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2018年5月、テニス合宿(2)

 13日の日曜、テニス合宿の二日目は、朝食後にみんなで相談し、車で30分ほどの場所にある、大雄山最乗寺へ行くことにした。

 同寺のサイトから、沿革をご紹介。なお、ルビは( )でくくった。
大雄山最乗寺のサイト

はじめに
 大雄山最乗寺は、曹洞宗に属し全国に4千余りの門流をもつ寺である。
 御本尊は 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、脇侍仏(わきじぶつ)として文殊、普賢の両菩薩を奉安し、日夜国土安穏(こくどあんのん)万民富楽を祈ると共に、真人打出の修行専門道場である。
 開創以来6百年の歴史をもつ関東の霊場として知られ、境内山林130町歩、老杉茂り霊気は満山に漲り、堂塔は30余棟に及ぶ。


 130町歩、ってぇのは、まったくイメージできないのだが、周囲の山林(主に杉林)の広さ、そして境内の広さには、驚いた。

 私のガラケーでは、全体図を撮りきれない^^
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 境内の石段を登る、メンバーたち。
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 サイトから、開創の由来をご紹介。
開創の由来
 開山了庵慧明禅師(りょうあんえみょうぜんじ)は、相模国大住郡糟谷(さがみのくにおおすみごおりかすや)の庄(現在伊勢原市)に生まれ、藤原姓である。
 長じて地頭の職に在ったが、戦国乱世の虚しさを感じ、鎌倉 不聞禅師(ふもんぜんじ)に就いて出家、能登總持寺(そうじじ)の峨山禅師(がさんぜんじ)に参じ更に丹波(兵庫県三田市)永沢寺通幻禅師(ようたくじつうげんぜんじ)の大法を相続した。
 その後永沢寺、 近江總寧寺(おおみそうねいじ)、越前龍泉寺(えちぜんりゅうせんじ)、能登妙高庵寺(のとみょうこうあんじ)、通幻禅師の後席すべてをうけて住持し、大本山總持寺に輪住する。
 50才半ばにして相模国に帰り、曽我の里に 竺圡庵(ちくどあん)を結んだ。そのある日、1羽の大鷲が禅師の袈裟をつかんで足柄の山中に飛び大松(袈裟掛けの松)の枝に掛ける奇瑞を現じた。その啓示によってこの山中に大寺を建立、大雄山最乗寺と号した。應永元年(1394年)3月10日のことである。

 ということで、開創から六百年を超えるお寺なのであった。


 曹洞宗、と言えば、道元。
 途中で、売店の方にお聞きすると、曹洞宗にも二系統あり、道元の開いた永平寺系と、總持寺系とがあって、大雄山最乗寺は總持寺系とのこと。
 なるほど、了庵慧明禅師は永平寺ではなく、能登総持寺に行っている。

 ちなみに、現在は大本山総持寺は、能登から横浜の鶴見に移っている。
 
 境内の多宝塔に立ち寄る。
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 拝む、仲間のお一人の後ろ姿。
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 サイトから、引用。
文久3年(1863年)建立。多宝如来を奉安、方形層上円形木造二重の塔。南足柄市の重要文化財に指定されている。

 途中で、とんでもなく大きな下駄に遭遇。
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 サイトから、ご紹介。
御真殿脇に奉納された大小の高下駄。天狗さんの履き物は、高下駄だが、下駄は左右一対そろって役割をなすところから、夫婦和合の信仰がうまれ、奉納者が後を絶たない。

 なぜ、天狗なのか。
 了庵慧明が最乗寺を開山した際に、了庵の弟子の道了が、寺を守るために天狗に変身したという伝説があるからなのだ。
 写真は撮らなかったが、境内の各門には天狗の像がたくさんあった。

 さらに登って行く先に、奥の院がある。
 この地図の左上。
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 サイトから、引用。
鬱蒼とした老杉に囲れた350段余りの階段を登ると、御本地十一面観世音菩薩(当山守護道了大薩の御本地)が奉安されている奥の院につく。大雄山のもっとも高い所に位置するが沢山の参詣者がこの階段を登られてお参りに来る。

