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本間雅晴という軍人のこと(2)ー今日出海著『悲劇の将軍』より。

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今日出海著『悲劇の将軍』(中公文庫)

 さて、二回目。

 高雄からフィリピンに向かった船上で、今日出海は、本間雅晴と出会った場面の続き。

「君が今日出海君か・・・・・・」
 とすでに姓名を知っているような風だった。
「こんなひどい恰好を誰がさせたか」
「さア、広島で一様に着せられましたが・・・・・・」
「比島に着いてもそんな恰好をしていたら、笑われるぞ」

 
 この会話からも、本間雅晴という人物が、他の軍人とは少し違うな、ということを察することができる。

 日本軍は、昭和十七年正月二日に、マニラ市に入城した。
 マニラは、開戦と同時に開放都市を宣言したので、戦禍に見舞われず、実に簡単に入城することができた。

 米比聯合軍はバタアン半島に立て籠り、半島のつけ根にある町サン・フェルナンドに軍司令部を置き、本間中将始め、幕僚はここにいて、戦闘を指揮していた。
 バタアンの名が登場。本間雅晴とは、切り離すことのできない半島の名だ。

 さて、今日出海たちの仕事は、閉鎖された映画館を開いたり、競技場や劇場を開放し、音楽会を催すことだった。

 呑気な仕事のようで、これは大変な仕事だった。乱暴な兵隊は物資調達と称してフィルムや薬品は撮影所から持ち去るし、楽器は勝手にいじって打ち壊すし、映画館では館員を撲って無料入場するし、そのつど電話でとんで行かねばならぬ。それに何十となくマニラには映画館があり、地方や島々の映画館は破壊を受けたり、占領されたりしてその復旧やら、映画の配給は並大抵ではなかった。
 稀には部隊長に従って、バタアンの戦野にも随行しなかればならぬ。私はたびたびサン・フェルナンドに赴いて、軍司令官に会った。米比軍がバタアンに退く時、この辺は激戦地であったらしく、橋は落され、町も焼けて、古いスペイン風の教会堂の苔むしたドームが荒れ果てた町に聳えていた。
 戦線は膠着して、進むことも退くこともならず、飛行隊が到着するか、援軍が着くかしなければ戦況はいつまで経っても変るまい。軍司令官の宿舎も焼け残った民家で、マニラの一流ホテルに起居している私から見ればお話にならぬ粗末なものだった。この宿舎は軍司令官と副官と参謀長が住み、隣家に幕僚が住んでいた。
 苦労をしている部下の身を思うと、上の人は楽をすることを罪悪の如く思う日本人の習慣で、本間中将はドラム缶の風呂に入り、野戦食をとっていた。戦況の変化がなければ作戦も立たず、全く無聊な生活らしい。といって話相手はなし、読書好きと聞いていたが、夜分は電灯もない焼跡の町では本を読むこともできぬだろう。
「夜はお困りでしょう」
「いや蝋燭で読むことにしている」
 いずれバタアンの作戦が済んだら、マニラの官邸に入り、王侯の生活が待っているのだろうが、それもいつの日か知れたものではない。
 蝋燭のわずかな灯りを頼りに、本を読む男、それが本間雅晴だった。

 本間の敵将は、マッカーサーだった。

 マッカーサーの有名な言葉'I Shall Return'は、日本軍に攻められて、オーストラリアに一時逃亡した際に発した言葉。
 
 当時マッカーサー将軍は戦いに敗れて、潜水艦でコレヒドール島から豪州へ逃げた後なので、われわれは彼を名将とは思っていなかった。しかし本間中将は微細に敵将のいことを調べ、陸士陸大の卒業成績まで知っていた。
「文武両道の名将だね。文というのは文治の面もなかなかの政治家だ。この名将と戦ったことは僕の名誉だし、欣快だ」
 とさえ言っていた。


 1880年生まれのマッカーサーは、57歳で軍を引退して予備役となっていたが、2年後の1939年に第二次世界大戦が勃発。
 翌1940年に日本は日独伊三国同盟を締結。その翌年の1941年の7月、日米間の緊張が極度に高まる中でマッカーサーはフランクリン・ルーズベルト大統領の要請で中将として現役に復帰し、フィリピン駐屯のアメリカ極東軍司令官に就いていた。
 1942年、62歳。

 本間雅晴は明治二十年(1887)生まれ、昭和十七年時点で、五十五歳。

 数々の戦功を立て、予備役から復帰した名将マッカーサーについて、本間雅晴は尊敬の念を抱いていたと思う。

 そのマッカーサーと本間は、この後は対照的な道を進むことになる。

 その内容は、次の最終回にて。

Commented by saheizi-inokori at 2018-08-14 12:53
日本軍は欧米の圧政から解放するのだと無邪気に言う者がいると、アメリカは善政でありフィリピン人は慕っているのだから、日本軍はよほど気をつけないと民心を掌握できないとたしなめたそうです。その軍政が弱腰であるとして、後の馘につながったと角田は書いています。
Commented by kogotokoubei at 2018-08-15 11:12
>佐平次さんへ

今ほど、三回目の記事を掲載しました。
東條や他の武闘派(?)からは、嫌われていたようですね。
マニラに戦犯として出向く前に、位階勲等を剥奪されているというのは、あまりのも酷い話です。
佐平次さんの記事のおかげで、埃をかぶっていた本を読み返す良い機会になりました。
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by kogotokoubei | 2018-08-14 10:54 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)

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