小のぶを聴く会 赤坂會館・稽古場 9月13日
2018年 09月 15日
結構何かとスケジュールが立て込んでいる時期ではあるのだが、“幻の噺家”小のぶの名に魅かれ、初めて行く赤坂会館へ。50席限定、といううたい文句にも惹かれたかな。
柳家小のぶのことは、“幻の噺家”という形容をしている堀井憲一郎さんの本、そして江國滋さんの『落語美学』を元に、以前書いたことがある。
2013年7月11日のブログ
とはいえ、小のぶ、最近は寄席への出演も増えてきて、幻とは言えなくなってきたかもしれない。
私にとっても、昨年8月に浅草見番で、マイベスト十席に選んだ『へっつい幽霊』を聴いているので決して幻ではないが、独演会には行ったことがない。
お江戸日本橋亭では恒例の独演会を開催しているようだが、これまで縁がなかった。
久しぶりに行く、オフィス・エムズさん主催の落語会でもあった。
この会場での独演会は、赤坂倶楽部、と名づけているようだ。
会場の赤坂會館のホームページには、「日本伝統芸能のためのお稽古場」と形容されている。少し、引用する。
赤坂會館のHP
赤坂會館は赤坂界隈の花柳界・芸者衆のお稽古場の名残で、都内有数の広さ(50畳)・松の一枚板を使用した贅沢な床・どのような演目にも最適な音響設備を持つ、計算され尽くした空間設計のお稽古場をはじめ、各種ご用途に応じた和の空間を提供しております。
日本伝統芸能の継承と益々の洗練のために、芸術空間として、又、和の心に触れる催しなどに、広く皆様にご活用いただければと存じます。
そういう場所。
オフィス・エムズさん(加藤さん)の会では浅草見番の会も多いが、場所を赤坂に替え、少し狭くなったバージョン、と思えば良さそうだ。
都内で野暮用を済ませで開演の二十分前ほどに会場へ。
会館の六階に、その“都内有数の広さ”と“松の一枚板を使用した床”の空間があった。
靴を脱いで廊下を進むと、いつものように加藤さんがモギリをしていた。
会場に入ると、前の方には床に座布団が三列に間をたっぷり空けて各列十ほど並ぶ。
その後ろにパイプ椅子が二列。
すでに三分の二位はお客さんがいらっしゃっている。
やや同期会の旅行での疲れもあり、パイプ椅子を選んだ。
三十数名のお客さんだけの、なんとも不思議な空間だった。
本音のところ、この会の小のぶの高座について、どこまで書こうか迷っていた。
決して、褒められないのである。
終演後に小のぶは一人一人のお客さんに「申し訳ございません」「次は、しっかりやります」などと頭を下げていたのである。
迷った挙句、小言を含め書くことにする。
このブログが落語会や寄席の備忘録として始まったのであり、管理人の私の名が、小言幸兵衛なのだから。
では、出演順に感想や、小言を。
柳亭市坊『たらちね』 (13分 *18:59~)
主催者が師匠柳亭市馬のマネジメントをしているので、この日は市馬の弟子が二人登場。
この人は、昨年7月、柳家小満んの会の開口一番の途中からを、関内ホール・小ホールのロビーでおにぎりを食べながら、モニターで見て以来。
だから、初と言ってよいだろう。
やや強面でもあるせいか、家主が少し怖い。
そして、この日のハプニングの伏線ともいえるのだが、八五郎の家に嫁入りした清の例の口上で、「わが母三十三歳の折、丹頂の夢をみてはらめるが~」を飛ばした。
八五郎が清が書いた紙を読む場面で復活(?)させたが、どうにも落ち着かない高座。
これは、次の市童にいじられるネタとなる。
柳亭市童『幇間腹』 (16分)
久しぶりだ。
昨年6月、久しぶりに行くことができた「ざま昼席落語会」の今松との二人会以来。
2017年6月11日のブログ
ざまで、二ツ目が真打と二人会をするのは異例のことだった。
冒頭、「小のぶ師匠の会にお越しになるお客さんは、もちろんご通家で、市坊が台詞を飛ばしたのはお気づきでしょう」で客席から笑い。
とはいえ、ご本人も途中で、一ハが若旦那に向かって「おまえさん」と言い掛けて「若旦那」と言い直し、少しリズムが悪くなったなぁ。
幇間一八の飄々とした軽さは良かった。
この噺、私が聴いた中では菊之丞が秀逸だと思うが、もしかすると市童の十八番になるかもしれない。
市馬一門では、もっとも将来を期待している人。
柳家小のぶ『金明竹』 (39分)
なぜ、この噺でこんな時間なのか・・・・・・。
小のぶは、この噺の背景を丁寧にマクラで説明した。
その試みは、悪くない。
前半は、中橋に住んでいた「医者で噺家で幇間」だった石井宗淑が創作した内容、などとこの噺のマクラで語る人は、そう多くはいない。
噺に登場する道具や人物のことも詳しく紹介。
