川島雄三という人ー藤本義一著『生きいそぎの記』より(1)
2018年 09月 20日
2018年6月13日のブログ
落語および講談の会は来月下旬から11月初旬にかけて開催される。
ぴあのサイトを見ると、11月1日の神田松之丞の昼夜が売り切れている。
実力もあるのだろうが、私は、最近の松之丞人気は異常に思えてならない・・・・・・。
「チケットぴあ」サイトの該当ページ
まだ、チケットは購入していない。
正直なところ、4800円という木戸銭、ちと高いなぁと思っているのと、まだ予定がはっきりしないのだ。
さて、川島雄三に関する本について。

藤本義一著『鬼の詩/生きいそぎの記』(河出文庫)
藤本義一の『生きいそぎの記』。
同じ河出文庫に収録されている『鬼の詩』については、五年余り前に紹介したことがある。ある落語家をモデルにした、直木賞受賞作だ。
2013年5月13日のブログ
『生きいそぎの記』も直木賞候補であった。
この作品は、藤本義一が川島雄三の『貸間あり』の脚本を共同で執筆する日々を小説化したものだ。
百年前の1918年、大正七年に、川島雄三は青森県下北郡田名部町(現在のむつ市)に生まれた。
この本は、その生まれ故郷である津軽の情景から始まる。
津軽を行く。
町はずれ、芦野公園、藤枝用水路のところに火の鳥(フェニックス)が彫られた文学碑がある。
ー撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにありー
太宰治の碑だ。地蔵堂が近くにあり、赤や青や白粉(おしろい)つけた地蔵が何千と並んでいる。
野球場近く、城の石垣を背に、
ー胸にひそむ/火の叫びを/雪ふらそうー
福士幸次郎の詩碑がある。
が、どこにも、いくら歩いても、
ー花ニ嵐ノタトエモアルゾ サヨナラダケガ 人生ダー
の碑はない。川島雄三の碑はどこにもない。旅の本を展(ひろ)げてみても、川島雄三に関して一行も書かれていない。川島雄三という活字さえない。
「映画監督の監督という二字を解釈すれば、百科辞典でげす。影を売る百科辞典は、名作古典と誰も考えないものでげす」
自嘲の言葉を思い浮かべる。
この後に、川島雄三の作品がずらっと並べられた後で、次のような文章が続く。
六年間に十七本の影を売り、それ以前に三十本を撮り、孤独と狷介不羈(けんかいふき)の幕を四十七本目の作品で閉じた。
ー川島雄三はしかし見事に生きた。恐怖はたしかに例えようもなく重かった。それでも彼は四十五年の一生を精一杯生き切った。芸術もあった、戦争もあった、泥酔も喧嘩も恋愛も嫉妬も、ケチも痛快も憎悪も、あらゆるものが充実し、煮つまり、華やかに在ったーと弟子の今村昌平は書く。
おれと川島師匠の出会いは、煮つまり、華やかな頂点であった。
-思想堅固デナク、身体強健デナク、粘リト脆サヲモチ、酒ト色二興味アルモノヲ求ム。監督室内、股火鉢ノ川島ー。
撮影所の掲示板に、手帳の一頁を破った募集広告がピンでとめられていた。三十三年の正月である。その頃、おれは、撮影所では助監督部でもなく企画文芸部でもなく、いわゆる臨時雇用の身で、日給二百七十円であった。大学には七年目の籍があり、専攻は農業経済であったけれど、就職のメドはなかった。△△組午前八時ロケ出発。XX組午後二時、衣装合わせ、等々の貼り紙が貼られた大きな掲示板の隅で、その小さな紙片は滑稽であった。誰かを揶揄(からか)っているような丸まっちい字である。「股火鉢ノ川島」とは如何にも『幕末太陽傳』の監督らしい表現だった。
同じ本に収録されている『鬼の詩』もそうだし『贋芸人抄』や『下座地獄』でもそうなのだが、今回再読してみて、藤本義一の文章は、ついその先を読みたくなる魅力がある。
『鬼の詩』について書いた記事や、この文庫のAmazonのレビュー(ドートマンダー名義)でも書いたのだが、11PMの印象があまりに強くて、作家藤本義一との出会いは、つい最近になるまでなかったことが悔やまれる。
Amazonの本書のページ
さて、「股火鉢ノ川島」を藤本が訪ねる場面は・・・次回のお楽しみ。
藤本は見かけによらず筋っぽい人柄で、社会活動にも熱心に取り組んでいました。
本書は川島への深い思い入れに溢れており、藤本の代表作と言えるでしょう。
私はつい最近読んだのですが、11PMのイメージしか知らなかった私にとって、実の刺激的な本でした。
本書には川島の故郷での講演の内容も収録されており、本編と講演を合わせて川島雄三を知るための絶好の書だと思います。