 前日のテニスで、全員が6ゲーム先取の試合を三試合しているので、結構、足腰の疲れが残っている。

 「さぁ、三百五十段、どうします?」
 という声に、「ここまで来たら、登りましょう!」と、いうことになった。

 しかし、この階段を見上げると、一瞬、気持ちが萎えてきたのは事実^^

 これ位の石段が、もう一度続く。
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 その後に、この石段・・・・・・。

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 途中、休み休み、たどり着いた、奥の院。

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 十一面観世音菩薩を拝み、すぐ脇にある売店で、お守りを買った。
 帰りは、石段ではなく、坂道を下る。

 途中の杉林の風景が、なんとも良いのだ。
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 同寺のサイトにある言葉、“老杉茂り霊気は満山に漲り”という表現そのままだった。

 奥の院をはじめ、大雄山は「パワースポット」として有名らしい。

 テニス仲間一同、大いにパワーをいただき、また、「四季の里」へ向かったのであった。

 奥の院までの三百五十の石段を含め、一同、たっぷりお腹をすかして、また、「いこいの村あしがら」の近くの「四季の里」に戻った。

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 私のガラケーの写真では、全体が分からないので、「大井町農業体験施設・四季の里」のサイトから、写真を拝借。

「大井町農業体験施設・四季の里」のサイト

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 なぜ、戻ったのか・・・・・・。

 実は、現在この地域を含む丹沢一帯では「丹沢アートフェスティヴァル」という催しが開かれている。
「丹沢アートフェスティヴァル」のサイト

 その一環として、「四季の里」でアートギャラリーを開いていた「相和もりあげ協議会」の方から、貴重な情報を、お聞きしていたのであった。

 「四季の里」がピザづくり体験で使っている釜を使いナンを焼いて、小田原のインド料理店が、12日と13日だけ、「四季の里」に出張して、本場のインドカレーを食べさせてくれるのであった。

 そのお店は、バルティヤ・ザイカ 。ヒンズー語で「インドの味」という意味らしい。

 ナンを釜で焼く様子などを見ていたが、早く食べたいのと、足腰が張っていたこともあり、写真はまったく撮る余裕がなかった^^

 メンバーは、チキン派とポーク派に分かれ、程よく甘い絶品のナンに驚き、ルーもチキンも美味い辛すぎないカレーをいただいたのであった。

 大雄山から戻ってきて、大正解!

 朝、インドカレーのことを教えていただいたのは、アートギャラリーを開いていらっしゃった國島和子さん。
 いただいた名刺には、「神奈川県大井町 相和もりあげ協議会」と書かれている。

 名刺の裏には「Siinoki Retreat」のサイトが案内されていて、次の文章があった。

都会からは姿を消した「かみさま」が、まだ生きている丘の上で日帰り農作業とリトリート体験

 その「Siinoki Retreat」サイトからも引用。
Shiinoki Retreatのサイト

シイノキリトリートでは、学校や企業の研修など、団体での農村体験企画も受け入れています。富士山を望む、ゆったりとした里山風景のなかで、農作物の収穫、そば打ち、桜の花摘み、竹風鈴づくり、民泊など、農村ならではの作業を楽しむ。その体験を通して、農村に受け継がれてきた知恵や技術を学び、自然と人とのつながりに思いを馳せる。そんなプログラムを企画・提案いたしますので、まずはご相談ください。


 「相和地域」についても、同サイトからご紹介したい。
神奈川県大井町の東側半分を占める台地の上のことを、相和地域と呼びます。この台地は 水田の多い「山田」、古代の道の合流点にあり渋沢から大山へ抜ける道のある「篠窪」、小高い丘の上にシイノキのある「赤田」、稲荷社を中心とした集落「柳」、大井町で最も標高の高い「高尾」という特徴的な五つの地区となっており、シイノキネットワークに見守られてきた丘です。

 今回の合宿、初日はテニスと宴会を楽しみ、二日目には大雄山のみならず、自然を大事にする活動を地道に続ける人たちからも、パワーをもらったように思う。

 次回も、ぜひ、丹沢の自然に戻って来たいと思いながら、帰路についたのであった。

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by kogotokoubei | 2018-05-14 12:54 | 小さな旅ー2018年5月、テニス合宿。 | Trackback | Comments(0)

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