しかし、途中で内容を忘れがちで、言いよどみが多く、客を心配させる。
また、台詞があちこちで抜けた。
後半の聴かせどころは、もちろんあの不思議な関西弁を話す男の言い立てだが、二回目に「たがやさんやなくて埋もれ木」の部分がとんだ。
女将さんが出てきて三回目には、なんとか全部入ったが、四回目に「沢庵木庵隠元禅師~」が、とんだ。
なんとかサゲまではたどり着いたが、小のぶの下げた頭は、お詫びの姿であった。
せっかく道具七品などの説明をしていたものの、この高座は、いただけない。
ちなみに、私がずいぶん前にテニス仲間の前でこの噺を披露した際、後で道具のことなどの説明を書いた紙を仲間に渡した。
せっかくなので(?)、ご紹介。
いろんな本やらサイトから拾った内容だが、ネタ元は忘れてしまった。
中橋の加賀屋佐吉から使いのものが来て、早口の関西弁で、それに符丁を混えてまくし立てるので、与太郎さんも奥さんもさっぱりわからない。その口上にでてくる、道具についての「うんちく」です。
■祐乗(ゆうじょう):後藤祐乗(1440~1512)。室町中期の金工。奥様が言っていた「遊女」でない事がこれで分かります。
■光乗(こうじょう):後藤光乗。名は小一郎、諱(いみな)光家、祐伯。京都の後藤家四代目の金工家として名高い。
■宗乗(そうじょう):後藤宗乗。名は二郎、諱(いみな)を祐宗、光武。通称は四郎兵衛。初代祐乗の子で後藤家二代目を継ぎ、晩年は法眼に叙せられ京都より近江国坂本に閑居した。
■三所物(みところもの):刀剣の付属品である目貫(めぬき)・笄(こうがい)・小柄(こづか)の3種をいう。江戸時代、刀装中の主要な金具として、後藤祐乗らのものが名高い。
■備前長船(びぜんおさふね):岡山県(備前国)邑久(おく)郡にある町名。
■則光(のりみつ):備前長船派の刀工の一人(元享の頃活躍。1321年ごろ)。
■四分一(しぶいち)ごしらえ:元来は銅3に銀1を混ぜた日本特有の合金。
■横谷宗#(王へん+民)(よこやそうみん):(1670~1733)江戸中期の彫金師。その家は代々彫金を業とし、小柄などの三所物を作り、写実的意匠に長じ、江戸町彫(まちぼり)の宗となる。
■小柄付きの脇差:脇差しに小柄が納められたもの。
■柄前(つかまえ):刀の柄。また、その体裁。柄頭から鍔(つば)までの持つところ。
■古たがやと埋れ木(うもれぎ)
・鉄刀木(たがやさん)=マメ科の高木。マレー・インド東部などに自生。高さ10~15m。葉は白色を帯び、やや革質。心材は黒と赤の紋様があり、堅牢美麗で風雨に強く、銘木として建築・器具に利用。
・埋れ木(うもれぎ);久しく埋もれていて半ば炭化した木。亜炭の一種で、宮城県広瀬川沿岸のものが著名。また、埋れ木で細工した器具や装飾品。仙台の名産。噺の柄前に使われている材質の木は古くなって風合いの出た”たがやさん”ではなく、”埋れ木”だという。決して、仲買の弥一さんが、気が違ったわけではありません。
■のんこの茶碗:のんこう=京都の楽焼本家の三代、道入(どうにゅう)の俗称。陶工。京都楽(らく)家の三代目。常慶の長男。通称吉兵衛(1599~1656)、のち吉左衛門と改め、剃髪して道入といい、俗に「のんこう」と称した。
■黄檗山金明竹(おうばくさん・きんめいちく)
・黄檗山=中国福建省福清県南西の山。789年正幹の開いた禅の道場(建福寺、のち万福寺)があり、宋代に最も栄えた。その万福寺の山号。
・金明竹;マダケの変種。マダケ属に入り、竹稈は黄色で芽溝部は規則正しく緑色になり、葉には多少白条があります。昔から珍重され、主に庭園竹として鑑賞された。もとは中国の竹で、宇治の黄檗山万福寺の庭園の金明竹が名高い。
■ずんど(寸胴)の花活(はないけ):上から下まで同じように太くて、くびれがない花活け。
■古池や蛙とびこむ水の音と申します・・・ありゃ、風羅坊正筆(ふうらぼうしょうひつ)の掛け物;風羅坊=松尾芭蕉の別名。正筆=その人が本当に書いた筆跡。・・・で、芭蕉肉筆の掛軸。
■沢庵・木庵・隠元禅師(たくあん・もくあん・いんげんぜんじ)
・沢庵(たくあん):(1573~1645)江戸初期の臨済宗の僧。但馬の人。諸大名の招請を断り、大徳寺や堺の南宗寺等に歴住。寛永6年(1629)紫衣事件で幕府と抗争して出羽に配流され、32年赦されてのち帰洛。徳川家光の帰依を受けて品川に東海寺を開く。書画・俳諧・茶に通じ、その書は茶道で珍重。沢庵漬は漬物の一種。干した大根を糠と食塩とで漬けて重石でおしたもの。沢庵和尚が初めて作ったとも。
・木庵(もくあん): (1611~1684)中国(明)泉州晋江の人で、隠元禅師に従って来日し帰化。
