噺の話

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『大山詣り』の原話についてー中込重明著『落語の種あかし』より。

 来週7月27日は、大山の夏山開きだ。

 神奈川県のサイトの観光情報のページから、伊勢原市観光協会のフライヤーをダウンロードできる。
 その中の夏山開きの案内部分をご紹介しよう。
神奈川県サイトの該当ページ

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 「お花講」とは、なんとも可愛い名前だこと。

 落語の『大山詣り』(上方では『百人坊主』)については、ブログを始めて間もなく、記事を書いた。
2008年7月25日のブログ
 
 あらためて『大山詣り』に関して棚の本をめくっていて、あの噺の元ネタについて認識を新たにした。

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中込重明著『落語の種あかし』(岩波書店)

 中込重明さんの著『落語の種あかし』は、岩波書店から2004年6月に発行された。
 しかし、著者の中込さんは、本書の発行を待つことなく、同年4月に三十九歳の若さで旅立っている。
 中込さんには、他にもう一冊、亡くなる直前に書かれた『明治文芸と薔薇』という著作がある。
 どちらも、延広真治さんの支援によるものだ。
 
 他に新書版の入門書的な本、「落語で読み解く『お江戸』の事情」(青春出版社)があって、同書からは拙ブログで何度か引用している。

 田中優子著『江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか?』と比較した記事を書いたこともある。
2010年6月12日のブログ
 杉浦日向子さんの著作も含め、江戸時代にどれくらいご飯を食べていたか、なんて記事も書いた。
2017年9月16日のブログ

 さて、『落語の種あかし』は、中込さんの遺作と言ってよいと思うが、その内容には、落語の原話を探るための、著者の執念のようなものを感じてしまう。

 では、もうじき夏山開きとなる『大山詣り』は、どんなルーツを持っているのか、本書から引用したい。
 さて、落語「大山詣り」の原話だが、他の落語に較べて、これまで諸書に指摘が見られ、広く知られている。その一つ、興津要『日本文学と落語』(1970、桜楓社)の「西鶴と落語」では、典拠を狂言「六人僧」として、これから、井原西鶴の浮世草子『西鶴諸国ばなし』(貞享二年・1685刊)巻一・七「狐四天王」へ、さらに滝亭鯉丈の滑稽本『大山道中膝栗毛』をはさんで、現行の上方落語「百人坊主」・東京落語「大山詣り」へ、という系譜を説明している。他の文献でも一様に、「百人坊主」の出典同様、「大山詣り」の原話を狂言「六人僧」としている。現在考えられるところで最も古い、この種の話柄である「六人僧」から、順に見てゆくことにした。古川久他編『狂言辞典』(東京堂出版)事項編より、その梗概を引用する。
   諸国仏詣を思い立ち、同行二人を誘って旅に出た男(シテ)が、仮にも怒る心など
   持つまいと提案し、互いに誓い合う。途中辻堂で一休みし男が寝入ると、他の二人が
   男の髪の毛を剃り落としてしまう。目をさまし驚くが誓言の手前怒れない男は、このような
   姿では具合が悪いからと一人別れて帰宅し、妻たちを呼び集めると、高野への途中紀ノ川で
   二人が溺れ死んだので、一人残った申し訳なさに僧形になって戻ったと言う。二人の妻は
   夫の菩提を弔おうと尼になるので、男はその髪を高野山へ納めようと再び旅立つ。そして
   高野山で同行の二人に出会うと、三人の仏詣をなじみの女に会いにいったと諫言する者が
   あって、二人は妻のさし違えて死んだと言い、証拠だと髪を見せる。二人は妻のあとを
   弔おうと剃髪する。さて帰郷すると、二組の夫婦は互いの生存を驚き喜び、男に詰め寄る。
   そこへ男の妻も尼になって出てくるので、これも仏の導きであろうと、出家三人・尼三人、
   男女別々に霊場を巡り後世(ごせ)を願おうと、名残りを惜しみ謡留めにする。(三百番)

 ここに引いた文字が示すとおり、ほぼ「大山詣り」の原形が完成されてしまっている。

 狂言に似た話がある、ということは薄々知ってはいたのだが、その内容までは知らなかった。

 中込さんのこの本、一度はざっと読んでいたはずなのだが、狂言の内容までは覚えていなかった。

 中込さんが偉いのは、実に粘り強く、一つの落語ネタのルーツを探ろうとしていること。
 この後、『西鶴諸国ばなし』の「狐四天王」と「お霜月の作り髭」の紹介が続いて、同じく西鶴の浮世草子『懐硯』の「水浴の涙川」の考察もしている。
 しかし、これらの話は、寝ている間に悪戯をする、という点で「六人僧」との類似点はあるものの、仲間の女房までを巻き込んでの復讐ネタとしての趣きはない。

