「あぁここ?アイロンでジューって・・・・・・」
信代は右手で自分のヤケドの痕に触れた。クリーニング工場で働き始めてすぐに出来た古傷だ。
「私も」
りんは自分の左腕を信代に見せた。
りんの腕にも同じようなヤケドの痕がある。細長い柳の葉のようなその形は、信代と同じだ。おそらく母親に折檻されたのだろう。
どうしたの? と聞かれるたびに「転んだ」と見えすいた嘘をついてきたりんが、初めて自分からヤケドだと認めた。
「ほんとだ。同じだね」
ふたりは腕を2本並べて傷を比べた。りんは指を伸ばして、ふいに信代のヤケドの痕に触れ、優しくなで始めた。
信代は息を止めた。湯の中で心臓が高鳴るのがわかった。初めて経験する感覚だった。
「・・・・・・ありがと。・・・・・・もう痛くないよ・・・・・・大丈夫・・・・・・」
信代はそう言ったが、りんは首を横に振って信代の傷をなで続けた。
りんはきっと自分のヤケドに触っているのだ。その傷はまだ治らずに痛いままなんだ。
そのかわりに私の傷に触れている。信代は自分の身体がほてっていくのがわかったけれど、「もう出ようか」とは口に出来なかった。
是枝映画では、入浴シーンが効果的に挟まれるが、この場面も実に良い。
ジーンときたなぁ、観ていて。
仲の良い家族--->裸の付き合い--->入浴
という一つの考えが、きっと監督の頭にはあるのだろう。
さて、今回最後に紹介するのは、映画ではその音声を聞くことができなかった、初枝の“つぶやき”の謎解き。
柴田家が、海水浴に出かけた時のこと。
皆が、波打ち際で楽しそうに遊んでいる時、初枝が一人、シートに座り、治が失敬してきたパラソルの下で、幸せそうな五人の姿を見ていた。
シートの上に初枝だけが残った。砂の上に投げ出した自分の素足が目に入った。白く皮膚のたるんだその足にはたくさんのシミがついていた。
「わぁすごいシミ・・・・・・」
初枝は口に出して言ってみた。そうして太陽に照らされてすっかり熱くなっていた白い砂を手ですくい、自分の足にかけた。砂はサラサラとすねを左右にすべり落ちて、砂浜に戻った。ひときわ高い治の笑い声が聞こえ、初枝は顔を上げた。
太陽が雲に入って急に日が陰り、初枝は背中のあたりに寒気を感じた。
信代が合流し、5人は手をつないで波を待っている。その後ろ姿を見ながら、初枝は小さな声で呟いた。
「ありがとうございました」
しかし、その声は、波音と5人の笑い声にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
映画の観客にも、その声は届くことはなかった。
しかし、私は、初枝(樹木希林さん)の口の動きで、この言葉であると察した。
映画を観た多くの方も、分かったのではなかろうか。
私は、初枝が、そう長くはない寿命を察知し、血はつながっていなくとも、そして、年金という金がつなぐ関係であろうとも、柴田家の子供たちに心底感謝しているということを彼女が伝えるこの場面、実に美しいと思った。
この言葉が樹木希林さんのアドリブであること、そして、そのアドリブが是枝監督にとって、この映画づくりの方向性を与えたこと、などは少し前の記事で紹介した。
2018年9月19日のブログ
その記事でも書いたのだが、あの言葉は、初枝同様に死期が近いことを察していた樹木希林さんご本人の言葉でもあったように思えてならない。
さて、次回を最終回と考えているが、あの映画の中で、もう一つあった声にならない“つぶやき”の謎について、書くつもり。
あとからいろいろ読んだり聞いたりして分かっていたようにも思ったけれど、やっぱり。
なんとなく、私はそんな気がしていました。
観ている時は確信がなかったのですが、観終わったから、あの場面ならあの言葉だろうなぁ、と思っていました。
もう一つの声が聞こえないつぶやきについては、次の記事にて。
