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ドナルド・キーン著『日本人の戦争ー作家の日記を読むー』より(3)

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ドナルド・キーン著『日本人の戦争ー作家の日記を読むー』

 ドナルド・キーン『日本人の戦争ー作家の日記を読むー』から三回目。

 前回に続き、「第二章 『大東亜』の誕生」から、ガダルカナルの戦闘の頃。

 ガダルカナル戦は日本の知識人たちの日記では、主としてアメリカ(とオーストラリア)の軍艦を撃沈させたニュースに狂喜するという形で話題となった。遠方の島で命を落とした日本兵に対して、深い悲しみを表明した日記は驚くほどわずかだった。代わりに日記の筆者たちは、死んで神となった兵士たちを称揚した。
 ガダルカナルでの敗退にもかかわらず、戦争に勝てる見込みがある限り日本の大本営は死傷者の数を隠蔽したり、戦闘の結果を偽る必要を感じなかった。しかし、ほどなく大本営発表は当てにならなくなった。敵の損害を誇張するどころか捏造するようになり、逆に日本の損害は最小限に抑えて発表するようになった。大本営発表が明らかにしなかった事実については、風説がその代わりを務めた。伊藤整は、日記に書いている。

   昨夜実の話、満鉄調査部のニュース。ガタルカナルにあった海兵一万(?)は全滅しや由。
  その後の陸の揚兵三船の内二つは沈められ、一のみ上陸せるも苦戦にて、やっと上陸点を
  死守せる由。極秘の由。他言なし。

 満鉄調査部には、ガダルカナルの戦況が、正しく伝わっていた。
 しかし、国民のほとんどには、捏造された大本営発表しか、情報がなかった。
 だから、日記にも書きようがない。

 永井荷風の日記は、ガダルカナルのことに言及していない。南太平洋の島をめぐる戦闘より、荷風にとっては近所で見かける陰険な私服憲兵の方が気になるようだった。荷風は日記の中で、憲兵が自分の家を接収しようと企んでいるのではないかと憂慮している。荷風はまた、自分にとって極めて大事なジョニーウォーカーのような日用品が、目玉の飛び出るような値段になっている事実を報告している。戦時中の日記の筆者として一番勤勉なはずの高見順は、ことガダルカナルについては一切触れていない。

 戦時中に極めて詳細な日記(約三千ページ)をつけていたのが高見順だった。

 高見順は、昭和8(1933)年、治安維持法違反の疑いで大森署に検挙されたが、「転向」を表明し、半年後に釈放された、という経歴をもつ。
 その高見には、戦時中に政府の強い支援でできた日本文学報国会(文報)への誘いがあった。

 文報に所属していた作家たちの長い名簿を見ると、すべての作家がこれに参加していたのではないかという印象を受ける。多くの作家が文報に入ったのは、戦争目的に賛同する真面目な考え方からか、あるいは、左翼系の作家たちにとっては文報に属することで過去の罪を水に流すことが出来たからだった。しかし、頑固に参加を拒絶した人々もいた。永井荷風は、再三にわたって入会を強要されたが、「打棄てゝ答へず」と日記に書いている。大空襲下の東京の生活を生き生きと描いた日記「東京焼盡」の筆者内田百閒(1889-1971)は、何度も勧められたが文報には最初から関係せずと心に決めていて、あくまで無関係を通した。百閒は、そもそも政治家とつき合う作家が嫌いだった。
 高見順は昭和二十年(1945)六月まで参加を拒否していて、当時の日記に次のように書いている。

   過日、今日出海君から文報入りを誘われたとき、迂闊にも「入ってもいい」と答えたので
  ある。今君は、再三説かれて遂に文報入りを承諾し、私にも一緒に入ってくれないかといった。
  久米さんも、入ってやれというので、ついうかうかと、ウンといった。あとで考えると、
  やはりいやだった。そこで文報から正式にいって来たら、断ろうと思っていたところだ。
  しかるに文報側は、今君から私の文報入り承諾を聞いて理事会にただちに掛けたらしい。
  -文報へ入ったっていいのだが、勉強の時間がなくなるのが辛いのだ。島木君の「独善主義」
  かもしれないが、私は「自己完成」に忙しのだ。だったら一切の外的活動は拒んだらよさそう
  なものだが、そうも行かない。そうも行かない範囲のことは、やる。それは一種の休息にも
  なる。精神的換気である。文報入りは換気ではすまされない。

 高見はそうは言っていないが、あるいは文報から受けとる手当てを歓迎したかもしれない。

 キーンは、憲兵に逮捕され拷問を受けている高見としては、文報入りは、共産主義者と見られないためでもあったのだろうと付け加えている。
 その後に、意外が人物の文報入りのことが書かれている。

 自他ともに認める共産主義者の宮本百合子(1899-1951)は、戦後になって夫の宮本顕治から文報入りを非難された。宮本顕治は当時、共産主義者として投獄されていた。百合子は、一人で外にいるのに耐えられなかった、と顕治に応えている。

 まさか、宮本百合子が文報に入っていたとは、知らなかった。

 以前、NHKの朝ドラ「花子とアン」について、村岡花子についてあのドラマで捏造があったことを書いた。
2012年12月24日のブログ
 文報のイベント・大東亜文学者大会で、花子は「子供たちの裡にこそ大東亜精神を築き上げるべき」と述べていた。
 そういう彼女の活動について、ドラマではまったく触れることはなく、別の出演者の愛国者の姿を投影していた。
 
 その文報は、どんな成果を出したのか。

 こう言っておけば間違いないのではないだろうか。ほとんどすべての作家が、自ら進んでかどうかは別にして文報の仕事に関わった、と。また同時に記しておかなければならないのは、それが存在した約四年間にわたって文報はなんら目覚ましい業績を挙げなかった。東京と南京で文学者大会を後援したほかには、「愛国百人一首」を昭和十八年に発行し、また芭蕉の死後二百五十年を記念して俳人たちが顕彰式典を行い、さらに軍艦建造のための献金運動をした。

 さて、戦況はますます悪化していく。

 次回の最終回は、昭和二十年の日記を中心に紹介するつもりだ。
 
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Commented by 寿限無 at 2018-08-06 14:44 x
今日は、原爆忌ですね。
ドナルド・キーンは、「戦時中の虚子の作品は、当時の他の文学の病的興奮とは対照的に落ち着いた、超越したものだった。」と述べております。
Commented by kogotokoubei at 2018-08-06 17:33
>寿限無さんへ

そうでしたか。
虚子は日記をつけていなかったとみえて、本書では登場しません。
虚子でさえ、戦中に日本文学報国会俳句部会(前身は日本俳句作家協会)の会長になっています。
そういう時代だった、ということでしょう。
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by kogotokoubei | 2018-08-05 17:07 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)

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