 中込さん、まだまだ負けず(?)、十返舎一九の黄表紙『滑稽しつこなし』(文化二年・1805刊)の挿話に『大山詣り』の原形を見出そうとする。

 この挿話は、神田八丁堀の長屋に住む左次兵衛・太郎兵衛・権兵衛が江の島参詣に行って、という設定だが、ほとんど「六人僧」と同じ筋書き。

 結論として、狂言「六人僧」から着想を得た一九の『滑稽しつこなし』の挿話を母体として、落語「大山詣り」が産声をあげたとする見解を、「大山詣り」成立の主流としたい。
 ところで、一九よりも古い談義本に「六人僧」を生かし、さらに「大山詣り」の趣向にきわめて類似した説話があるので、その粗筋を引いておきたい。滑稽本『俗談唐詩選』(宝暦十三年・1763成立)巻之一「飲中八仙は口頭の交り」がそれである。

 「飲中八仙は口頭の交り」は、江戸橋辺の両替店の主人・知無多屋上戸郎(ちんたやじょうごろう)と酒飲み仲間の他の七人と屋形船に乗って・・・という設定で、上戸郎が髪の毛を剃られた後は、こちらも「六人僧」とほぼ同じ内容。

 『俗談唐詩選』の方が、一九の『滑稽しつこなし』より古いのだが、中込さん、このように書いている。

 これは、『滑稽しつこなし』に先行する、「大山まいり」と同趣向の説話として位置づけられる。ただ、一九と落語との深い関係を考えれば、『俗談唐詩選』から落語への直接的影響について、一九からの影響以上に強く言うわけにはいかないであろう。

 なるほど、十返舎一九と落語との深い関係、か。

 一九のことを、もう少し知りたくなった。

 この後、注記が二頁半続く。
 なにごとも疎かにできない、著者の個性が察せられる。

 「六人僧」から「滑稽しつこない」への飛躍、そして「大山詣り」という傑作落語への発展を知ることは、実に楽しい読書体験だった。

 もちろん、その噺を、多くの名人上手だちが、高座で磨いてきたからこそ、今も、我々が楽しむことができるわけだ。

 音源では、迷うことなく古今亭志ん朝。
 「志ん朝十八番」に、私はこの噺を入れている。
2012年2月3日のブログ

 現役では、多くの噺家さんが演じるが、なかでも春風亭一之輔が出色。

 まさに、この噺の似合う季節になってきたなぁ。

 もう少し、暑さがやわらいだら、寄席か落語会で出会いたいものだ。


 最後に本書の延広真治さんの「あとがき」から、少し引用。

 なお、文中の『会報』は、諸芸懇話会のそれである。

 『会報』二百三十六号(平成十三年十一月刊)に「追悼・古今亭志ん朝」を草して中込君は、悲嘆に打ちひしがれながらも次のように結ぶ。
   やはり、ここで、落語を見捨てるわけにはいかない。だから、精一杯力の限り新しい
   落語家に期待しよう。再び落語の黄金時代の到来が来ることを信じて、その日まで
   生きてゆこう。
 なんと子供たちが、毎朝「寿限無~」を唱える日がやって来たではないか。この寿限無世代が十年たてば木戸銭を持って寄席に通いだす。君の信じたとおり、「黄金時代の到来が来る」(管理人注:“到来が来る”に傍点)のは必至である。どうかその日を中込君、双眼で見定めてくれたまえ。そして傍点部のような表現が本文にも見受けられた場合には、手直ししたことを許してくれたまえ。

 四月二十一日 中込君三十九歳の誕生日に

 追記 四月三十日、中込重明君は白玉楼中の人となりました。奇しくも『明治文芸と薔薇』上梓の日でした。
 
 中込さんは昭和四十年の生まれ。延広さんは昭和十四年生まれなので、二回り以上も上なのだが、あとがきからは、同じ落語という芸を愛する同士としての熱い思いを感じる。

 残念ながら、中込さんの著作は、多いとは言えない。

 本書の内容は、今後も紹介していくつもりだ。

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by kogotokoubei | 2018-07-19 21:18 | 落語のネタ | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