・隠元(いんげん):(1592~1673)日本黄檗(おおばく)宗の開祖。明の福建省福清の人。名は隆(りゅうき)。承応3年(1654)日本に渡来。山城国宇治に黄檗山万福寺を創建。語録・詩偈集など開版されたもの多く、その書は茶席の掛軸として珍重される。隠元豆は隠元が明(中国)からもたらしたものという。
■張りまぜの小屏風(こびょうぶ):小屏風に上記の禅師達の書き物を混ぜて張り込んだもの。茶席では珍重された。
どの品物も、超一級品で今に残っていたら、文化財ものばかりです。
こんなものまで作っていたのだなぁ、と懐かしさがこみあがる^^
仲入りをはさんで、二席目。
柳家小のぶ『青菜』 (38分 *~20:59)
登場するなり、一席目の詫びがあった。
「会場が暑いせいか、眠くて眠くて」で客席は爆笑。
マクラで隠語のことをふって本編に入ったが、まだ眠気はとれていないようだった^^
一席目は抜けが多かったが、この噺では同じ台詞の繰り返しが目立った。
また、言い間違えも少ないとは言えなかった。
八五郎が長屋に帰ってから、半公にオウム返しで語る内容も順番が逆になったり、とにかく、客を心配させる高座。
八五郎が長屋へ帰る道すがらで女房との動物園での見合いを振り返る件などはなかなか楽しい内容なので、実にもったいない。
終演後のこと。
「申し訳ございません」「次は、しっかりやります」「次は、まじめにやります」
と独演会の主がお客さんを見送る会も、そうは経験できないだろう。
これまで経験した落語会で、もっともハラハラした会であった。
小のぶは昭和12(1937)年10月3日生まれ。
来月、満81歳になるなぁ。
志ん朝とは一つ上。
高座でその姿を見ることができたことだけでも、良かったと思うべきなのかもしれない。
しかし、小三治とは二歳しか違わない。
昨年、浅草見番の『へっつい幽霊』は、素晴らしかったじゃないか。
2017年8月5日のブログ
まだまだ、頑張ってもらいたい。
p.s.
私が以前作った『金明竹』の道具の説明書の内容、調べてみると、よくお世話になる「落語の舞台を歩く」から引用したようです。
「落語の舞台を歩く」の該当ページ
小三治だって最近の高座では細かなミスが気になります。
晩年の先代小さんの高座もハラハラしながら聴きましたし、円菊も筋が行ったり来たりしていました。それも今では思い出として残っています。
我が身を省りみて、年を取るというのは悲しいことです。
小のぶの会、私も行きました。確かに今回はいまひとつ、って感じでしたね。
実は8月7日にお江戸日本橋亭で独演会がありましたが、二つともそのときと同じ噺でした。
そのときは若干絶句することはあっても、抜け落ち、順番を間違える、繰り返しなどがなくて(と思う)、割とスムーズでした。
まくらの説明もきちんとやっていました(今回はのんこの説明が抜けていたと思う)。
もっとも、1ヶ月前と違う噺をしてほしかったな、というのはありますが。
たしかに、これもまた落語ですね。
生の落語だからこそ、かもしれません。
また、八十代で高座に出ていることだけでも、凄いことなのかもしれません。
この会、救いだったのは、終演後も小のぶが落ち込んでいるようではなく、「次は、まじめにやります」の言葉が、なんとも笑えてしまいました。
コメントありがとうございます。
あの空間にいらっしゃいましたか。
たぶん、三十五人くらいの中のお一人、ということですね。
お江戸日本橋亭にも行かれたとは、とても落語歴が浅いとは思えません^^
そうそう、のんこの茶碗、抜けてましたね。
なかなか味わえない、スリリングな落語会でした。
落語の他にもいろんなことを書いていますが、今後も、お気軽にお立ち寄りください。
小のぶさん、もう80歳を越えたのですものね。
先日、池袋中席(主任・さん喬)の楽日で、小のぶを聞いてきましたよ。
演目は「粗忽長屋」。枕で背景を丁寧に語ったあと、本題に入ります。
まぁ、これが小のぶのパターンなのでしょう。
言いよどみもなく、筋を飛ばすことなく、上手に演っていました。
確かに「金明竹」のような言いたての噺はもう難しいのかもしれません。
声が小さいのは昔からなのかもしれませんが……。
だからキャパが小さいところでしか演らないのかもしれませんね。
そうでしたか。良かったですね。
池袋中席、気にはなっていたのですが、何かと野暮用で縁がありませんでした。
声は小さいですが、昨年の浅草見番はほとんど気になりませんでした。
体調もあるでしょうし、寒暖など環境も影響するのでしょう。
どんな高座に出会えるか、それも縁、そして運次第ですね。
